狩の時
僕はルーミィと一緒にあの晩を追体験していた。僕等が互いを裏切ったあの夜を。身体感覚ではほんの数ヶ月前の出来事なのだが、それにしても記憶は細部まで恐ろしく正確だった。自分でも忘れている情報をルーミィは全部拾い集めて再生したらしい。
「――大体わかった。だけど、まだ腑に落ちんことがある」
「なら勝手に見てくれ。今度は僕を連れて行くなよ」
投げやりに答え、僕は座席に背を預けた。
耳の奥に懇願するフィアナの声がまだ残っている。あんな思いは一度で充分だ。何度も味わってはたまらない。
「いや、お前の口から聞きたい。大事なことだ」
断る気力もなく僕は頷いた。どうせ乗りかかった船だ。
ルーミィはちろりと唇を舐めた。緊張しているのだろうか? まさか、今更それはないだろう。
「どうして追わなかった?」
「――え?」
ルーミィは静かに繰り返した。
「どうしてナジール・ロドネイを追わなかったんだ、レイモンド。自分を裏切り、妹を殺して逃亡した奴を」
どうして? そんなの考えるまでもない。
「事件が起こった時、僕は聖堂に入っていたんだ。追いかけたくてもでき――」
「それは嘘だ、レイモンド。できなかったのではない。お前は、しなかった」
「聖堂は気軽に出入りしていい場所じゃないんだよ。一旦入ったら勝手には出られない」
僕は説明したが、ルーミィは納得しなかった。
「だからなんだ? お前は見かけよりもずっと直情径行の男だ。我は聖堂がどんな場所かは知らぬ。だが普段のお前ならとにかく抜け出そうとしたはずだ。誰が止めようとも自分の手で決着をつけようとしたはずだ。だけど、しなかった。何故だ?」
なにを。言っているのか、この少女は。
ルーミィはさらに追求してきた。
「何故だ? なにを恐れていた?」
恐れる? 馬鹿な。僕が恐れるはずはない。ここにいる以上、僕に恐れるものなどない。それが自身の死であろうとも僕はティーガーに――
「……あ」
「そうだ。お前はティーガーを失うことを恐れた。聖堂を抜け出してデイモンメイルを取り上げられることを恐れた。妹の復讐よりもティーガーを優先したのだ。違うか?」
その言葉は、すとんと僕の胸に落ちた。
そう――なのか。
そうなのだ。僕はとっくに選んでいた。
友よりも、妹よりも、この巨人を選んでいた。聖堂に留まったことで僕はそれを証明していたのだ。
ああ、だからフィアナは。
彼女が僕に捨てられたと思ったのも無理はなかった。
僕等三人の間に紡がれていたもの。忘れえぬ思い出や常変わらぬ情愛、断ち切れない絆。そのすべてを投げ捨て、踏み躙ってでも僕を引き止めようとしたフィアナ。
妹の激情が怖くて僕は逃げた。
フィアナを追い詰めたのは僕なのに、なにもかも放り出して聖堂に――ティーガーに逃げ込んだのだ。そしてさらにそれがナジールを暴挙へ誘った。この連鎖はいつ始まってしまったのか。
だけど――僕のせいじゃない。少なくとも僕だけが悪いんじゃない。
そう思うことはできるし恐らくそれは事実だ。
でも、だからなんだ? そんな言い訳は通用しない。
止めるチャンスは確かにあったのに僕は逃げた。
そしてそれは取り返しのつかない悲劇を招き、皆が不幸になった。無関係な人々も大勢巻き込まれてしまった。
ナジールに復讐する?
フィアナを助ける?
一体、どの面下げてそんな傲慢を言えるのだ。
「――僕は……僕がフィアナを……」
「よさぬか、馬鹿者。我は自虐に付き合う趣味はない!」
ぴしりと言い放ち、ルーミィは僕の膝から降りた。操術腔内は狭いが彼女は背を伸ばして立つことができる。さらに何事か言いかけてルーミィはぴたっと動きを止めた。
瞳の虹彩がきゅっと縮み、薄い胸が大きく隆起を始める。
口の端から微笑みをこぼし、彼女は嬉しげに囁いた。
「きた……!」
外部知覚からの情報が僕にも転送される。オーガスレイブだ。
方位――二時方向だ。扇状に広がって、直進してくる。
数――少なくとも五十体。こちらの味方はクルスクとトールのみ。つまり、戦力比は十六対一以上だ。遠距離砲戦で数を減らさなくては勝ち目はない。
「細かいことは後だ。レイモンド、これはお前が選んだ道だ。ぐだぐだ悩む前にまずは得たものを知れ!」
ティーガーとの知覚連結が一気に回復。自分の体が拡大される感触が走った。
「あっ……くっ……!」
この感覚。己ならざるものと繋がり、同調し、変貌する、この歓喜。ヒトの限界は既にそこにはない。奈落の底に羽ばたくような、天空に堕ちるような、螺旋の快楽。僕等はお互いをすんなりと受け入れ、一つに融合した。僕は強く奥歯を噛み締め、オーガスレイブの群れを睨んだ。
そうだ。今はとにかく戦おう。どうせ僕はそれしか能がない。
念話で襲撃警報を発する。
「バトラーより全部署へ。パーティタイムだ、歓迎準備にかかれ」
情報を告げつつ、ティーガーを立ち上がらせて移動を開始する。どの道隠れる場所はないが、せめて避難民達の方へ流れ弾がいきにくい位置へ占位すべきだった。
本来索敵を務めるはずの術士から念話が入る。
「庭師よりバトラーへ。こちらはまだ客が見えない」
「まだわからんのか、阿呆が! この程度の雨と欺瞞術式など――」
僕はルーミィの口を掌で塞いだ。
「……バトラー? なんだって?」
術士は怪訝な調子の念話を返してきた。デイモンメイルから少女の声で罵倒が聞こえてくれば、彼でなくともそうなるだろう。
「なんでもない。こちらでホールにご案内する。各員、前倒しで進行させろ」
カリウスとウルクから了解が入る。彼等もまだ正確な位置を把握できていないようだ。
手を離したとたん、ルーミィは嬌声をあげて僕の首根っこにしがみついてきた。テンションが上がり過ぎて、己の行動を抑制できないらしい。付いていけないものを感じ、僕は彼女を引き剥がそうと――
「きたぞ、レイモンド! 狩の時だ! 我等の時だ!!」




