激昂
「――オーガスレイブは、ヴァルヴァラの素体から培養した細胞がベースになっていることが、明らかになっておる。最高機密であった搭載砲の開発にも、ナジール・ロドネイが関わっているのは間違いなかろう」
ファーレン公爵の推測に、カリウスも頷いた。
「でしょうな。手本となるデイモンメイルがあっても、連合軍の連中だけでこんなに早く開発できるわけがない。奴は逃亡の手土産に、魔導院から大量に資料を持ち出していたそうですし――」
僕は黙って二人の話を聞いていた。
ナジール一人で戦争を起こせるわけがない。精々、諸国が密かに進めていた戦争準備を加速させた程度だろう。彼の行為が帝国の終焉を早めたことは確かだが、そんなことはどうでもいい。
どうでもいいのだ――妹のことに比べれば。僕を裏切ったことに比べれば。
僕のミスもあるが、あいつのせいでティーガーは損傷した。
ナジール・ロドネイの操る、ヴァルヴァラ。かつて共に出撃したデイモンメイルの姿を、僕はありありと思い浮かべることができた。
僕の鎧で、あいつをすり潰してやる。装甲をぶち抜き、骨を打ち砕いてやる。肉片になるまで引き千切って、触手の餌にしてやる。
そう、ナジール・ロドネイに安逸な死は決して与えない。
ああ、そうだ……やってやろうじゃないか。戦争がどうなろうと知ったことじゃない。僕には復讐する理由がたっぷりあるんだよ、ナジール。
「――隊長? 大丈夫ですか?」
カリウスの呼びかけで我に返る。
「ああ――悪い。疲れているみたいだ」
「良く言いますよ、寝過ぎじゃないんですか? こっちが忙しくしてるってのに、アンタときたら三日も眠っているんですから」
いつものように軽口を叩いていたが、カリウスの様子はどこかおかしかった。
「なんだ?」
僕は端的にたずねた。何か大事な話を聞き逃してしまったらしい。
ためらうように公爵と視線を交わし、カリウスは切り出した。
「先ほど申し上げた通り、我々は敗走しました。残念ながらデイモンメイル回収部隊も追撃され、ティーガーをナルーヴァ西岸に遺棄して撤退したそうです」
「……なるほど。それで?」
壊れたデイモンメイルの回収は危険かつ困難を極める。専門のストーンシップもあるにはあるが、速度は出ないし、武装もない。追撃されたなら、遺棄はやむを得ない判断だろう。
理性ではそうわかっても、感情は言うことを聞かない。
畜生、だってそうじゃないか? ティーガーを捨てるなんて、とんだ腰抜けどもだ。
「遺棄した場所はここからそう離れていません。今夜自分がクルスクで再度回収に出ますが……もし回収困難な場合は、ティーガーを破壊します」
一瞬の後、僕は激昂した。
「ふざけるな、ティーガーは僕のデイモンメイルだぞ!」
怒号に肝を潰したのか、公爵はおろおろしている。怒りを買うのは覚悟の上だったらしく、カリウスには動揺はなかった。
「軍統括本部からの正式命令です。連合軍の手に渡ることがあってはならないと」
軍において、上からの命令は絶対である。
口元をぐっと引き結び、僕は必死で気を静めようとした。
「――そうか。では、従わなくてならないな」
二人から顔を逸らし、しばらくの間押し黙って気持ちを落ち着けようとしてみたが、無駄だった。頭の中は怒りと焦りが充満してぐるぐる渦巻いている。カリウスの方に向き直り、僕は宣言した。
「回収には僕も参加する」
□
目視可能な位置までくると、クルスクは停止した。
前方には滔々と流れるナルーヴァ河がある。月光に照らされた対岸の森から、ティーガーの頭部が突き出していた。
クルスクの掌の上に座っていた僕は、さっと立ち上がった。制服の上に羽織った外套が夜風を含んではためく。
あそこにいる。
僕の巨人は主を待っているのだ。
そう言えば。迎えにこい、と誰かが言っていたような……。
クルスクの胸部装甲が開き、カリウスが顔を出した。
「隊長、まずいですぜ。オーガスレイブが接近中。八体はいます」
僕は驚いた。
敵がティーガーの破壊、もしくは鹵獲を目論むのは当然だが、いずれにしても八体は多すぎる。連合軍にとって、オーガスレイブは貴重で高価な兵器だ。無駄な消耗は避けるはずなのに。
とは言え、戦場では誰もが理屈にあった判断をするとは限らない。必要なのはこの状況への現実的な対処だった。
「二十分だけ、時間を稼いでくれ。それ以上たって僕からの念話がない時は、ティーガーを破壊して後退しろ」
僕の指示をカリウスは素直に応諾した。
メイルライダーであれば、己のデイモンメイルを想う心は同じだ。例えそれが間違っているとわかっていても、理解はできる。僕を地面に降ろし、クルスクはオーガスレイブを陽動すべく、闇の中を進んでいった。
河岸まで一気に駆ける。
体力が落ちているらしく、すぐに息が切れてくるが、構っている場合ではない。
問題はどうやって河を渡るかだ。流れは速くはないが、川幅は五百メートル以上もある。少し下流に橋があるはずだったが、当然そこは敵兵が見張っているはずだ。多少の心得はあるが、僕は剣の達人じゃない。どうせ複数の敵に斬りかかられたらどうにもならないので、護身用の短剣しか持っていなかった。
(ここまで来て、迷っている場合か!)
意を決し、河の中へ歩を進める。腰につけていた護符入れを外套の内ポケットに移しかけて、ふと手を止めた。護符入れを開いて結界符を取り出す。フィアナが作ってくれた護符だ。対岸に背を向けて発動させると、符がくるくるとねじれて棒状になり、先端に小さな火がついた。
とたんに周囲の水がさっと退き、川底が姿を見せる。
広げた外套の影に結界符を隠してできるだけ灯りをさえぎり、僕は河を渡り始めた。
水深が背丈を越えても、僕を中心に半径一メートルほどの球状の空間には水が入ってこない。上流からの流木も、結界にぶつかっては向きを変えて流れ去っていく。
連続して高負荷をかけられている割に呪符の燃焼はゆっくりで、安定していた。剣や弓矢の勢いを殺ぐのがやっとの軍標準符とは比較にもならない。これは術者の優れた技量の証であった。
僕はフィアナを褒めてやりたかった。お前のお陰で助かったと、礼を言いたかった。
きっと彼女は得意げに胸を張るに違いない。そして、嬉しそうに笑うだろう。
もう一度、お前の笑顔を見ることができたなら、僕は――
追憶を振り払い、僕は水底深く進んでいった。




