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SS:みさきとケーキ

 スタリナという店は、ケーキ屋というより喫茶店に近い。店に入って直ぐの所にパーティションが有り、そこで客は目的に合わせて二手に分かれる。ケーキを買って帰るなら右手のレジへ向かい、店でケーキを食べるなら左手へ向かう。


「しゃーせー、お好きな席に座ってください」


 左手へ向かった龍誠は、店員の声に従って近くに空いていた二人掛けの席にみさきを座らせた。椅子は高さを調整できるタイプの物で、龍誠は限界まで椅子を高くしたあと、反対側の席に座った。


「ひろい」


 みさきの呟きを聞いて、龍誠は「そうだな」と頷いた。二人でほぼ毎日通っていた牛丼屋とは比べるまでもなく、一度だけ行った寿司屋と比べても広く感じる。実際の面積は普通のファミレス程度しかないのだが、座席の配置や壁などの色を工夫することでより広く感じるようになっているのだ。


 龍誠は自然と店への期待が高まった。

 あとは噂通りケーキが美味しくて、みさきが喜べば完璧だ。


 コン、という小さな音が聞こえた。

 龍誠が音の方に目を向けると、一人の若い女性客が目に入った。どうやら、ちょうど注文した品が届いたらしい。机の上には皿に載った一切れのショートケーキと、水の入ったコップ。彼女は皿に添えられていたスプーンを手に取ると、育ちの良さを感じさせる所作でケーキを口の中に運んだ。


 ごくりと龍誠の喉が鳴る。ケーキの外見はスーパーなんかで見るような物と変わらないのに、彼女が食べているケーキは、思わず涎が出てしまいそうになるくらい美味しそうだった。理由は分からないけれど、龍誠はそう思った。


 果たして、ケーキを食べた女性は、


「んんんんんんん~~~っ! 半年ぶりのてんてんのケーキィィィイイ! はむっ、おいちっ♪ おいひぃよぉぉぉ~」


 龍誠は言葉を失った。流石にアレは無いと思った。同意を求めようと店内を見まわすけれど、二十人程居る他の客は、しかし彼女に目を向けようともしなかった。


 ……どういうことだ。あのケーキ、やばいヤクでも入ってんじゃねぇのか?


 一転して不安になる龍誠。するとそこへ、先程からキビキビと店内を動き回っていた黒髪の女性店員が二人の席へやってきた。


「お待たせー。あれ、姉さん初めて見る顔じゃん」

「お兄さんです」


 チャラい店員だなと思いながら、龍誠は冷静に返事をした。


「マジ? みくより肌キレイじゃんパネェ。んで、今日はその子の誕生日か何か?」

「はい、記念日、みたいな感じです」


 みさきが帰って来た記念日。


「なーるほど。ならオススメは苺のショートケーキかな。あとアマレッティとか」

「アマレッティ?」

「マカロンみたいなお菓子。みくの妹いま六歳だけど、いつも嬉しそうに食べてるから、その子の口にも合うと思うよ」


 みさきと同じ年齢だ。随分と歳の離れた姉妹だなと思いながら、龍誠はみさきに意思確認をする。


「食べてみるか?」

「……ん」


 みさきは少し考えるような間を作った後に頷いた。


「じゃあケーキ二つと、そのアマなんちゃらをひとつ」

「はーい。娘さん大人しくて可愛いっすね」


 言いながら、彼女手に持った機械を操作した。一方で龍誠は娘さんという言葉に反応する。もちろん彼女の言葉に深い意味は無いと分かっているが、なんだか嬉しかった。


「オレンジジュース飲む?」

「……ん」


 龍誠が考え事をしている間に新たな注文が確定していた。彼はそれに気が付いたけれど、まあいいかと口を挟まずに流す。


「兄さんはアイスコーヒーでいいっすか?」

「はい、それで」

「砂糖とミルクは?」

「無しで」

「りょー。他には何かある?」

「とりあえず以上で」

「はーい。ごゆっくりー」


 軽く手を振って、店員は別の席へ向かった。その背中を見ながら、龍誠は最後までタメ口だったなと思う。しかしながら、あれはあれで気が楽で良いとも感じた。そう思って周りを見ると、どの客もリラックスした様子で、中には店員と楽しそうに話をしている席もあった。それを見て、彼は妙に納得した。


 兄貴の店では言葉遣いに厳しかったが、そういうのを気にしない俺みたいな客を相手にするなら、むしろああいう口調の方がいいのかもしれない。


「ケースバイケースか……」

「……ケース?」


 龍誠の呟きにみさきはきょとんと首を傾ける。


「みさきは……言葉遣いとか、まだ早いのか?」


 そもそも教えられるのかと疑問に思いつつ、龍誠は呟いた。

 その言葉の意味は、やっぱりみさきには良く分からなかった。




 二人の席に注文した品が届いたのは、それから僅か五分後だった。


「お待たせ―。そういえば兄さんって仕事とか何してる人?」


 先程と同じ店員が、ケーキを丸いトレイから机に移しながら龍誠に問いかけた。


「どうも。えっと、一応プログラマーやってます」

「そっか。知り合いに教師とかいる?」

「教師?」

「そ。なんかみくの大学の教授が無能過ぎてー、教育実習先を自力で探すことになっちゃったんだよね。だから探してんの」


 さらっとトンデモナイ言葉が口から出たような気がしたが、龍誠は努めて気にしないようにした。


「なるほど」

「とりま春休みに髪黒くしたけど、母校は論外だしチビと咲は外国行ってるし、あのエセお嬢様のとこはレベル高過ぎるし、新人みんな外国出身だしで、もうマジ無理」

「……大変っすね」


 なんで愚痴聞かされてんだろうと思いながらも、龍誠はなんとか苦笑いで答えた。


「ほんと。だから心当たりあったら教えて」

「ああ、覚えときます」

「ありがと。んじゃねー」


 ……。


「さて、みさき、ケーキ……」


 気を取り直してみさきの方を見る。

 そこには、嬉しそうな顔でスプーンを口に入れたみさきの姿があった。


「……もう食べてるのか」

「おいしい」


 そう言って、二口目。みさきが嬉しそうならそれでいいかと、龍誠もケーキを食べることにした。


 やはり見た目は市販の物と変わらない。白い生クリームの苺がちょこんと載っているだけだ。しかし、みさきの手が止まらないといった様子を見ていると、とても美味しそうに感じる。


