オーガスレイブ
帝国軍の兵士達は不安気に顔を見合わせ、霧の向こうから迫ってくる邪悪な気配の正体を見極めようと、必死に目をこらしているに違いない。だがこの霧の中では、優秀な術者でも巨大な魔力の接近を感知するのが精一杯だろう。
勿論、デイモンメイルの知覚なら話は別だ。
僕は操術腔の床から伸びた二本の操術桿に両手を伸ばした。先端についている金属球を包み込むように握る。球の表面に複雑な文様が浮かび上がった。巨人の待機状態が解除されたのだ。
「開店準備。予定通りにお客を出迎えろ」
念話を発しつつ、僕はティーガーをゆっくりと起こした。
巨体が立ち上がるにつれて、新陳代謝で剥げ落ちた装甲の欠片が、赤錆のようにばらばらと舞い落ちる。
低く重々しい唸り声を轟かせ、ティーガーは丘を登り始めた。地面が沈み、深い足跡を穿っていく。この辺の地盤は緩い。魔力による自重軽減をしていなかったら、たちまち脛まで埋まりこんでしまっただろう。
あふれ出る強力な魔力の放射を受けて、日中は存在が希薄な幻蟲達がティーガーの足元に一瞬だけ実体化し、瞬いては消えていく。彼等は狭間に棲む存在であり、僕達がいる世界とは別の世界があることの生きた証拠だった。
丘の頂上から頭を出すと、僕はティーガーを停止させて慎重に前方をうかがった。
照準のためには目標を直視する必要があるのだ。深い霧の向こうで蠢く沢山の黒い影が見えた。
連合軍側の巨人――オーガスレイブだ。
偽デイモンメイルとも言えるオーガスレイブの開発と量産成功が、大陸諸国に連合軍結成の機運と帝国侵攻の勇気を与えた。
集団戦術によってオーガスレイブは侮れない力を発揮し、緒戦で九体のデイモンメイルが失われた。これは稼動可能な全デイモンメイルの約四分の一に相当する。
だが実際の損害より、帝国軍将兵への心理的な影響の方がずっと深刻だった。
帝国創設以来、無敵を誇った巨人達の不敗神話がついに崩れたのだ。僕もあのとぼけた技官から話を聞いた時には、にわかには信じられない思いだった。
デイモンメイルの絶大な力によって、帝国は成り立ってきた。それが破壊された衝撃は計り知れない。代償に甚大な損害をこうむったにも関わらず、連合軍の士気は大いに鼓舞され、逆に防戦一方に追い込まれた帝国軍は、厳しい後退戦を強いられる羽目に陥った。
単体ではオーガスレイブはデイモンメイルに及ばない。
問題は数があまりに多いことだ。だから敵をよく分析し、有利な条件で戦わなければいけない。
恐らく敵の先鋒はもう射程圏内だろうが、まだ距離や位置は不明確だ。これは僕側の限界だった。完璧に連結していれば、デイモンメイルの知覚は広域魔法やオーガスレイブの偽装などものともしない筈なのに。
抵抗がないことを確信したのか、オーガスレイブの集団は速度を上げ、いよいよ帝国軍の戦線に差しかかろうとしている。帝国軍の兵士の中には浮き足立つ者もいた。彼等はオーガスレイブへの対抗手段をまったく持たないのだから、当然だ。
砲撃が大地に穿った穴の付近に差し掛かると、黒い影の周囲に紫電が走った。ただでさえ急速な移動のせいで負荷がかかっていた偽装が剥がれ、オーガスレイブの姿がはっきり視認できるようになった。
僕はこれを待っていた。
前面にいるオーガスレイブ達は、近接戦闘に特化したクロウランサーと呼ばれるタイプだった。砲撃戦を受け持つヤクトガンナーがその背後に続き、楔状に展開する典型的な突撃陣形をとっている。
敵総数、二十四体。
先制攻撃の利を考慮すれば、対応可能な数だ。僕は射撃体勢をとった。
最初の獲物は先頭のクロウランサー。
移動速度を加味して、照準を修正。
砲弾に魔力を充填して活性化させ、破甲モードにセット。表面硬度と質量が増していく。
「バトラーより各員へ。これより開店する」
