調整施設
公爵邸の調整施設は蔦で覆われ、木々に取り囲まれている。
大きいばかりで趣きなど欠片もない外観が、少しでも来客の目に触れないようにとの配慮だ。デイモンメイルを最大四体収納・調整できるほどの施設ともなれば、いかに公爵家といえども、装飾より実用性を重視して設計せざるを得なかったのだろう。
広大な施設の内部では、大勢のメイルチューナー達が忙しそうに動き回っていた。鋼をハンマーで叩く音が響き、様々な匂いが入り混じった異臭が辺りに漂っている。
僕が施設の通用口をくぐると同時に、がっしりした体型をした壮年の男性が立ち塞がった。ティーガーのマスターチューナー、ポール・クラフトだ。
彼は平均的な帝国臣民と同じ見解を持っている。
つまり、移民を嫌っているのだ。
ポールは汚れた手に饅頭を掴んでおり、まるごと口の中に放り込むと数度咀嚼して飲み下した。彼は僕を無表情に見据えて言った。
「関係者以外、立ち入り禁止だ」
いきなりそうきたか。
「僕は関係者のはずだけど?」
「お前はメイルチューナーじゃない。俺が呼ばない限り、こことは関係がない」
もじゃもじゃした眉をひそめ、ポールはきっぱりと言った。
あんまりきっぱり言うので、もしかして彼が正しいのかと思いかけてしまった。
「僕はバスク隊の隊長だ。自分のものを含めて、全デイモンメイルの状態を知っておく必要がある。それを僕に教えるのはあなたの役目だろ?」
「報告書は出す」
妥協の気配さえない返事。僕は壁に話しかけているような気分になった。
いっそ怒鳴りつけてやりたいが、そうもいかない。
僕等メイルライダーは軍統括本部直属の人員だが、デイモンメイル自体は帝国魔導院の管轄でメイルチューナーもそちらの所属なのだ。
だから僕はポールに命令することは出来ない。魔導院に抗議すればポールは叱責され、マスターチューナーを外されるかもしれないが、僕はそうしたくなかった。
残念なことに、彼は抜群に腕の良いチューナーなのだ。
「もちろん、そうして貰いたいね。だけど先に自分の目で確かめたいんだよ。まさか書面で要請しろって――」
「そうして貰いたい。移民は場を弁えずどこにでも入り込むらしいが、俺の領分では許さん。素人にうろちょろされるのは迷惑だ」
僕はゆっくり五数えた。
こんな時、人種絡みで言い返すのは逆効果になる。
「本気で言っているなら、あなたは僕の想像以上だ」
表情を変えないものの、ポールの瞳に訝しげな色が浮かんだ。
「僕の想像以上の間抜けだ、って言っているんだよ。理由を知りたいか?」
「……」
「お互い義務がある。僕等が協力し合うこともその一部だ。それが好きかどうかは関係ない。もし誇りがあるなら、義務はきちんと果たすべきじゃないのか。こんな風に不快な思いをしながら時間を浪費するのが、あなたの――」
「――修復に二日、組み上げと調整に一日」
突然ポールは説明を始めた。まるで独り言のようだ。
「つまり最短でもあと三日はかかる?」
彼はわずかに顎を揺らした。頷くのも面倒らしい。
それにしても、さらに三日もティーガーには乗れないのか。ある程度予想はしていたが、身を焦燥が焼く。葛藤が表に出てしまったらしく、ポールは警告してきた。
「俺が三日と言ったら――」
「三日かかる。わかっているよ。せかしたことはないだろ?」
「ある」
「僕がいつ――」
「初期調整の頃だ。お前はもっと早くできないのかと言った」
ああ……いや、待ってくれ。確かにそんなこともあったかもしれない、けどね。
どうやらポールは僕がメイルライダーになったばかりの頃に発した質問を、しつこく恨んでいたらしい。いい歳して、なにを考えているんだ。
「わかった、僕は言ったよ。でも、もう言わない。少なくとも今は自分の技量と同程度にあなたの技術と判断を信頼しているからね。これは本当だ」
「――」
数瞬の後、くるりと背を向けてポールは調整施設の中へ歩み出した。
「培養槽だ」
無表情かつ言葉足らずなのでわかり難いが、どうやら僕を案内するつもりのようだ。ひっそりとため息をついて、僕は彼の後を追った。
疲れる。
疲れるが、正面攻撃してくる分、ポールには対処しやすい。
デイモンメイルは個体差が大きいので、一体ごとに専任のマスターチューナーがつく。ポールはもう三十年近くティーガーのマスターチューナーを務めており、大勢のメイルチューナーを統括する立場にあった。
「クルスクは今夜終わる。トールはまだ沈静中だ」
僕は呪紋が描かれた巨大な二つの天幕を見上げた。右の天幕の隙間から、もうもうと炊かれた沈静香の煙が漏れ出ている。つまりそちらにトールが入っているのだろう。
施設の反対側まで歩くと、四方をぐるりと手摺に囲まれた巨大な穴があった。穴の中は刺激臭を放つ半透明の液体で満たされている。デイモンメイルの培養槽だ。
水面すれすれに見える影は、ティーガーの頭頂部だった。
装甲は全部取り外されており、素体表面に幾本もの細い杭が差し込まれている。杭の先端に括り付けられた制御符が水流に煽られ、海草のように揺れていた。さらに奥の方では搭載砲が分解されており、各部品を数人がかりで清掃している。
「装甲は向こうだ」
ポールが指差した先には別の穴があり、そちらには装甲がまとめて浸かっていた。装甲の破損部分から激しく泡が上がり、水面が沸き立っている。順調に再生されている証だ。
この施設の培養槽はちゃんと二つあるから、作業は比較的楽だろう。装甲と本体では薬液が違うため、同じ培養槽を使いまわすと一々清掃しなければいけない。
ポールは首をくきくきと鳴らした。
疲れているようだが、やはり顔には出ない。
「足周りはやっかいだった。あれだけやられていると、薬液に漬けても自己修復だけではどうにもならん。腱を繋ぎ直し、筋肉を張り替えた。骨格が無事で助かった」
珍しい。
こんなに喋るポールは初めてじゃないだろうか。
「わからんのは操術腔だ。損傷の割に綺麗すぎる。素体自体も妙に落ち着いていて、沈静儀式もいらなかった。損傷した素体は興奮して攻撃的になっているはずだ。普通は沈静に何日もかかる」
ポールは無表情にこちらを見た。
「俺はまだ会っていないが。お前が連れてきたティーガーの化身――」
「神だ」
どこからか、短い訂正の言葉が降ってきた。




