厄神
「ああ、つまり……つまり、どういうことなのかね?」
僕の話は公爵閣下の理解を越えてしまったようだ。当事者だった僕だってそうなんだから、当然だ。公爵邸の執務室に集った人間の中で理解できている者など、一人もいなかった。
そしてやっかいなことに、ルーミィは今現在も話をややこしくしていた。
彼女は重厚な机の上に腰を下ろし、編み上げブーツを履いた両足をぶらぶらさせていた。ダークブラウンのタイツに包まれた太股は引き締まっており、俊敏そうだ。
濃い金髪を引き立てている漆黒の服は、メイルライダーの制服とよく似た意匠が施されている。ただ、僕等は体にぴったりフィットしたショートドレスは着ないし、胸元に宝石を飾ったりもしない。可愛らしくはあるが、戦争向きのファッションではないだろう。どちらかと言えば夜会用のシックな装いみたいだ。
まぁ服装は別にいい。よく似合っている、そう言ってあげてもいい。
問題は――彼女が右手に持つタンブラーにあった。
「ふむ。ふむふむ。ほほーっ、なかなか良いな。うむ、悪くない神酒だ」
なみなみと注がれていた蒸留酒をきれいに飲み干し、ルーミィはご満悦そうだった。執務室に入った途端、彼女は目ざとく酒棚を見つけ、当然のように振る舞いを要求したのだ。
室内にはアルコールの匂いが立ち込め、周囲には半端ではない数の空き瓶が散らかっていたが、本人は頬をほんのり染めている程度だった。
「だから、これは、どういうことなのかね!?」
公爵はもう半泣きになっている。棚に並んでいた瓶だけではなく、地下に秘蔵していた彼自慢のコレクションまで荒らされてしまったのだから、無理もない。
明白な非難が込められたものを含め、室内中の視線がルーミィに注がれていたが、本人はあまり気にしていないようだった。
「その事実って奴を確認したいんですがね。つまり、この娘はティーガーの化身――」
「神だ」酒を注ぐ手を休めず、ルーミィが訂正する。
「そりゃ失礼。ですが、あなたが神なら祭壇と巫子はどこに?」
「祭壇はあれで」
ルーミィは瓶を振って窓から見えるデイモンメイルの調整施設を指した。
ティーガーはあの中で修復中である。
「巫子はこれで」
今度はタンブラーを僕に付きつける。失礼な娘だ。
最後にルーミィはにんまり笑った。
「神は我だ。どうだ、全部揃っているぞ」
「――信者の方々は?」
「おらん。と言うか、別にいらん」
「なるほど。最小構成ですな」
カリウスは不自然な咳払いをした。さすがの彼もいつもの調子が出ないようだ。
ロアン大陸に神々が君臨したのは遥かな過去である。それでもヒトならざるモノの前では多少の萎縮を覚えてしまうものだ。
結局、ヒトは神ではない。
ましてそれが年端のいかない少女の姿をしていれば、誰だってやり難いだろう。
「で、お嬢さんがティーガーから生じた神だとして、その――なにをする神なんで?」
ルーミィはあっけらかんと答えた。
「殺すこと。壊すこと。神もヒトもモノも分け隔てなくな。それが我のすべきことだ」
「馬鹿な、それじゃ厄神じゃないか!」
ウルクが叫んだ。ルーミィはじろりと彼を睨む。
「阿呆。厄神は本質を歪ませてしまった愚かモノの辿る末路だ。歪みは存在の根源を揺るがせ、耐え難い痛みを生む。痛みに耐えかね、遂には狂い、見境なく祟るモノ――厄神と成り果ててしまうのだ。だが我はもともと殺す神だ。一緒にするな、無礼者」
「ヒトから見れば同じことだ! ただ殺すだけの神など、災厄以外の何者でもない!」
「死と破壊は生と創造の母だ。誰も死なず、何も壊れない世界を考えてみよ。最悪であろうが? そんなものはあり得ないし、あってはならぬ。だから我は殺し、壊す。誇りを持って、一片の躊躇も慈悲もなく、完全にな」
気負いなく言うと、ルーミィはつかつかとウルクに歩み寄った。ウルクの方が頭一つ分は上背があったが、迫力に押されたように数歩後退する。
ルーミィは鼻で笑った。思い切り馬鹿にしている。
「ふふん、そう怯えるな。簡単に他所の巫子を殺めるほど、我も短気ではない」
「な――だっ、誰がっ! 貴様――」
「黙れ」ルーミィはぴしゃりと命じる。すごく偉そうだ。
「ほう? ほうほう、面白い」
なにか見つけたのか、ルーミィはウルクに顔を寄せて、じろじろと眺める。おまけにくんくんと匂いまで嗅いでいる。本当に失礼な娘だ。早いうちに誰かが叱ってやった方がいいかもしれない。僕はごめんだが。
「――お前、呪われているぞ」
「っ! ふざけるなっ!」
顔を真っ赤にして、ウルクは飛びすざった。
