脱出
朝霧の中、脱出行は粛然と進行していた。
森を抜けた後は狭い峠道になるからストーンシップはここに放棄するしかない。怪我人や子供、老人を優先して馬車に乗せ、準備の出来たグループから順次出発していく。
僕はルーミィと並び、彼等の様子を眺めていた。草を踏みしめ、ファーレン公爵が小走りでやってきた。高度のせいかふうふうと息を切らしている。
「どうしたんだね、バスク君。君等も早く出発の用意をしたまえ」
公爵はなにか吹っ切れたらしく、数日前よりもずっと気力が漲っていた。避難民を無事に逃がすという大仕事をなんとしても遂行するつもりのようだった。
「お気遣いはありがたいのですが、まだやり残しがあるんです。それに」
「追手がきた。夜の間にくると思っていたが存外に遅かったな」
僕の言葉をルーミィが補足する。この辺りは周囲よりも高くなっている分探知距離が伸びるのだが、それでも三十分以内には接敵するだろう。
「自分達が迎撃します。峠まで登れば、オーガスレイブは追ってこれません。お急ぎください」
目を見開いたものの、公爵の決断は早かった。
「わかった、頼む。わしは撤収作業を急かす」
「――待て。我から伝えることがある」
踵を返そうとした公爵をルーミィが引き止める。驚く僕を尻目に彼女は言った。
「お前の子は立派に戦った」
息を呑む音。公爵はルーミィを注視している。
「愚かで了見の狭い奴だったが腰抜けではなかった。貴族の矜持なぞ我にはわからぬ。あ奴の事情も我には関係ない。だがウルク・ファーレンは勇敢だった。それだけは確かだ」
不器用なその文言をどう捉えたのか。
瞳を潤ませ、公爵は噛み締めるように頷いた。
「そうか……ありがとう。――君達に幸運を」
公爵はさっと敬礼すると来た時以上の速さで駆け戻っていった。兵士を大声で呼び、矢継ぎ早に指示を出している。以前の頼りなさはどこにもない。
「ふん。見た目よりも前線向きなのだな、あの男」
ルーミィにしては最上級のほめ言葉だった。
「人には色々な面がある」
「うわっ!」
不意に背後から声がかかり、僕は思わず飛び上がった。いつ来たのか、ポールが無表情に僕等を見下ろしていた。
「終わった」ぼそりと言うポール。
「……あ、ああ。ティーガーの準備かい?」
「太刀は研いだ。弾もあるだけは入れた。素体の傷も手当てした。大したことはできなかったが、これで店仕舞いだ」
もしかすると彼は悲しんでいるのかもしれない。
ストーンシップに積み込めた道具類だけでは不十分だったはずだが、ポール達メイルチューナーは手を尽くしてティーガーの出撃準備を行ってくれたのである。
「そんなことはない。お前達はよく面倒をみてくれた。我は感謝している」
ポールのごつい手がルーミィの頭に乗せられ、わしゃわしゃと金の髪をかき回した。彼女は複雑な顔をしたが彼の手を払い除けはしなかった。
「子供の世話は大人がする。当然だ」
ルーミィはもちろん、ティーガーもポールにとっては自分の子供同然だったのだろう。灰色の瞳が僕を映し、やはり無表情のままで彼は意外な台詞を述べた。
「最後に預けるのが、お前で良かった」
「……僕を嫌っていたんじゃないのか?」
「乗るなと言ったことはない。うろちょろするな、と言っただけだ」
いや、だから。それだけじゃわからないだろうに。
「ティーガーもお前を気に入っている」
「……えーと、それは……」
僕はルーミィを見た。ルーミィは我は知らん、と軽く肩を竦めた。巨人と少女は深く繋がっているが別個の存在でもあるのだ。
「俺にはわかる」
確信しているのはポールだけだった。
どうして? なんて僕に聞かないでくれ。彼がこういう奴なんだって、僕も初めて知ったんだから。
「へぇ、いつの間に仲良しになったんですか?」
カリウスがやって来て、僕とポールを不思議そうに見比べた。
「昔からさ。僕は人当たりがいいからな。誰からも好かれやすいんだ」
