急変
僕は河と逆方向――彼女の元へ駆け出した。泥を蹴立てて走り寄り、ルーミィを抱え起こす。
「あ、あ――くっ――くあっ――」
彼女は苦しそうに痙攣し、呼びかけには応答しない。
地面が揺れた。雨の中から連合軍のヤクトガンナーが現れる。腹部から対人掃討用の触手が伸び、蛇のようにうねりながら迫ってきた。
僕はルーミィの上に覆い被さった。無意味な行為だ。ヒトなど紙のように貫かれる。
しかし触手の先端は僕まで届かなかった。
周囲が影に覆われ、風が鳴った。ばらばらと泥の塊が降ってくる。巨人が僕をまたいで通り過ぎ、先頭のヤクトガンナーに殴りかかった。どおん、と重い激突音が耳を聾する。装甲に覆われた胴体に巨大な鉄球をぶつけられたようなへこみが生じ、ヤクトガンナーはバランスを崩して後退りする。
危機を救ってくれたのは、トールであった。
一瞬ウルクの生存を信じかけたが、それは考えられない。爆発で胸部装甲を失い、ぽっかりと口を開けた操術腔。そこから燻る煙を透かして蠢いているのは触手であった。
別のヤクトガンナーが至近距離からトールを撃った。肩に命中し、装甲が弾け飛んで素体が剥き出しになる。ごっそり肉を抉られ、腕が千切れかけたにも関わらず、体液の流出はすぐに止まった。
傷口から光の濁流が噴出して失った肉体を代替するように傷と傷を繋ぎ、垂れ下がっていた腕は元の位置に引き戻された。
素体の他の部分も不規則に膨張と収縮を繰り返し、不気味に蠢動していた。過剰に汲み出された魔力が行き場を失い、体内で暴れ回っているらしい。
トールは暴走しているのだ。
びりびりと大気を震わせる咆哮を放ち、トールはヤクトガンナー達に襲い掛かった。まるで獣の動きだ。ヤクトガンナー達は慌てた様子で散開し、距離を置こうとしていた。トールの武器は手足しかなく、離れてしまえば一方的に撃てる。
だが僕にはそれ以上戦闘の推移を見守る余裕はなかった。
「ルーミィ! ルーミィ、しっかりしろ!」
何度呼びかけても反応はない。思わず彼女を揺さぶりそうになるのを必死で堪える。
焦燥をぶつけてどうする。冷静に状況を打開する手立てを考えろ!
トールとヤクトガンナー達の立てる戦闘騒音が思考をかき乱す。やかましい。今は暴走にも境界炉の停止にも構ってはいられない。だけど考えたところで僕にわかるのは――
「……そうか、ティーガーだ!」
ルーミィの異変は境界炉の停止に関連している。そして僕は自分のデイモンメイルのことなら誰よりも詳しい。
彼女を抱きかかえ、僕はティーガーの操術腔に駆け込んだ。
境界炉の再始動を試みたがやはり駄目だった。座席の背後に回り、床のパネルを剥がす。キノコのように半球状の傘を広げた緊急始動栓が露になった。境界炉に直結しているため使用には危険も伴うが、ためらいはなかった。
「――動け!」
緊急始動栓の先端を拳で叩き付け、一気に生気を流し込む。
すうっと視界が暗くなり、僕は意識を――失えなかった。
「うわっ! ――あ、つつつつ……なんなんだ、くそっ……!」
体に衝撃が走り、危うくルーミィを取り落としそうになった。全身がじっとりと汗ばんでおり、まるで始動栓からお返しを受けたみたいに体に生気が満ちている。
ルーミィの胸が大きく上下し、彼女は激しく咳き込んだ。僕は額の汗を拭った。
「はぁ――良かった。大丈夫か、ルーミィ?」
「た……たわ、けもの! これが、大丈夫に見えるか! なにが、一体……」
「悪いけど詳しく話している暇はなさそうだ」
ティーガーを再始動させている間に、勝敗は決していた。
最後のヤクトガンナーが叩き伏せられ、地響きを立ててトールの足元に転がった。トールは擱座したヤクトガンナーの装甲を引き剥がし、素体に右手を突き刺した。
めきめきと音を立てて、トールの手がヤクトガンナーの素体を侵食し始めた。
「――暴走か。敵の武装を取り込むとは浅ましい」
「終わる前に叩けるか?」
「止めた方が良いであろうな。まだ炉の出力が安定しておらぬし、この体勢は不利すぎる。刺激せずに待つのが上策だ」
落ち着いたのか、ルーミィは淡々と喋っている。
トールはさらに左手を別のヤクトガンナーに突き刺した。たちまち侵食され、トールの両手とヤクトガンナーの砲が一体化していく。幸いティーガーには関心を向けていない。
一体化を済ませると満足そうに唸る。トールは二体分の砲をぶら下げ、ゆっくり歩き出した。ティーガーの横を通り過ぎ、避難民達の列へ向かっていく。背中の装甲板が持ち上がり、異常な数の触手が飛び出した。お次は腹を満たすつもりらしい。
「放っておけばアレは勝手に自壊する。周りの者には迷惑であろうが逃げるのも手だぞ」
