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「それだけならいいのですが、このデータを見るとそうだとは言い切れません」
そう言ってオオハラは抱えている書類を翡翠に手渡した。それを見るとなにやら左方向に行くにつれ跳ね上がるように上がっていくグラフが目に入る。
「よくわからないのですが『スタビライズ』が暴走しそうになっている、ということですよね? それで早急に動く必要があるということですか?」
「はい、できれば」
翡翠はしばらく考えてから答える。
「ここから『ジェイド』まではどれぐらいの距離ですか?」
「先程も言ったとおり、そんなに遠くはありません」
そう言って今度は地図を広げて見せた。キッカの位置から北東にある森の中にバツ印がつけられており、オオハラはそこを指さす。
「おそらくここに『ジェイド』があるのだと思います」
そこはここから馬車で急げば一日で行けそうな距離だった。
「あの、オオハラさん。もちろんあなたもついてきてくれますか?」
「もちろんです。それと、僕は殿下にはこの事は伝えないほうがいいと思うんです」
その意見に翡翠は驚いてオオハラを見つめる。
「なぜですか?」
「明日は聖女様の誕生会です。ブック首相やカスタニエ公爵令息、それにカーレル殿下も出席予定ですよね? この誕生会は出席しなければ外交問題に発展するかもしれません」
「でも、私が殿下と一緒に行動しなくてもよろしいのですか?」
「はい。僕が一緒に行動するので大丈夫じゃないでしょうか」
翡翠はそう言われしばらく考えた。抜け出せばまた裏切ったと思われるかもしれなかったが、時間がないのも確かである。
それにこれ以上、カーレルに迷惑をかけたくもなかった。
翡翠はカーレルに黙ってここを出ると決意すると、オオハラを見据えた。
「明日、殿下には黙ってここを出ましょう」
翡翠がそう答えると、オオハラは大きくうなずいて言った。
「なにかあったとしたら、すべて僕が責任を取ります」
翡翠はそんな人の好いオオハラを見て、もしもこれがばれたときは自分が彼を脅したことにしようと心に決めていた。
「ではオオハラさん、ここにいることが殿下にばれてしまうと大騒ぎになるかもしれませんから、姿を隠していることはできますか?」
「それは問題ありません。ここに来るまで誰にも見られていませんから」
「明日は朝食に私が姿を現さなければ不思議に思われてしまうので、朝食が終わった九時ごろに大聖堂の向かいにある花屋の横で落ち合うことはできますか?」
「わかりました。その時間にお待ちしてます」
そう言うとオオハラは立ち上がって言った。
「正面玄関から出てしまえば誰かに気づかれてしまうかもしれません。幸いにもここは一階ですし窓から出たほうがよいかもしれませんね」
「そうですね、わかりました。そうします」
翡翠がそう言うと、オオハラは楽しそうにうなずいた。
「なんだかスパイ映画のようですね」
それに対して翡翠は微笑んで返したが、妙な違和感を覚えた。
翡翠はそれからすぐにでもここを発つことができるよう、自分の荷物を小さくまとめるとエミリアにばれないようにチェストの中に隠した。
そしてカーレルに不在がばれてしまった時のために、自分の判断でした行動だとしたためた手紙を書き、すぐにはばれない場所にそれを隠した。
翌朝、すぐに外に出られる服装に着替え、外套を羽織って食堂へ向かった。食堂では相変わらずミリナが楽しそうにカーレルやラファエロに話しかけ、誕生日なこともあってかとても輝いて見えた。
カーレルやラファエロ、ニクラスは翡翠に優しく接してくれていたが、それが虚構だと知っていた翡翠はそれを軽く受け流した。
食事を早めに終えて、部屋へもどるとそこにファニーがいた。
「やっほー! エンジェルにサプラ~イズ!!」
そう言って大きな箱を翡翠に差し出した。翡翠はそれを受け取ると、まさかと思いながらそっとその箱を開けた。
そこには、小さなトルマリンをあしらった大小の薔薇モチーフがちりばめられた、フリルが幾重にも重ねられた美しいドレスが入っていた。
「このドレスは?」
「だから根暗王子からのサプライズだってば~。本当はさぁ、違う場所で着る予定だったんだけどねぇ。ほら、急遽誕生会に出ることになったでしょ? だから昨日慌てて仕上げたわけ!」
ドレスの横には合わせて宝飾品や靴、それに顔を隠せるようにベールのついたトーク帽も準備されていた。
カーレルは憎んでいる翡翠のドレスを、ちゃんと準備してくれていたのだ。
翡翠が無言でそれらを見つめていると、ファニーが続けて言った。
「トーク帽は最初必要ないって話だったんだけど~、今回の誕生会には必要じゃんって話になってさぁ、昨日頑張って作ったんだよ~?」
翡翠はそのドレスを見て色々な感情が押し寄せ、ドレスを抱きしめた。
「ごめんなさい、私はこのドレスを着ることができないんです」
「はい? せっかく準備したのに?」
翡翠はこらえきれずに大粒の涙をこぼした。
「本当にごめんなさい」
ファニーはおろおろしながら、背中をさすった。
「なんだかよくわからないけどさぁ、エンジェルがわるいことなんて一個もないよ?」
それを聞いて翡翠は涙を拭うと、慰めてくれるファニーに訊いた。
「ファニーさんは、私のことを絶対信用してくれますか?」
「もちろんだよぉ。なに当たり前のこと言っちゃってんの?!」
「じゃあ、私と一緒に来てくれますか?」
すると、ファニーは嬉しそうに頭を揺らした。
「えー!! エンジェルとどこかに行けるの?! もちろんだよぉ! 嬉しいなぁ~。いつ行く?」
翡翠はそんなファニーを見て思わず笑いながら答えた。
「これからすぐにですけど、準備できますか?」
「オッケー! 準備できたら、すぐにここに来るね!!」
そう言って部屋を飛び出した。それを見届け、翡翠は寝室のチェストから荷物を取り出す。
そのとき背後に気配を感じて振り返ると、そこにはエミリアが立っていた。
「あ、エミリア」
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※この作品フィクションであり、架空の世界のお話です。実在の人物や団体などとは関係ありません。また、階級などの詳細な点について、実際の歴史とは異なることがありますのでご了承下さい。
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