「よく言いますよ、まったく」
僕が何をするのか公爵から聞いたらしく、カリウスは声を落とした。
「しかし残念です。最後までご一緒したかったんですが……」
「気にするな。考えようによってはそっちの方が大変だぞ、カリウス。ご苦労だが兵をまとめてトーランまで後衛を務め、避難民の脱出を援護しろ。お前の最後の任務だ」
「いいえ、隊長。むしろ俺の任務はここからなんです」
にやりと笑ってカリウスは続けた。
「一旦は退きますが諦めた訳じゃない。エルミナが消滅しちまわないように適当な皇族様を担いで色々やるつもりです」
「自治権を求めるつもりか? しかし、恐らく帝国本土は分割占領されるぞ。各国の思惑が入り混じって暫くは混沌とするはずだ」
「なに、かえって揺さぶりやすいですよ。連中はデイモンメイルの情報を死ぬほど欲しがってますから、立ち回り次第ってとこでしょうな。公爵様にも話はつけてありますし」
呆れた男だ。これから逃げ出そうって時にもう次の算段を始めているとは。
「他人のことが言えますか、アンタ。皆が逃げ出している時に反対方向へ行こうってんだから。つくづく天邪鬼ですな!」
おどけて反論した後、カリウスは言った。
「トーランに入って最初の村に俺の叔父夫婦が住んでます。姓は俺と同じ、カリウス。バウマン・カリウスです。全部終わったらそこを尋ねてください。一杯奢りますよ。ところで、もし可能だったらでいいんですが……」
「なんだ?」
「クルスクを弔ってやって頂けませんか」
弔いとは境界炉を破壊してくれ、という意味だった。己のデイモンメイルが連合軍の手に落ちるのは忍びないのだろう。
カリウスは滅多に頼みごとをしてこないのだ。僕は頷いた。
「わかった。任せてくれ」
□
僕は操術腔に乗り込んだ。ルーミィは席の後ろに回り込む。
「少しのんびりし過ぎだ。敵はすぐそこまできているぞ」
「今回はぎりぎりまで引きつけるから、そう慌てることもないさ」
「単に砲戦するだけの弾数がないだけであろうが」
ルーミィのお陰でティーガーは本来必要とされる様々な儀式なしで運用可能となっているのだが、使ってしまった砲弾だけはどうにもならない。
残弾はわずか五発。
補給が不可能な以上、ヴァルヴァラ戦に備えて砲弾を温存する必要があった。
「ヴァルヴァラは帝都にいるぞ。こちらに信号を送ってきているから間違いない」
「そりゃ助かる。探す手間が省けたな」
「どうしてそう能天気なのだ。のこのこ出て行けば、むしろ向こうの手間を省いてやっているようなものだぞ」
「お誘いは謹んで受けるさ。相手が男でもね」
ルーミィの警告に軽口を返し、僕は胸部装甲を閉じた。頑丈な鉄の扉が噛み合う重苦しい音がして外界から遮断される。
初搭乗の時のように心臓がどくどくと脈打った。呼吸を整え、慎重にティーガーとの知覚連結を開始する。
「――怖いのか」
腫れ物に触るような調子でルーミィがたずねた。平静を保っているつもりらしいが僕よりもよほど不安そうだ。
「全然平気かと言われれば、嘘になるね。……でも、僕は君を信じているから」
そう、ルーミィを信頼すればいい。
彼女はティーガーを完璧に制御している。
だから不安は――なにも――ない。
「……あ」
ルーミィは体を強張らせた後、弛緩してほうっと息をはいた。
「――よし。どうかな?」
僕は知覚連結の具合をパートナーに確認した。
「うん……好い。好いな。これなら大丈夫だ」
答えながら、操術桿を握る僕の手にルーミィは掌を重ねた。やっと安心してくれたらしい。
僕はティーガーの偽装に魔力の大半をつぎ込んだ。射撃や素早い機動はできなくなるが、これで至近距離まで見つからずに接近できるはずだ。
避難民達の大半はもう出発している。現在探知しているオーガスレイブを片付けてやれば、脱出は成功するだろう。
腰の太刀を静かに引き抜く。僕は巨人を霧の中へ沈み込ませた。




