怪物
ルーミィは覚えが早い。早くて、ちょっと頭にくる位だ。
疲労は体の芯まで染み込んでいて、僕は上手く言葉を返せなかった。正直、肉体労働は得意じゃない。
「あれは――フィアナなのか……?」
言ってしまってから、気付いた。ルーミィはフィアナのことを知らない。聞いたってわかるはずがないのだ。案の定、彼女は聞き返してきた。
「ヴァルヴァラの神のことか?」
「ああ……姿も声も昔の僕の妹にそっくりなんだ」
僕は思い切って、フィアナのことやナジールが起こした事件のことをかいつまんでルーミィに話した。
「ふむ……ヴァルヴァラの生贄にな。そうか、それで我を呼んだか、お前は。年齢のことは大体想像がつく。恐らくヴァルヴァラの神は、あの姿をしていた頃に戻りたがっているのだ。なにかいい思い出でもあるのだろうな」
ルーミィの指摘には思い当たる部分があった。妹との誓いを一番しっかり守っていたのは、きっとあの位の年頃だったろう。
「我等のカタチは本質を反映しているのだ。容姿が瓜二つであるなら、性格や記憶もそのまま受け継いでいる可能性が高い」
「じゃあ、あれは本当にフィアナなのか。フィアナが生きている……いや、生き返ったのか……!」
僕は思わず叫んでいた。感情の出口が小さ過ぎてもどかしい。言葉では胸中に渦巻く想いを表現し切れなかった。
しかし、ルーミィはあっさりと否定した。
「違う。お前の妹は死んだのだろう? 死者は生き返らぬ」
夢で見た映像が脳裏をよぎり、僕は頭を振った。
「ナジールも言っていたじゃないか! あれはフィアナだと」
もし、そうなら。
例えデイモンメイルの化身としてであっても、一つの存在としてフィアナが結実しているなら――
「どうにかして、救う手立てはないのか? 例えばヴァルヴァラを捕獲して……」
「ほう、それでどうする? 桶の水ではないのだぞ、どこか他へ移すとでも?」
「とにかく、フィアナを助けてやりたいんだよ! あの枷を見ただろう?」
ルーミィに当たっても仕方ない。
それがわかっていても、僕は自分の口調が荒くなっていくのを抑えられなかった。対して、ルーミィはあくまで冷静――いや、僕を冷たくあしらおうとしているように感じる。
「枷は安全措置であろうな。自分が生贄にした女とそっくりの神が生じたのだ。用心しても不思議ではあるまい」
「――っ! 君はどっちの味方なんだ!」
「やれやれ、一から話さないとわからぬか」
ルーミィは僕の正面に立つ。松明の灯を背に受け、彼女の姿は影法師となった。
「喰われた人間の経験や知識は、デイモンメイルに蓄積される。我はその情報の海から生じたものだ。だから特定の誰かの性格を受け継いだわけではないが、ヴァルヴァラの神は違う」
暗く翳った少女の顔からは、表情が掻き消えていた。
「お前の妹は治療法術士を目指していたのだろう? 護符の出来栄えからして、相当な才能を持っていたはずだ。それは神を寄り憑かせ、同調する巫子――お前達の言うメイルライダーとは真逆の才だ。治療中に患者の呪いを貰ったり、苦しみに共感し過ぎてしまったりでは、治療法術士は勤まらんからな。我の推測ではあるが、妹が己の資質を保てたのはそのためだろう」
「それなら、やっぱりフィアナは生きているのと変わらないじゃないか……!」
妹が生きているなら、償いたいことや、やり直したいことが沢山あった。僕はその可能性にすがりつきたかった。
「違う、レイモンド。確かに妹の感情も記憶も、ヴァルヴァラに蓄えられておろうさ。だが、『これから』はない。あるのはただの過去、変えようのない単なる情報に過ぎぬ」
淡々と言葉を継いで、ルーミィは僕の希望を切り裂いていく。
「問題は、バラバラにされて再構成されるはずだった情報が、特定の人間の情念によって支配されてしまったことだ。本来カタチのない妄執や怨念が、凝り固まって物質化したようなものさ。確かに資質は保った。だが、あれはもう根本的に歪んでいるのだ」
「そんな――」
「我との戦いを見たであろう? あれが殺した者達を見たであろう? 我にはわかる。あれはただ命じられたから殺したのではない。嬉々としてヒトを捻り潰し、血肉を啜ったのさ。闘争に身悶えする快楽を覚え、心底殺戮に酔い痴れる。それがあれの――いや、我等の性根なのだ。お前もよく知っているようにな」
言葉がなかった。彼女が話してくれた内容には真実の重みがある。推測も多く含まれていたが、直感的に正しいと思えた。
それなら僕はどうすればいいのか。
この惨状を望んで現出させたのだとすれば、ソレは間違いなく怪物だ。かつての妹とはかけ離れた存在だ。ならば――ならば、なにをすべきなのか。どうやって止めるべきなのか。
例えばフィアナを――僕がフィアナを? 僕が――
嫌だ。そんなことは、とてもできない。
頬にそっと指先が触れる。小さな掌は、僕が顔をそむけるのを許さなかった。
「お前の妹は生きているのではない。ただ、いる――いや、在るだけだ。もうモノと同じなんだよ、レイモンド。お前の手は届かない。救う方法なぞ、どこにもない。償えることも」
ルーミィはどこか悲しそうな表情になっていた。
「やり直せることも、ない。なにもないのだ」
ごく静かに下された、逃れようのない事実の宣告。
数日後、連合軍は帝都総攻撃を開始した。




