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侵蝕

 バスク隊はナルーヴァ西岸へ後退を始めた。

 川岸までたどり着き、クルスクが渡河を始める。雨で増水しており足元に注意が必要だ。トールが危なっかしい足取りで続く。

 

 ティーガーは交代のデイモンメイルが来るまで東岸に留まるよう、軍統括本部から指示を受けていた。僕は帝都の様子をうかがった。戦闘はまだ続いているようだ。

 

 避難民達はまた列を作り始めていた。冷たい亡骸と化した人々の間を通り抜け、橋に向かっている。西岸の臨時救護所では負傷者の応急手当が行われていた。

 

 僕はできるだけリラックスしようと努めた。少しでも生気を回復させないと――

 

「また敵がきたぞ」とルーミィ。


 遅れて僕も感知する。接近してきたのは、四体のヤクトガンナーらしい。威力偵察だろうか。さらに詳しく探知しようとした時、軽い眩暈がおこった。

 

「――あっ……?」


 こめかみをずっと押さえつけていた力――そんなものがあるとは気付いていなかったのだが――が、突然消失したように頭が軽くなった。塞き止められていた血液がどくどくと音を立てて流れ出す。麻痺していた神経がよみがえり、視界まで明るくなった。

 

 世界の皮が一枚剥がれたような奇妙な感じ。戸惑いのあまり、僕は意味もなく周囲を見回した。

 

 ルーミィは弾む声で言った。

 

「いささか張り合いがないが、今のお前にはぎりぎりの数であろう。引きつけてから、確実に喰うがよい。――おい、聞こえているのか?」


 返事をしかけて、僕は疑問を覚えた。

 

 そう言えば、外は寒いのにここは妙に暖かいな。


 それは、周囲の壁が熱を帯びているからだ。

 

 どうして熱を?


 空気も、やや湿り気を帯びている。

 

 それは何故?


 匂いはしない。だが、そんなものでごまかせはしない。

 ここは――だから、息苦しいのだ。


「レイモンド? どうした?」

 

 なにかが身をよじっている。

 

 僕の周囲をぴったりと取り囲み、息づいているなにか。

 違う。馬鹿だな、そうじゃない。

 

 僕が、中にいるのだ。

 

 あのおぞましい触手の巣穴。

 いつ襲いかかってくるとも知れぬ怪物の胎内に。



――油断しない方がいい。喰われたくは――



 遅い。もう喰いつかれている。蝕まれている。

 目に見えない触手が細胞の隙間から分け入って、神経に絡み付き、脳髄にまで根を張っているじゃないか。怪物が僕の中に、僕は怪物の中に、もう見分けがつかないほどに侵蝕し合っているじゃないか――

 

「あ、ああっ……ああああーっ!」


 絶叫が狭い操術腔に反響し、鼓膜を打った。悲鳴はこみ上げてきた吐瀉物によって途切れ、僕は全身を悪寒に震わせながら嘔吐した。



 駄目だ。



 ここにはいられない。

 こんなところにいたら、怖い、あれが、また、喰われ、僕を、入るな、僕の中に入って、やめろ、出て、出て行かないと――

 

「レイモンド! 落ち着け、接続が切れて――」


 細い腕の感触に、本能的な嫌悪と恐怖が走った。力任せに振り解き、僕は前方の壁に体当たりした。ぶつかっても叩いてもびくともしない。壊れない。出られない。

 

 

 当たり前だ。砲弾の直撃に耐える分厚い装甲だぞ。



 わずかな理性が操作手順を想起させた。胸部装甲が前方に倒れこみ、水平になったところで固定される。僕はその上に這いずり出た。


「あっ、くっ、はぁっ、はぁっ……」


 雨が髪を濡らし、体温を急速に奪っていく。

 冷たい空気が肺に流れ込み、破裂しそうに脈打っていた心臓の鼓動が収まっていく。地面まで軽く十メートルはある。飛び降りるのは危険だ。ここからどうやって――

 

 待て。飛び降りるだって?

 

 たった今逃げ出してきた怪物の穴を振り返る。

 尻餅をついて、凍り付いたような表情で僕を見ている少女。

 

 なんだ? ルーミィはどうしたんだ。


 なにがあった?

 いや、僕はなにをした……?

 状況を把握する前に、今度はルーミィが悲鳴を上げた。びくんと体が跳ね上がり、弓なりにのけぞると、彼女は床に倒れてしまった。


「ルーミィ……! うわっ!」


 ぐらりと足場が揺れ、僕は胸部装甲にしがみついた。突然ティーガーはバランスを崩して前のめりに倒れ始める。巨人はそのまま地面に激突し、僕は泥の中に振り落とされた。

 

 痛みに顔を顰めつつ、身体を起こす。

 ティーガーは地面にめり込んでいた。特に足元はひどく抉れており、脛の辺りまで埋まってしまっている。まるで自重軽減が効いていないようだ。いや、そもそも炉の作動音が聞こえない。


「馬鹿な、境界炉が勝手に停止するなんて!」


 派手な水音に振り返るとナルーヴァ河から大きな水柱が上がっていた。渡河中だったクルスクが転倒したらしい。トールは倒れこそしなかったが、河の中央付近で動きを止めてしまっていた。

 

 僕は愕然とした。クルスクやトールの境界炉も止まったのだ。



 連合軍の強制干渉――!?



 あり得ない。稼動中のデイモンメイルは莫大な魔力の塊だ。よほどの触媒でもない限り、外部からの干渉など不可能だ。

 しかし、この停止現象が外部的な要因によるものであるのは明白だった。ふらふらと立ち上がった僕は、帝都から上がる爆煙に気付いた。煙の大きさから見て相当大規模な爆発だったようだ。

 

 なにを思う間もなく砲撃音が響き、トールの周囲に水柱が上がる。

 接近してきたヤクトガンナーが撃ちかけてきたのだ。


「ウルク! ウルク、脱出しろ!」


 僕は怒鳴ったが、何百メートルも離れたトールの中まで聞こえるはずがない。発砲音が続けざまに轟いた。敵は倒れたティーガーやクルスクは遺棄されたものと見なしているらしい。直立して停止したままのトールは格好の標的にされ、直撃弾を喰らった。

 

 いかに重装甲とは言え、魔力が切れた状態で背面を撃たれ続ければそう持ちはしない。敵弾はついに装甲を貫通した。

 

 トールの内部で砲弾は炸裂し、胸部装甲が吹き飛ぶ。僕は破片を避けて地面へ伏せた。

 確認しなくともメイルライダーの即死は明らかだった。


「くそっ……馬鹿野郎っ!」


 自分でも誰に対しての言葉なのかわからなかった。背後からヤクトガンナーの足音が響く。恐らく僕はとっくに捕捉されている。メイルライダーの制服は独特だから、見逃してはくれないだろう。

 

 こうなったら河に飛び込むしかない。あの濁流なら敵の知覚から逃れられる。果たして泳ぎきれるだろうか。

 

 それ以前に川岸までたどり着けるかどうかが問題だ。とにかく全力疾走する以外、選択の余地はないと思った。

 

 ティーガーの傍に倒れた、小さな人影を見るまでは。

 

「――! ルーミィ!」

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― 新着の感想 ―
[一言] 頑張れ!頑張れ!!
[一言] もともとが無理に無理を重ねたシステム設計。 そこに更に負け戦。 これはきついです。
[一言] ルーミィたあああああああん!?!?!?
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