「そうだね。でも、やっぱりそうもいかないよ」
「何故だ?」
「そういうのは僕のスタイルじゃないからさ」
本当はもっと違うことを言うべきだったが、今は問題を片付けることが先決だ。僕から目を逸らしてルーミィは言った。
「――わかった。炉の方はもう大丈夫だ。やるか?」
「ああ」
意を決し、僕は操術桿を握った。
胸部装甲を閉じるとティーガーを起き上がらせた。トールの頭だけがくるりと回り、ティーガーを睨む。両腕があり得ない角度で曲がり、砲口がこちらを素早く指向した。
くそっ、やっぱり気付いていたのか。
相手の狙いを読み、放たれた砲弾を間一髪でかわす。砲撃の威力は注ぎ込まれる魔力の量に影響される部分が多い。トールは限界以上の魔力を汲み出しているから相当破壊力が増しているはずだ。
二門の砲から次々と発射される砲弾を僕は必死で回避し続けた。逃げながらティーガーの搭載砲を射撃状態に移行させて、慎重に狙う。トールの背後には避難民の列があり無闇には撃てない。タイミングを捉え、ようやく応射。
命中――しかし砲弾は炸裂しなかった。
トールは体を揺らしただけでお構いなしに撃ち返してくる。僕は思わず喚いた。
「直撃したのに! どうなってるんだ!」
「素体表面にまで魔力が溢れているな。そのせいで弾頭が不活性にされてしまったようだ。思ったより境界炉の損壊が激しい。見ろ、あれを」
トールは内側から壊れ始めていた。装甲が剥がれ落ち、圧力に抗し切れなくなった素体が千切れ、細かい肉片を周囲に降らせている。目視できるほど激しく噴出した魔力が渦を巻き、トールの巨体を包み込み始めた。
あそこで炉が爆発したら、避難民の大半が巻き込まれる……!
速やかな行動が必要だ。僕は砲弾を炸裂モードにセットした。
これだと貫通力は落ちるが、命中と同時に爆発するから干渉されないはずだ。僕はトールの右手からぶら下がっているヤクトガンナーの弾薬架を狙撃した。
さすがに無事では済まず、搭載されていた砲弾が誘爆してトールの右手は吹き飛んだ。爆発の勢いに押され、大きく姿勢を崩す。
僕はティーガーを全力疾走させ、トールに組み付いた。暴れる巨人を引きずって街道から引き離し始める。避難民達も必死で橋に向かい、西岸へ逃れようと走っている。
だが、遅い。もっと早く逃げてくれ!
密着したままトールが爆発したらティーガーもやられてしまう。もう時間がない。
「間に合わんか……」
ルーミィがつぶやく。茫漠と視線を漂わせた、ひどく孤独な横顔。
僕は境界炉の出力を素体の限界一杯まで上げた。トールを牽引する速度が上がり、ティーガーからも余剰魔力が噴出し始める。
それが相手を誘ったのか。
突然トールの右手の付け根から数本の触手が伸び、装甲の隙間を縫ってティーガーの胸元に突き刺さった。
「ぐっ……!」
ルーミィは胸を押さえて呻いた。苦しそうに顔を歪めながらも、彼女は運命を受け入れるように毅然と顔を上げる。トールに侵食されるにつれ、胸部分から僕とティーガーとの知覚連結が途切れていく。
冗談じゃない。このままでは終われない。彼女を一人にしたまま、終わるわけにはいかないんだ――!
衝撃に続く奇妙な浮遊感。
何故か、ティーガーは宙を飛んでいた。
落下する前に、紅いデイモンメイルが凄まじい勢いでトールを振り回しているのを知覚する。暴走したトールを軽々と上回るその力は、僕が知っているどのデイモンメイルをも遥かに凌駕していた。
天高く放り投げられ、トールは境界炉を撃ち抜かれた。臨界に達していた炉は凄まじい爆発を起こした。猛烈な爆炎は地上のティーガーにも届いた。大小の破片が降り注ぎ、装甲を連打する。
爆発に吹き払われたように、いつの間にか雨は降り止んでいた。
雲の切れ間から差す日が帝都の遠景を背後に立つヴァルヴァラを照らし出した。真紅の装甲は血のように濡れ輝き、死と破壊の化身は禍々しくも純粋な美しさに満ちている。
事態の急変に頭がついていかない。
周囲に数発の砲弾が落下し、ヴァルヴァラが応射した。二体のヤクトガンナーが撃ち抜かれ、爆発する。近くにはクロウランサーの姿も見えたが、彼等の目標はティーガーではなかった。
ヴァルヴァラはぐっと身をすくめて力を溜めると大きく跳躍した。数百メートルを軽々と跳び、先頭のクロウランサーを蹴り飛ばす。トールの動きも速かったが、ヴァルヴァラのそれは遥かに洗練されている。本能ではなく、高度に制御された動作だった。
ヴァルヴァラはオーガスレイブと交戦しつつ、帝都に向かって駆けていく。
僕はただ呆然とするだけだった。
この日、帝都アルカラは陥落。
エルミナ帝国は事実上の終焉を迎えたのである。