「術者を呼んで祓うべきです! 神だろうが精霊だろうが、こんなモノは認められない! なにが呪いだ!」
「いや、ちょっと待ってください。その呪いってのは――」
口を挟んだカリウスをさえぎって、ルーミィは言った。
「お前も呪われているな。ふむ、レイモンドもか。相当前にかけられた呪いだな。誰も気付いていなかったのか? 暢気な連中だな」
唐突にそう言われても困る。そんな覚えはまったくない。
嘘は吐いていないようだが、彼女もそれ以上のことはわからなかった。
「我はヒトより鼻が効くが、呪術については偏った知識しかないのでな。この部屋の中で呪われてないのは、そこの年寄りだけだ」と、公爵を指す。ひどい言われようだ。
「気になるなら治療法術士にでも診て貰え。かすかな呪痕しかないが、検査すれば人間にもわかるであろう。少なくとも命に関わるようなものではないから、安心するがいい」
大した興味はないのか、ルーミィは適当なところで話を切り上げてしまった。
自分で言い出したくせに投げやりな態度だ。例え命の危険がないとしても、呪われていると名指しされた方からしてみれば、気分の良い話ではない。
呪いの対象が個人ではなく、メイルライダー全員だとすると――一番ありそうなのは連合軍による破壊工作か。
だが、メイルライダーは最低月に一度のペースで魔導院に赴き、身体及び精神面の厳しいチェックを受けている。あの偏執的な魔導院が、幾年にも渡って僕等の呪痕を見逃していたとは考え難い。
「呪いの件は一先ず後回しにしよう。それより事情聴取を続けてくれんかね?」
公爵にうながされて気を取り直したのか、カリウスは質問を再開した。
「我々の状況はわかりますか? 今は戦争中で――」
戦況を説明すると、ルーミィは頷いた。
「なるほど。つまり、お前達は負けたのだな。今は単に時間稼ぎをしているのだろう? どうしてそんな無駄をするのかは知らんが。負けたのなら、さっさと逃げた方が良さそうだがな」
室内が静まり返った。
彼女は空気を読むということができないらしい。
「なっ……!」
怒りに言葉を詰まらせたウルクを、ルーミィは不思議そうに見た。
「なにを怒っている? 負けは負けだ」
ウルクはさっと顔を青ざめさせた。唇が細かく震えている。
「帝国は負けていない!」
きょとんとしてルーミィはウルクを見返した。
「負けたではないか。何故、嘘をつく? お前だってもう負けたと思っているであろう。だからそんなに怯えているのだ。そうであろう」
「ち、違う! 我が領土を土足で踏み躙っているのは連合軍の連中だぞ! 正義は我々にある! 卑劣で下賎な奴等に帝国が負けるはずがない!」
「なんと――呆れたな。お前は正義を現実から遊離させて考えているのか。いいか、よく聞け、愚か者」
眉間に軽く皺を寄せ、ルーミィは滔々と語り出した。
「ヒトが生存するための最適戦略は、集団化と分業――要は社会の構築だ。そして社会の基盤は互いの信頼関係。それを補強する共通理念として、正義が規定されたに過ぎん」
ウルクに反論の隙を与えず、ルーミィは畳み掛けた。
「正義は常に矛盾を孕み、時に無視され、幾度も改変される。単に特定集団のための規範に過ぎないのだから、それで当たり前であろうが? 正義とはただそれだけのものだ。どこか彼方で尊く輝く真理ではないぞ」
なかなかに雄弁な娘ではある。
しかし、ルーミィはどこでこんな知識を仕入れてきたんだろう?
本人の弁によれば、彼女はティーガーの損傷をきっかけにして生じたモノらしい。言ってみれば、まだ生後数日のはずなのに。
「故に他の集団とぶつかった時に正義云々を持ち出しても滑稽なだけだ。そんなもの、どちらもたっぷり持っているのだからな! 第一、争いを決するのは力で、あやふやな理念ではなかろう。モノの本質を己の都合で歪めると道を誤るぞ」
正論ではあるが、存在自体が悪い冗談のような娘に言われたくないなぁ。
救いを求めるようにウルクは室内を見回す。僕はさりげなく目を逸らした。
「――とにかく、我々は我々の仕事をするしかないでしょう。そのためには隊長にも出撃して頂く必要がありますが……」
カリウスの意を察したらしく、ルーミィは答えた。
「望むところだ。戦いは巫子が我に捧げる祈りそのもの。なにを生贄にどう祈ろうと、それは巫子の決めること。戦うことは、我の目的にも一致するしな」
「目的? 目的は殺すことじゃ――」
要するに、僕がどうティーガーを操り、誰と戦おうがルーミィは干渉しないらしい。色々疑問はあるが、まずはそれだけわかれば充分だった。
後はカリウス任せ、僕は執務室を抜け出した。