念話を発し、僕は初弾を放った。
ティーガー搭載砲に独特の硬質な発射音が上がり、赤く炎の尾を引く砲弾が彼我の間を飛翔する。砲撃の代償に生気を吸い取られ、視界が一瞬暗くなった。
命中。ぱっと装甲が弾け飛び、爆発の黒煙が上がる。
爆発音が届く頃には、僕は第二射を放っていた。
最初の砲撃と同時にこちらの偽装も剥がれてしまっている。後はひたすら連射するしかない。
発砲の衝撃でティーガーの体や周囲の地面から土埃が舞い上がる。
僕は淡々と獲物を屠っていった。戦いは常にクールに進めるものだ。
五体を破壊したところで、位置を捕捉された。
敵は二手に別れ、ティーガーのいる丘に接近してくる。ヤクトガンナー達は交互に足を止め、牽制砲撃をかけてきた。
ヤクトガンナーはまるで砲に四つ足が生えたような形状で、腕はない。胴体の左右から照準用の目が飛び出し、背面に砲弾を詰め込んだ弾薬架をぶら下げている。
激しい砲撃を受け、たちまち丘が穴だらけになった。派手に舞い上がる土煙で照準が難しくなる。
機を逃さずクロウランサーが突っ込んでくる。このオーガスレイブは巨大な両腕が特徴的だ。腕と言っても指先はなく、盾と槍を組み合わせたような形状をしている。両腕を交差させて砲弾から胴体を守りながら接近し、敵を串刺しにするのだ。
ティーガーが半包囲されかかった時、一体のヤクトガンナーが横から突き飛ばされたように倒れ、爆発した。操術腔に僚友からの念話が響く。
『フットマンが参加。給仕を手伝います』
水面を割って、横手の河からクルスクが姿を現していた。青い装甲と優美なフォルムを持つこのデイモンメイルは、水底に潜んで伏撃の機会を待っていたのだ。
クルスクは側面からヤクトガンナー達を痛打した。連続した発砲により砲身が焼け、水蒸気が上がった。砲自体はやや細身だが中距離までなら充分な威力があり、射撃速度はティーガーより優速だった。
ティーガーとクルスクはヤクトガンナーに十字砲火を浴びせて、駆逐していく。味方の犠牲を意に介さずクロウランサーは突き進み、丘の寸前まで躍進していた。こちらの懐に飛び込む気だ。向こうは例え全滅してもデイモンメイル一体を破壊できれば、十分得な取引になるのだ。
最後のヤクトガンナーに砲弾を叩き込みながら、僕はウルクに命じた。
「頃合だ。メインディッシュを出せ」
大気を震わせる、重厚な砲撃音が轟く。
放物線を描いて現れた巨弾は、クロウランサーの群れの真ん中に向かってスローモーに落下し、空中で炸裂した。猛烈な爆炎と飛散した破片は、その一つ一つが充分な破壊力を持っていた。
ティーガーは丘の影に、クルスクは半ば水中に身を潜め、破片の雨をやり過ごす。
爆煙が晴れた後、まともに機能するクロウランサーは一体も残っていなかった。
爆心地はクレーター状に抉れている。焼き尽くされた大地は高濃度の魔素で汚染され、今後数年間は雑草一本生えないだろう。
巨弾を放ったデイモンメイル――金色の重装甲を身にまとったトールが、後方の森からのっそりと姿を現した。大きな砲口からはまだ砲煙が漂っている。砲弾が大きい分弾薬架も恐ろしく巨大で、樽を背負っているみたいだった。
僕は破壊されたクロウランサー達の間にティーガーを移動させた。太刀を腰から引き抜くと、ぎこちなく上体を起こしかけた一体の胸部装甲の隙間に剣先を挿し込み、背中まで突き通す。
デイモンメイルやオーガスレイブにも人間と同様に脊髄があり、そこを破壊すれば修復は困難になる。傍らでクルスクも同様に刃を振い、とどめを刺していった。
鎧の内側は柔らかく、ひどく脆いのだ。
戦闘が一段落すると、歓声が耳に届いた。帝国軍の兵士達が手を振っている。
ひとまず危機は去ったように思われた。
クルスクはパンター、トールはシュトゥルムティーガーをイメージしています。




