安置所送り
僕とナジール・ロドネイはメイルライダーに選抜される前からの友人だった。
帝国暦七七八年の春、僕等は長引いた海外での鎮圧任務を終えて、帝国本土に帰還した。
「じ、辞退した……? おい、本当なのか!」
驚きのあまり大声をあげてしまい、僕は慌てて周囲を見回した。
僕とナジールは明日からの休暇を前に、覚えたばかりの酒の味を楽しもうと帝都駐屯地近くの酒場へ訪れていた。半地下式のフロアの中は酔いの回った男達に占拠されており、大声を張り上げないと隣のテーブルとも話ができないような騒がしさだった。
とは言え、僕等が着ている黒い制服は機能性を重視したシンプルな意匠でまとめられており、普通の軍服とは趣が異なる。この辺の人間であれば、メイルライダーだとすぐ気付くはずだ。
「心配いらん。俺達の話なんて、誰も聞いちゃいないさ」
事の重大さに反して、ナジールは気楽そうに笑っている。銀の瞳に長い銀髪。いかにも切れ者といった印象の細面の男だが、彼は見た目よりもよほど情緒豊かな性格だった。
僕は改めて聞き直す。
「ナジール、本当に聖堂入りを辞退するのか……?」
「ああ。当然、メイルライダーも辞めることになるな」
ナジールは麦芽酒をぐっと飲んだ。
彼の台詞にショックを受け、僕は自分のジョッキの中を覗き込んだ。そこになんの答えもあろうはずがない。椅子の背に体を預け、そっと尋ねてみる。
「……ヴァルヴァラのことか?」
ヴァルヴァラはナジールの駆る真紅のデイモンメイルだった。
ティーガーに匹敵する砲を二門も搭載しており、対デイモンメイル戦を念頭において設計されたと言われている。
麦芽酒を飲み干し、ナジールは息を吐いた。
「それもある。帰国前に通達がきた。魔導院はヴァルヴァラの安置所送りを決定したと」
「安置所……」
つまり完全に解体され、必要に応じて研究材料として使われるということだった。事実上の廃棄処分である。ヴァルヴァラが危ういらしいとの噂は耳に入っていたが、そこまで厳しい処分が下されるとは思ってもいなかった。
「抵抗は試みた。あいつは俺に逆らったことはないんだ。だが、裁定は変わらなかった。素体の活性化は著しく、制御不能になる恐れあり、とな」
デイモンメイルは隙を見せると主の手を噛む。いや、頭を喰い千切ってしまう。
研究が進み、結界が進化しても、何人ものメイルライダーが犠牲になっている。殺した人間の数が多いほどデイモンメイルは強力になると言われるが、同時に制御が効き難くなる傾向があった。
記録にあるだけでもヴァルヴァラはこれまで十数人のメイルライダーを貪り、万を軽く凌駕する数の人間を殺戮している。既に危険領域に達したと帝国魔導院が判断しても無理はない。
制御を失ったデイモンメイルの暴走は大惨事をもたらす。
過去、一つの小国家がまるごと犠牲になったことすらあるのだ。
そこまで考えて、僕は疑問にぶち当たった。
「いや、ちょっと待てよ。デイモンメイルがないのに、聖堂入りの候補に選ばれるなんてあるのか? ヴァルヴァラが安置所に送られるなら、君は何に乗るんだ?」
「――魔導院の連中が言うには、俺には広い適合性があるらしい」
「まさか……」
「ああ。極秘の検査だが、トールのメイルライダーとしても適合すると言われたよ」
デイモンメイルとメイルライダーには明確な相性がある。どんなに才能があっても、相性が適合するデイモンメイルがなければメイルライダーにはなれないのだ。無理して乗れば――事故が起こる。
毎年何十人ものメイルライダー候補が養成されるが、相性の合うデイモンメイルを見つけられる者は多くて数人しかいないし、大抵適合値が低く、予備登録されるだけで終わってしまう。
それだけに、トールと彼の相性が適合したことは驚きだった。
「二体と適合するなんて、ほとんど例がない幸運じゃないか! 確かにヴァルヴァラは惜しいが、仕方ないよ。この際、トールに乗り換えるべきだ!」
「トールのメイルライダーはちゃんといるんだぞ。俺の方が適合値は高いらしいが、聖堂入りを盾に横取りするのは気が進まない」
デイモンメイルと心を連結する感覚。
恐怖と至福がない混ぜになった強烈な体感は、時に魂まで奪われてしまう者がいるほどだ。触手に喰われた犠牲者のうち、何割かは自殺――デイモンメイルとの一体化を望んで自ら操術腔内の結界を切った――と推測されている。
彼の躊躇もわかるが、僕はどうにか翻意させたかった。
「それも僕等の仕事のうちだろ。空きのデイモンメイルが出ないようにしているんだから、どうしたって取り合いになる。メイルライダーならみんな覚悟の上だ」
ナジールは首を振った。
