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それからこちら、ずっと否定し続けているある疑問が頭から離れなくなった。
それは、あのフンケルンの屋敷の庭で、カーレルが言っていた『愛していた女性』とはジェイドのことなのではないか? という疑問だった。
そう仮定すると、カーレルの行動や言ったことの辻褄が合う。
ずっと嫌われていると思い込んでいたが、そうではないのかもしれない。
そう思った翡翠は、直接これらの疑問をもう一度カーレルに訊いてみることにした。それと合わせて、正直にジェイドの記憶を持っていることも話すべきだろう。
そう決意すると飲みかけのスープをすべて飲み干し、エミリアにカーレルがどこにいるのか尋ねた。
「一階の客間にいらっしゃるようです。よろしければ、私がお声かけしてきましょうか?」
「一階の客間ですね、直接行ってくるので大丈夫です。ありがとう」
そう伝えると、翡翠は一階のエントランスに降りていった。
客間の中から三人が会話している声が聞こえ、翡翠は全員に話すカーレルにだけ話すか少し考え、足を止めた。
「向こうはカーレルたちを信じているのか?」
ニクラスがそう言ったのが聞こえ、翡翠は思わず開いていた隣の部屋へ身を隠した。
「あれだけ崇められればそうだろうな」
そう返事をしたのは、ラファエロのようだった。
「大切に扱われているから、色々勘違いしてるんじゃないか?」
崇められれば? 大切に扱う? これはもしかして……。
翡翠は盗み聞きなんて悪いことだとわかってはいたが、どうにも胸騒ぎがして黙ってもう少し三人の話を聞くことにした。
「監視されていることには気づいているようだ」
これはカーレルの声だった。
この時点で三人が、翡翠の話をしているのだと確信し始め胸がざわついた。
このまま話を聞いていれば、聞きたくない決定的な一言を聞いてしまうのではないか? そんな予感がしてその場から逃げたいような気持ちにかられる。
だが、もしかしたら自分の勘違いかもしれないという期待もあり、翡翠はその場に踏みとどまった。
ところが次の瞬間、その期待は打ち砕かれることになる。カーレルが続けて低いやや怒気のこもった声でこう言ったからだ。
「勘違いさせようがなんだろうが、どんな手段を使ってでも必ずことの真相を本人の口から聞き出してやる」
この台詞を聞いて、金槌で頭を打たれたような衝撃を受けた。カーレルは翡翠のことをずっとそんなふうに思っていたのだ。
翡翠は目の前が真っ暗になるような感覚に襲われ、次の瞬間己の愚かさに吐き気を覚える。
そうして、ゆっくり後退りすると急いでその場から離れた。
部屋へ戻るとエミリアが不思議そうに声をかける。
「あら? 申し訳ありません。殿下は客間にいらっしゃらなかったのですね? それにしても、顔色が悪いようですが……」
翡翠は少し、お腹の調子が悪くなったと説明した。
「恥ずかしいから、誰にも言わないでもらえる?」
するとエミリアは笑顔で返す。
「もちろんでございます! では、旦那様には少しの間お部屋に近づかないよう、うまく言っておきますね」
「ありがとう」
お礼をすると、エミリアはうなずいて言った。
「翡翠様のためになにかできるなんて、私はとても光栄です」
そうしてエミリアが部屋から出ていくと、翡翠はその場に立ち尽くした。
ジェイドは、みんなになにも話さず裏切ったように見せる選択をし、嫌われる覚悟で行動を起こした。だから嫌われても落ち込む資格はないのは自分でもわかっていた。
それなのにみんなに本当に心配してもらえると思い始めるなんて、なんでそんなに図々しいことを考えられたのか。
しかもジェイドの誤解が解けたのかもしれないと都合よく考え、挙げ句にカーレルに愛されていたのではないかとまで考えるなんて、どれだけ自惚れていたのだろう。
そう自分を責めた。
思わず泣きそうになったが自分には泣く資格はないし、泣き跡が残っていれば異変に気づかれてしまう。そうすれば、なにがあったのかと問い詰められるだろう。
こんな精神状態でそんなことになれば、本当のことを話してしまいかねない。
だが、今本当のことを話したとしてあれだけ恨まれているのに、すべてを説明したところで信じてはもらえないだろう。
そうすれば、最後の『スタビライズ』を停止するという使命すら果たせないかもしれない。
そう考えて、翡翠はぐっと涙をこらえるとソファに腰かけ自分を落ち着かせた。
エミリアがニクラスたちにどう説明しているかわからないが、とりあえずいつまでも部屋から出ていかないのはよくない。
大きく深呼吸をし、素早く気持ちを切り替えると部屋を出てもう一度一階の客間へ向かった。
「おはようございます」
そう言って部屋へ入ると、その場にいた全員が翡翠に向かって優しく微笑みかけた。
そして、カーレルが翡翠に駆け寄ると手を取って言った。
「翡翠、ゆっくりできたか?」
「はい、お陰さまで。朝食をエミリアが部屋まで持ってきてくれたので」
そう答えるとニクラスに訊いた。
「ところで、今日は朝早くに出発しなくてもよろしかったのですか?」
「もちろんです。昨日も話したように急がず休めるときに休んだほうがいいでしょう」
「そうですか、わかりました」
するとカーレルが翡翠の顔を覗き込んで微笑んだ。
「せっかくゆっくりする時間があるのだから、どうだろう散歩でもしないか?」
恨んでいる相手の機嫌を取るのは忍耐力のいることだろう。これ以上迷惑はかけられない、そう思いながらカーレルに向き直る。
「せっかくのお誘いなのですが、まだ疲れが残っているようなので遠慮させていただきます」
そう答えると、翡翠はラファエロとニクラスの方を見て言った。
「私は屋敷から一歩も外へ出たりしません。みなさんで気晴らしに散歩なさってはどうでしょうか?」
ラファエロは嫌そうな顔で答える。
「この三人で散歩なんて、ありえないな。翡翠が行かないなら俺は行かない」
ニクラスもそれに同意とばかりにうなずく。
「確かに、そのとおりだな。出発は午後になりそうだし、私も屋敷内でゆっくりしよう」
カーレルは他の二人が話している間もじっと翡翠を見つめていた。そして、怪訝な顔をすると翡翠の顔をもう一度覗き込んた。
「翡翠、本当に疲れただけなのか?」
「ご心配ありがとうございます。本当に疲れてしまっただけなので大丈夫ですよ?」
カーレルは納得していない顔をしながら言った。
「そうか、わかった。君がそう言うなら、そういうことにしておこう。部屋までは送らせてくれるね?」
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