ダンスタイム
顔を上げ、真正面から僕を見詰めるルーミィの表情。ソレを認識した瞬間、がつんと殴られたような衝撃が来た。飢えた肉食獣が獲物を射程圏内に捉えた時、こんな顔をするのだろう。
血の朱に染まり、らんらんと輝く凶ツ瞳。
淫蕩な吐息が脳髄を痺れさせ、恐怖は歓喜にすり変わる。
命を蹂躙する予感に鼓動は高鳴り、暴力が四肢に漲った。
背筋を抉る激しい恐悦の波。
煌く破壊の衝動に口元が吊り上がっていく。
全身全霊を注ぎ込め。
注意深く完璧に奴等を打ち倒せ。
殺す。壊す。それこそが本領、我等が存在意義。
目も眩む勢いでさらに知覚連結が深まっていく。『デイモン』の銘を与えられた鎧が僕を変貌させ、僕は鎧をすみずみまで掌握した。かつてこれほどの一体感を覚えたことはない。なんでもできる気分だった。
「――ああ。やろう、ルーミィ」
ルーミィはくすくす笑いながら僕の頬に口付けし、宙に溶け込むように消えた。
「こちらバトラー。パーティを開始する」
ティーガーは滑らかな動きで射撃姿勢を取る。
即座に僕は発砲した。砲弾は二千メートルあまりを飛翔し、なにもない空間に命中した。探り撃ちではない。そこにヤクトガンナーがいることを僕は知っていた。そして狙い通りに弾薬架を撃ち抜き、多数の砲弾が誘爆した。
爆発の余波が敵集団の偽装を一気に引き剥がした。
出現したオーガスレイブをざっと数える。六十――いや、七十体近い。連合軍は本腰を入れてダンワース回廊の遮断を狙ってきたのだ。
ティーガーの左手で、巨大な発砲炎が上がった。トールが砲撃を始めたのだ。巨弾の炸裂によって生じた衝撃波が、雨を蹴散らして拡散する。
僕も再び発砲した。閃光、そして爆発。
クルスクは偽装を保って沈黙している。
当たり所にもよるが、この距離ではクルスクの砲弾は弾かれてしまう可能性が高い。砲弾に限りがある以上、もう少し引きつけなくてはならない。
「バトラーから料理長へ。お客をフットマンへ誘導しろ」
「料理長、了解」
視界が悪いため外部知覚に勝るデイモンメイルには有利な状況だった。しかし敵は数が多く、泥濘に足をとられながらも距離を詰めてくる。
戦闘の前半は、凄まじい砲撃戦となった。
「つっ!」
ティーガーの胸部に命中した砲弾が紫炎を上げて跳ね上がった。そろそろ危険な距離に差しかかっている。砲弾は唸りを上げて大気を切り裂き、着弾によって周囲には大きな泥柱が次々と立つ。
クルスクが砲戦に加わり、オーガスレイブを屠っていく。
敵は足並みを乱したものの、すぐに立ち直って反撃する。おまけに綺麗に散開しているので、トールの砲撃は効率を悪くされていた。どうやら戦闘経験をかなり積んだ部隊のようだ。
僕は隠れている詠唱艦も感知していたが、攻撃するには遠すぎた。一縷の望みを託して回廊守備隊の術士へ詠唱艦の座標を伝達する。もし予備戦力のデイモンメイルがあれば捕捉できるかもしれない。後は軍統括本部の判断次第だ。
「バトラーより各員へ。動き回って客をさばけ。足を止めるな」
余りある戦闘意欲とは裏腹に僕の口調は平静を保っていた。多分撃破される瞬間もそのままだろう。
――戦いは常にクールに。
幾度も教え込まれた心得をただ実践するだけだ。
ジグザクに前進し、射線をかわす。
急停止。体の揺れを瞬時に収め、砲撃。
胸部から背中まで砲弾が貫通し、クロウランサーが弾け飛ぶ。発砲する度に失われていく生気を、敵を蹴散らす歓喜が埋め合わせていた。
□
避難民達は地獄の真ん中に突き落とされていた。
オーガスレイブの狙いはデイモンメイルだったが、降ってくる砲弾の量が多すぎた。散り散りになって逃げようとしても鋼鉄の嵐は回廊をすっぽりと覆い、混乱と死が充満した。
「料理長からバトラーへ。デザートが仕上がりました」
ウルクからの念話。搭載砲弾が少ないトールは次の一発で弾切れになるという意味だった。ティーガーの残弾も少ない。
