敵意
見ると、ルーミィが僕等の頭上に浮かんでいた。
もうなんでもありだなこの娘は。他人を見下ろすのが好きなのだろうか。
「呼び名は大事なのだ。ヒトが強く思うカタチに我等は変わるのだからな」
ルーミィはちょうど僕とぴったり視線が合う位置まで降りてきた。
そこで停止し、じっと僕の顔を見る。よくわからないが、機嫌が悪いみたいだ。
「……」
「……」
居心地の悪い沈黙が続く。なんだって言うんだ?
付き合いきれず、僕はさりげなく視線を逸らした。ポールの部下達は作業の手を止め、こっそりこちらの様子を伺っている。一方、彼等のボスは僕と彼女の間に流れる緊張を孕んだ空気を無視して、朴訥な調子で自己紹介を始めた。
「ポール・クラフトだ、ティーガーの神よ」
「――ルーミィと呼ぶがいい」
返事をしたものの、彼女はちらともポールを見ない。視線は僕に固定されたままだ。構わず、ポールはルーミィに話しかけた。相変わらずの無表情だが、内心は彼女に興味津々なのだろう。
「話は聞いていたか? 素体の――」
「ティーガーは我が完璧に制御している。結界も沈静儀式も調整も今後は不要だ」
「不要? なにもか?」
「いらん。我という自我が生じた以上、素体は安全だ」
聞かれたことには答えているが、やはり視線は動かない。そのくせ、彼女はどんどん不機嫌になっていくようだった。
「もうヒトは喰わないのか?」とポール。
「我が命じぬ限り、ない」
「……デイモンメイルとは、なんなのだ?」
「蛹だ。デイモンメイルはヒトの血肉を貪って成長し、蝶になる日を夢見て眠る魂なのだ。そして条件が揃った時に覚醒して、我等のごとき存在を生す」
喋りながら、ルーミィはあからさまに僕を睨んでいた。これはもう敵意に近いのではないだろうか。わけがわからない。
「だが、覚醒しただけではまだ完全ではない。我が完全になるには羽化することが必要だ。そうなれば、我とティーガーはヒトの手を離れるだろう。羽化することこそが、我の目的なのだ!」
彼女は――もしかして、僕に話を聞かせたがっているのか。
いや、そんな馬鹿な。目の前で話しているんだから、どうしたってポールとの会話は僕の耳にも入る。別に睨み付けてまで注意を引く必要はないはずだ。
女性は僕には理解し難い理由で拗ねることがあるが、これもそうなのだろうか。
ショックを受けたのか、ポールは喉の奥で重い唸り声を上げた。
確かに職業上の常識がまるごと引っ繰り返るような話だったろう。
最初は僕等を遠巻きにしていたポールの部下達もルーミィの話に刺激され、最初の一人が口火を切ると次々と質問を浴びせ出した。ルーミィはこちらを睨み付けたまま、淡々と答えていく。頬に彼女の視線が突き刺さってきたが、僕は視線を背け続けた。
僕を嫌うのは向こうの勝手だが、理由が全然わからないのはやはり気に食わない。こっちにだって意地もあれば好悪もあるのだから。
「――羽化はどうやってするんですか?」
「祈りだ。巫子が祈りを捧げるか、祭壇に――」
唐突に言葉を切り、ルーミィは黙り込んだ。
「……」
そのまま十数秒が経過した。問いを発した者がなにか言いかけたが、ポールは視線で彼の口を閉ざした。仕方なく、皆黙って待った。いつまでも待った。
「……」
とうとう沈黙に耐え切れなくなり、僕はルーミィを促そうとした。幸い僕はポールの部下ではないし、こんな状況にいつまでも付き合わされたくなかった。
だが僕と目を合わせた瞬間、彼女の怒りは頂点に達したらしい。
「――お前はっ……!」
硬く引き結んでいた唇を裂いて、怒声が響く。
「お前だけ、どうしてなにも聞かないんだっ!」
「――なんだって?」
「お前は我の巫子で、我はお前の神だぞ。それなのに、お前だけなにも聞かぬではないか!」
思わずあんぐりと口を開けてしまう。なにを言い出すかと思ったら、こんな話か。
僕は巫子じゃない――と言っても通用しないんだろうな、きっと。
「気にしてたなら悪かった。だけど、役割ってものがあるんだよ。君に質問するのはカリウスがやることになっていたんだ」
「嘘をつけ! お前は我に関心がない。いや、我を締め出そうとしている!」
「そんなつもりはないよ。僕だって話はちゃんと聞いていたし、それでいいだろ?」
「言っておくが、ティーガーは我が制御している。あまり我を怒らせるな。我が拒否すれば、お前はあれには乗れないのだぞ。二度とな!」
頬を張られたような気分になり、僕はかっとなってしまった。
「ティーガーは僕のデイモンメイルだ!」
「だったら、我を見ろ! お前は己のためにあれを従わせることしか考えておらぬ! ちゃんと我を見、我を知り、受け入れろ! お前は我を厄神にするつもりなのか!」
付き合いきれない。本当にこんな話には付き合いきれなかった。
厄神とかなんとか、僕には関係ない。突然現れて、わけのわからないことばかり言われても迷惑だ。おまけにこんな場所で言い争いなんて、まるで晒し者じゃないか。
「いいか、僕には任務があるんだ! 邪魔をしないでくれ!」
僕の怒りは、ルーミィの冷笑を招いただけだった。
「は、笑止な。任務だと? 馬鹿を言うな、レイモンド。我に誤魔化しはきかぬぞ」
「君になにが――」
「お前が戦うのは己のためだ。己がそうしたいと思うから、お前は戦う。ティーガーに乗り、壊し、殺したい。それだけであろうが? もっともらしいお題目を並べるのはやめろ、見苦しいぞ!!」




