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ぬかるみ

 装甲を流れ落ちる冷たい雨の感触に、僕は肌を粟立たせた。実際は操術腔の中は常に一定温度が保たれ、充分に暖かい。


 足元のぬかるみは、午前中よりもひどくなっている。境界炉から発生する魔力をもう少し自重軽減に回さないと、身動きが取れなくなりそうだ。


 帝都は薄い灰色の影にしか見えない。雨靄を透かしてちかちかと瞬く着弾の光とかすかな振動だけが、激しい戦闘の余波をここまで伝えている。


 連合軍の帝都攻撃は、一時間前から第三波が開始されていた。


 ティーガーは早朝からここで待機していたが、帝都前面は担当戦区外のため、未だ一発の砲弾も放っていない。途切れ途切れに入る念話によると、防衛にあたっているデイモンメイル達は連携して戦い、オーガスレイブの大波に耐えている。連合軍は重砲をつるべ撃ちにして援護の弾幕を張っているようだが、今のところ突破の見込みはない。


「……」


 僕は周囲の状況を繰り返し探査していた。

 胸中の焦りはおくびにも出さず、積み重ねてきた訓練に従って淡々と作業をこなしている――つもりだった。ナジールとフィアナのことが頭をかすめ、瞼を閉じてティーガーの外部知覚に集中しようと努める。


 ダンワース回廊周辺はまだ平穏だ。

 ティーガーの二百メートル後方には脱出する避難民と負傷兵達の列があった。帝都から延々と伸びるヒトの群れがナルーヴァ河にかかる橋へ続いている。

 橋の向こう側――西岸の街道上も避難民達で溢れ返っており、東岸から続々と渡ってくる人々との合流地点はひどく混雑していた。見ていると苛々する位に進まない。


 まずいな。ここでもいつ戦闘が始まるか――


「他人のことに気を取られている場合か?」


 ルーミィが突然膝の上に現れ、僕はぎょっとした。思わず声を尖らせる。


「邪魔しないでくれ。今は任務中だ」


 言った途端、ティーガーとの知覚連結が切断された。


「おい、ルーミィ!」

「動きがあれば我が知らせてやる。それより、もっと大事なことがあろう。お前は我を恐れている。今日に至るまでずっと我を受け入れず、心を閉ざしている。何故だ?」


 またこの話か。出会って以来、こればっかりだ。

 彼女が僕を強く求めていることは、もう理解していた。可能なら受け入れてあげたいとは思う。


 だけどヒトはそう簡単に自分の心を操れない。フィアナとあんな再会を果たした後ではなおさらだ。僕は鬱屈を堪えて彼女をたしなめた。


「なぁ、せめてその話は任務が終わってからにしないか?」

「駄目だ。我も可能な限り努力しているが、もう猶予がない……!」


 ルーミィは僕の胸倉を掴み、ぐいと引き寄せた。吐息がかかる距離に未成熟の美貌が迫る。昨日見たフィアナの面影が鮮烈に脳裏に浮かんだ。顔は似ていないが、ルーミィとフィアナにはデイモンメイルの化身が持つ、どこか共通した雰囲気があるのだ。

 僕は目を逸らした。


「それをやめろ! 我を見ろ、レイモンド!」


 だん、と彼女は僕の胸を叩き、縋るような声を絞り出した。

 いや実際そうなのだろう。ぎこちなく視線を戻し、紅の瞳と向かい合う。彼女が感じている痛みがじかに伝わってくる気がした。


「ルーミィ……困らせないでくれ。急に現れて、どうして受け入れないと言われても、応じる術がないんだ。僕はそんなに器用じゃないんだよ」


 デイモンメイルと任務。自分にわかるのはそれだけだ。それ以上、複雑なことは手に負えない。まして、他人の感情など邪魔なだけだ。


「違う」

「違う? なにが違うって……」

「お前の求めに応じて我は生まれたのだ! たとえ世界中が我を恐れ、否定し、排斥しようと構わん。だが、お前だけは……我を求め、呼んだお前だけは、我を信じてくれ!」


 ルーミィは手から血の気が引くほど、僕の服を固く握り締めていた。彼女は――恐れていた。心の奥底から恐怖していた。それがわかっても僕にはどうしようもない。


「……すまない。だけど、僕には覚えがないんだよ。本当に」

「それは嘘だ、レイモンド。お前は信じられるなにかを、確かな絆を求めている。今も強くそれを求めているのだ。妹を殺された――それだけではあるまい。誰かがお前を決定的に裏切った。その傷がお前を歪ませ、痛みを生んでいる。そうであろう?」

 

 自分の顔色が変わるのがわかった。

 

 そこに触るな。それを穿り返すな。ずかずか踏み込むな。君には関係ない。お前になにがわかるんだ。


 僕の――僕の痛みを何故知っているんだ。


「お前の血肉を得て、お前の痛みがわかった。体ではなく――魂の痛みが。その苦痛が我を呼んだ。同じ苦痛を持って我は生まれたのだ。それがなにか、教えてくれ」


 揺らぐ双眸とわななく唇。額に汗の玉を浮かべ、呼吸も荒くなっていた。ルーミィは必死になにかに耐えていた。


 みんな揃いも揃ってなんなんだ。だからこんなのは脅迫と同じだろうに。

 僕はまだ子供だ。自分の感情で手一杯の餓鬼なんだ。


 だけど、もし。彼女の言うことが本当なら。僕と同じ苦痛を彼女が感じているのなら――僕はそれを放置できない。できた試しがない。


「我を受け入れてくれ。このままでは――我は――我は――」


 気付いた時には手遅れだった。

 僕はルーミィの手を取っていた。僕を『兄様』と呼んだ少女の手を取ったように。


 おずおずと握り返してくる震える指先。それを誰が振り払えると言うのか。畜生、こんなのはフェアじゃない。全然フェアじゃない。


 彼女が落ち着くのを待って、僕は尋ねた。もう半ばやけになっていた。


「具体的にはどうすればいいんだ? のんびり話してる状況でもないけど……」

「うん――時間がない。我が勝手に見るから、お前は抵抗しなければいい」


 そう言ってルーミィは顔を寄せてきた。額と額を軽く触れ合わせる格好になって、僕等はどちらからともなく瞼を閉じた。


「ティーガーと繋がる時と同じだ。ただし、今回はこちらから侵入する。どうしても見せたくないことがあったら、そこだけブロックしろ」


 ブロック?


 そんなことどうやって、と言う暇もなくルーミィが僕の中へ入ってきた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 心の中に入られるのは怖いですね (;'∀') 自重で沈む設定は好きです (*´▽`*)
[一言] 自ら求めて生まれたもの? 傷を負った心はそれを受け入れられずにいた?
[一言] >そんなことどうやって、と言う暇もなくルーミィが僕の中へ入ってきた。 意味深( ˘ω˘ )
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