僕等は奮戦していたものの数の圧力には抗し難く、徐々に後退を強いられている。既に帝都と橋を結ぶ街道はティーガーの前方にあり、オーガスレイブの群れが踏み込もうとしていた。それを許せばひどいことになる。
「フットマンからバトラーへ。お開きにしますか?」
カリウスが離脱を打診してきた。
そうすればバスク隊は無事で済むかもしれない。トールの砲撃後、素早く退けば。
馬鹿な。一旦回廊を失えば二度と取り戻せない。
接近戦を覚悟した時、ルーミィが現れた。
「待て、レイモンド。やるのはいいがトールは退かせろ」
確かにトールは接近戦には向いていない。重装甲な分動きが鈍いからどうしても隙が大きくなる。とは言え、今は一体でも多くのデイモンメイルが必要だった。
「そうではない、トールの素体が活性化し過ぎているのだ! 巫子の恐怖と興奮が伝染してしまっている。かなり制御が不安定になっているはずだ」
「なんだって? そんなに危険な状態なのか?」
険しい表情でルーミィは胸部装甲の向こうに顔を向けた。
「危険だ。ここにいる我にも伝わってくるほどなのだぞ。下手すると暴走しかねない」
ウルクは優秀なメイルライダーであり、危険にも鋭敏な感覚を持っているはずだ。彼からなにも報告がないなら――いや。ルーミィがデイモンメイルのことで間違えるはずがない。僕は念話を発した。
「バトラーより各員。デザートが出次第、ダンスタイムに移行する。繰り返す、ダンスタイムだ。ただし料理長はフロアに入るな」
一瞬の間の後、応答の念話が入る。
「フットマン、了解」
「こちら料理長。バトラー、指示の変更を求めます。もう材料がありません。厨房ではなにも――」
「厨房で待機する必要はない。デザートを出したらお客には構わず、帰宅しろ」
反発はあるだろうと思っていたが、ウルクのそれは予想以上に激しかった。
「――拒否します、バトラー。父上になにを言われたかは知りませんが、私は義務を果たします。帝国貴族の義務を」
「料理長、君がどうしたいかは関係ない。命令に従え!」
この大馬鹿野郎と僕は思った。どうやらウルクは公爵が僕になんらかの嘆願――息子を危険な目に合わせないでくれとか――をしたのだと勘違いしているらしい。
「デザートを出します」
一方的に通告し、ウルクは発砲した。水平射撃された巨弾がティーガーの横を通り抜ける。トールは弾切れとなった搭載砲を切り離し、斧を構えて突撃した。
「愚かな。だがもはや止まらぬか。ま、敵に喰われる方が先かも知れんしな」
ルーミィは軽く首を振り、再び姿を消した。
僕は搭載砲を格納状態に移行させた。砲身が九十度向きを変えて天を指し、砲全体が背中に回り込む。トールだけではすぐに袋叩きにされる。援護してやらなくては。どんな阿呆でもあいつは僕の部下なのだ。
「ダンスタイム開始だ。フットマン、遅れるな!」
ティーガーは巨弾が巻き起こした爆煙の中に駆け込んだ。煙に飛び込み反対側へ抜けると、目前に三体のクロウランサーがいた。どれも砲撃によって少なからぬ損傷を受けている。
手近な一体に肩からぶつかり転倒させる。もう一体が向き直った時には鞘走る太刀が相手を両断していた。反応できないうちに最後のクロウランサーも同じ運命を辿った。
側面から新たなクロウランサーが出現。
いや、前方にもいる。そこら中敵だらけだった。
「パートナーには困らないな」
軽く口を歪めて僕は笑った。みんなが僕と踊りたがっているみたいだ。早めに切り上げないと到底こなし切れない。
足元に着弾。複数のヤクトガンナーが四百メートル以内に接近し、こちらを狙っている。この距離から直撃弾を受ければティーガーといえども撃破されてしまう。
しかし乱戦になってしまえば敵も容易には撃てない。
僕は遮二無二ティーガーを駆り立てた。オーガスレイブが固まっている場所を探しては突入し、太刀を振り回す。突き出されるクロウランサーの腕が装甲をかすめ、火花があがる。僅かなミスが死に直結していた。
巨人は僕の意のままに踊った。




