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舞浜郵便空港局~郵便ハブ空港ここにあり~

次に上げる予定の話の前書きの予定が、予想以上に膨らんでしまったので、一つの話として投稿です。


 1970年代、年を追う毎に増す郵便需要に伴い航空輸送される郵便物も増加。

 しかし東京都心部では同じくして交通渋滞が頻発するようになり、東京国際(羽田)空港から東京中央郵便局や晴海通常郵便集中局、東京北部小包集中局とを結ぶトラック輸送には日常的に遅延が発生していた。


 この状況に際して日本郵政省と日本郵便防衛庁は解決策を模索。


 羽田空港と東京都心の郵便局を結ぶ首都高速1号羽田線がネックとなっているのだから、これを解消すれば良い。


 ならば解決策は単純。


 首都高速1号羽田線に代わる郵便輸送インフラの新設、もしくは、郵便局を空港に近づけるか、空港を郵便局に近づけるか、極限まで近づけた末に郵便局に空港機能を備えさせるか、である。


 この内、首都高速1号羽田線に代わる郵便輸送インフラとしては、羽田空港の直近を通る東海道貨物線を利用するという案が最有力候補であった。

 なにせ鉄道だ。定時性については文句無し、と言いたい所であったが、当時の国鉄は遵法闘争の真っ盛りでダイヤの信頼性は凋落極まりなかった。

 さらに羽田空港内に貨物駅を新設するにも、今後の滑走路や管制設備の拡張に支障が出る恐れも有ったため廃案。


 また羽田空港内に郵便局を付設させる案についても同様な理由で廃案となった。


 この他、首都高速1号羽田線のバイパスとして新たに首都高速道路を建設する案もあり、これは実際に首都高速湾岸線として結実しているのであるが、それでも全てのルートで渋滞が完全に解消される訳では無かった。


 となると、残るは郵便局を空港に近づけるか、空港を郵便局に近づけるか、郵便局に空港機能を備えさせるか。


 その検討の結果、新たに郵便局を建設し、その郵便局に空港設備を備えさせる事となった。少々語弊がある言い換えであるが新たな空港の建設とも言えるだろう。


 郵便防衛庁の発足間もない頃には、旧帝国陸海軍航空隊の基地を転用しての空港分室の設置も多々あったが、完全新規の空港建設ともなれば初の挑戦であった。




 そしてこの新しい空港、郵便空港局の建設予定地には千葉県浦安市の舞浜が選ばれた。


 舞浜は当時、株式会社東洋園による舞浜鼠園という大規模遊園地の誘致建設計画があったのであるが、これがアメリカのロイ・マウス・プロダクションズとの誘致交渉が難航どころか決裂間際という有様で、株式会社東洋園の親会社である京成電鉄株式会社と三井不動産株式会社は及び腰となっていた。

 ここに郵政省と郵便防衛庁は喰いつき、未だ鼠園招致に意欲を見せていた京成電鉄に対しても、京成電鉄が計画していた都心部~鼠園~千葉港を結ぶ新規鉄道の内、都心~郵便空港局の区間については郵便輸送鉄道として郵政省が建設し、京成電鉄が建設した区間からの乗り入れ運用をする事を提案。

 これを条件として京浜電鉄とも合意に至った。


 こうして郵便空港局の建設は始まった。


 郵便空港局の要となる滑走路の配置は三井不動産との協議の結果、三井不動産が開発する住宅地上空を避ける為に南東102度から北西192度の方向に2本となり、滑走路長は北側が2500mと標準的ながら、南側はアメリカ空軍が運用する超大型輸送機C-5などの離着陸が可能なよう4000mとされた。


 この滑走路の建設は1977年9月に北滑走路が完成し、併せて建設された仮設管制塔とで航空郵便防衛部が保有するYS-11やC-130といった郵便輸送機による仮運用が始まる事となった。


 さらに1978年5月には南滑走路も完成し、北滑走路と併せての仮運用が開始。

 これに応じ、これまでただ“郵便空港局”と呼ばれていたこの郵便局の正式名称が“舞浜郵便空港局”に決定し公示された。


 なお、管制塔など管制設備の建設は未だ仮設のままであったが、これは航空郵便防衛部が運用する航空機の全てが、大抵の軍用機と同じく空港側に高度な管制設備を要しないために後回しにされていたという事情があった。