「――なぁ、レイ。お前もわかっているだろう。ティーガーだって古参の一員だぞ。もし危険だから廃棄だと言われたら、お前どうする? 他に相性の合うデイモンメイルがあるからと言って、あっさり乗り換えられるのか?」
できない。できる訳がない。答えるまでもない問いだ。
言葉を失った僕に、ナジールは柔和な笑みを向けた。
「そんな顔するなよ。今更だけど、多分俺はメイルライダーには向いてなかった。たまたま才能はあったみたいだけどな。ヴァルヴァラと一緒に退役するなら、それも悪くない。――俺が死んだ後に、他の奴に取られなくて済むだろ?」
ある種の本音でもあったらしく、さばさばした口調だった。
ナジールはもう自分の中ですっかり整理をつけてしまっているようだ。
「だけど……それじゃ、君はどうするんだ? 家を継ぐのか?」
「いや、それより魔導院に入って、デイモンメイルの研究をするつもりさ。もう内諾は貰っているんだ。連中、俺には借りがあるからな」
僕は酔いの回った頭で状況を整理しようとした。
聖堂入りの要請を辞退するなど、普通は許されない。メイルライダーを辞めることも同様だ。ナジールの生家――ロドネイ家は代々皇帝に仕えてきた名門ではあるが、無理を押し通せる大貴族ではなかった。
だが己のデイモンメイルに殉じたいと願い出れば――通るかもしれない。メイルライダーとデイモンメイルの絆はそれほど強く、かけがえのないものだ。
ああ、そう考えれば君の決断もわからなくはない。
でも僕は彼にいて欲しかった。
ナジールと戦列を組むことにどれほどの誇りを感じていたことか。僕はいつもナジールを追っていた。彼に追いつき、かなうならば隣に並びたかった。半ば無理だとわかっていたけど、背中を追っていたかったのだ。
それはいつの頃から僕の目標となり、夢となっていた。
例えナジールが聖堂入りして会えなくなっても、同じメイルライダーでいられることに変わりはないはずだった。自分だけがここに残り、彼が降りてしまうなんて、考えもしなかったのだ。
もうナジールは決意している。これ以上言えば、彼の気持ちを踏み躙ることになるだろう。
諦めるしか、ない。僕は大きくジョッキをあおった。
「研究って形で関わるのも面白いと思うんだ。デイモンメイルには色々と不思議がある。俺はそれを解き明かしたい。乗っている時には見えなかったものも、見えてくると思う」
ナジールは僕を元気付けるように言った。
いかん。これじゃ、立場があべこべじゃないか。僕は無理やり笑みを浮かべた。
「不思議ってどんな?」
「そう、例えば――どうして神が生まれないのか」
「――は?」
意表をつかれ、間抜けな声を上げてしまう。ナジールは続けて言った。
「いいか、条件は揃っているんだぞ。神――まぁ正確には精霊だが、デイモンメイルから生じないのはどうしてだと思う?」
精霊は膨大な時の果てに、イキモノが生来の資質を現象の領域にまで昇華した存在だ。精霊はヒトに恩恵を与え、代わりに祭られることで神の座へ至る。
かつてはロアン大陸にも大小様々な神々が君臨していた。
「馬鹿言え。デイモンメイルは元々、神堕ろしの道具だろ」
神は恩恵も与えるが、神罰も下す。ヒトが力をつけるに従って軋轢も大きくなり、遂には意に染まない神々をその座から引きずり堕す――所謂『神堕ろし』が行われるようになった。
本来、デイモンメイルはその為に作られた対神兵器なのだ。
デイモンメイルによって強力な神々は一掃され、ロアン大陸はヒトが完全に支配する唯一の大陸となった、と言われている。皮肉にもデイモンメイルの力は次に生みの親であるヒトへ向けられ、大陸全土を覆う大戦争が勃発したのだが。
混乱の中で記録は消失し、デイモンメイルがいつ頃作られたのかは判然としていない。いずれにせよ、それはもう古代史の分野だ。
「稀ではあるが、刀にさえ精霊は宿る。道具だからって、デイモンメイルに宿らない理由にはならないさ。まして、あれは生きた鎧なんだぞ」とナジール。
「確かに生きてはいるけど、デイモンメイルには魂はない。生来の資質って奴が根本的に失われているじゃないか」
僕は話にすっかり引き込まれていた。ナジールも真剣な眼差しで応じる。
「そう――デイモンメイルの素体は異世界の神を現世に召喚し、かりそめの体として受肉させたものの残滓から創造された。異界の存在が長時間こちらに留まることはできないから、魂はとっくに元の世界へ戻っているのが道理だ。――さて、そこでだ。なら、どうしてデイモンメイルはヒトを喰うんだ?」
ヴァルヴァラはティーガーのライバルとして、IS-2戦車をイメージして書いています。
本物は連装砲ではないですがw