 それほどまでに航空便を巡る郵便事情は逼迫していたのだ。


 しかし滑走路長4000mにも及ぶ長大な南滑走路は、千葉県成田市にある新東京国際空港のA滑走路と並び日本最長の滑走路である事もあって、運輸省から「近隣の羽田空港や成田空港などで障害が発生した場合の緊急着陸先として設定したい」との要請が舞い込んだため、急遽として民間旅客機にも対応出来るよう管制設備を増備する事となった。




 まあ、オマケである空港設備についての話はこの辺りまでにしよう。


 舞浜郵便空港局は空港設備を持つ郵便局であって、郵便局設備を持つ空港では無いのだから。


 1979年2月、南滑走路に1年半遅れる形で完成した舞浜郵便空港局の局舎は北滑走路の更に北側に、駐機場と隣り合うように建設されていた。


 この駐機場は風除けと屋根が設けられ、局舎へは航空コンテナ用コンベヤで接続されており、郵便輸送機から降ろした航空コンテナやパレットを局舎へ、そして局舎から駐機場の郵便輸送機へ搬送が可能なようになっていた。


 局舎については地下2階と地上5階の鉄筋鉄骨コンクリート造で、ジェット戦闘機が衝突しても倒壊どころか郵便空港局としての機能が一切損なわれないよう設計されている。


 その局舎の各階層は、


 1階には駐機場から搬送されてきた航空コンテナやパレットから郵便物を下ろす開被場と、その逆の搭載場、そして郵便トラックが発着するためのホームが設けられている。


 2階には区分場が設けられており、ここでは1階で開被した郵便物を、近県宛ての郵便物と、それ以外のさらに航空便を乗り継いで輸送される郵便物とで区分し、乗り継ぐ郵便物についてはさらに便別に区分するようになっている。


 3階は現状空フロアである。というのも、舞浜空港郵便局が将来国際便を扱う場合に備え、“国際郵便交換郵便局”としても機能させるために税関の出張所などの為のスペースとして確保されているのだ。


 4階とその屋上には他の郵便局と同様に防空設備として、対空レーダーや対空ミサイル、対空砲、対空機銃の数々が設置されている。舞浜郵便空港局はまさに日本の郵便インフラの要の一つであるから、東京中央郵便局など他の大規模郵便局と同様に重厚な対空迎撃設備が備えられているのだ。


 5階には管制室が、屋上に顔を覗かせる防空火器の射界を可能な限り狭めないよう他階層より小さな床面積で設けられている。しかしこれでも、非常時には民間旅客機の管制も可能なように当初の計画より高度な設備が整えられている。


 変わって地面の下、地下1階には東京中央郵便局や晴海通常郵便集中局と繋がる郵便地下鉄道のホームが設けられている。


 地下2階には、舞浜空港郵便局が必要とする電力を全て賄える自家発電機が設けられている。




 これにより舞浜郵便空港局の全ての設備が完成し本運用が始まった。


 郵政省と郵便防衛庁は交通渋滞による影響から逃れられた事で、郵便物の輸送速度を向上させられた他、より柔軟に効率的な便編成が可能となった。


 また、旅客ターミナルこそ無いものの将来を見据えてかなり大規模な空港設備を備えている事もあって、後に日本郵便防衛庁による初の国際郵便航空便である舞浜~ワシントン間が就航する頃には、アメリカの物流企業であるFedExやUPSなどの国際線貨物機による乗り入れも始まり、郵便防衛庁は少なくない空港使用料収入を得る事となったという。




 そしてもちろんの事、航空郵便防衛部の戦闘機部隊も多数配備されており、これらは首都東京やその近県の郵便インフラの防衛の役目を担っている。

FedEx&UPS「サムおじさん、俺らもメリーランド州でもヴァージニア州でも良いから首都(ワシントンD.C.)の近くに自分の空港が欲しいよ」


サムおじさん「馬鹿言っちゃイカン、あれ(舞浜郵便空港局)は空軍基地だと思いなさい。空軍が郵便輸送もやってるから首都に空港を、それも国防予算で作れたのであり、合衆国ではそんな芸当土台無理なのだ」


FedEx&UPS「え~自分の空港が首都にあれば色々便利なのに。」


サムおじさん「我慢しなさい。その代わり今使ってる空港の使用料を下げるよう手をまわしておくから(あの郵便馬鹿めぇ……)」

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