 ごくりと喉を鳴らして、スプーンを手に取った。


「硬いな。弾力……?」


 市販の物とは違って、スプーンを跳ね返されるような感覚があった。それはまるで、みさきの頬のような……いけない、これ以上はいけない。龍誠はそう自分に言い聞かせて、ケーキを手で掴むと一思いに口に突っ込んだ。瞬間、ビクンと龍誠の身体が跳ねる。


 ……うまっ、すぎる!!


 市販の物とは格が違う。正直高級食材とか値段が高いだけで味の方は誤差だろとか、食べ物なんて口に入れば全部同じだろと思っていた龍誠だが、それでもこのケーキには感動した。


 生クリームが生きている。確かな弾力と、素材が持つ味を何倍にも増幅したかのような味わい深さ。それでいて、しつこくない絶妙な甘さ。そして生クリームの内側から現れるのは、ふわふわのスポンジだ。市販のパサパサしたものとは違い、まるで、まるで……語彙が追いつかねぇぜ!


 龍誠は勢いで二口目を食べようとして、最初の一口で全てを食べ終えてしまったことを思い出す。


「……もっと、味わって食べるべきだった」


 心の底から後悔していると、ふと目の前に白く輝く何かが映った。

 顔を上げると、そこには、ケーキを載せたスプーンを差し伸べるみさきの姿が有った。


「あーん?」


 瞬間、鋭い電流が龍誠を貫いた。

 

 ……みさき、なんだそれ、どこで覚えた!?

 教えたヤツは今すぐ出てこい! 感謝してやる!


「……あ、あーん」


 龍誠は素直に目を閉じて、口をあけた。


「……」

「……」


 しかし、いつまで経ってもケーキは口の中に入ってこない。

 気になって目を開けると、必死に手を伸ばすみさきの姿が有った。


「……届かないのか?」

「……ん」


 しょんぼりするみさき。

 龍誠はガックリと肩を落として、ふっと笑った。




「いやぁ、うまかったな」

「んっ」


 大満足。

 二人は伝票を持ってレジへと続く列に並んでいた。五時を回った辺りから人が増え始めて、ひとつしか無いレジは少しずつしか動かない。しかし美味しい物を食べた後の龍誠は、とても良い気分でみさきと話をしていた。


「いくつか買って帰るか? ……あ、いや、冷蔵庫なかったな」

「ゆいちゃん」

「お、そうだな。そういや、ゆいちゃんって誕生日いつなんだ?」

「あしたのあした?」

「明後日って直ぐじゃねぇかっ、そりゃ丁度いいな」


 みさきが六歳だから、ゆいちゃんは七歳か? なら蝋燭は小さいのが七本……などと考えていたら、クイとみさきに袖を引かれた。


「どうした?」

「りょーくんは?」

「誕生日か? 俺は……確かクリスマスだったな。あれ、クリスマスって何日だったっけ……」


 人は祝われなければ自分の誕生日を忘れる。辛うじてクリスマスということだけを覚えていた龍誠は、しかし、これまた自分とは無縁の祝日について思い出せない。


「くりすます……」


 龍誠が記憶の壁と戦う横で、みさきは聞こえて来た単語をしっかりと頭に刻み込んだ。


「つぎの、ひと?」


 その時ちょうど列が進み、龍誠達の番になった。彼は少し遅れてから反応して、手に持った伝票を差し出す。


「せんにひゃくごじゅうはちえん、だよ」

「お、おぅ、いや、はい」


 その絶妙にイントネーションの違う日本語を聞いて、さらに相手の顔を見て龍誠は思わずたじろいだ。金髪碧眼に白い肌、間違いなく日本人ではない。


「えっと、誕生日ケーキをお願いしたいんすけど……」


 実は金髪にちょっとした因縁のある龍誠は、少しビクビクしながら言った。しかし店員の方は龍誠のような反応に慣れているのか、笑顔で接客を続ける。


「この紙に書いて、お店の前の箱に入れて、ね?」

「はい、分かりました」


 ガチガチに緊張した龍誠。

 その反応が面白かったのか、店員は口元に手を当てて、小さく肩を揺らした。


「ケーキ、どうだった、かな?」

「美味しかったです」

「ありがと。ダーリンも喜ぶ、よ」

「そっすか……え、あ、夫婦で店やってるんすね」

「うん。また来て、ね」

「はい、分かりました」


 終始緊張したまま、龍誠は店を出た。その後、受け取った紙に必要事項を記入して、それらしき箱に入れた。郵送で、料金は着払い。


「待たせたなみさき。帰るか」

「……ん」


 その後、みさきと並んで店を後にする。


「おいしかった」

「そうか」


 たびたび思い出したように言うみさき。すっかりあの店のケーキが気に入ったらしい。


「俺は食ってないけど、あのクッキーみたいなのはどうだった?」

「ふわふわ」

「ははは、そうか、ふわふわか」


 来てよかったと、龍誠は心底思った。

 みさきは素直に美味しかったと感動しつつ、ちょうど目の高さでゆらゆら揺れる龍誠の手を見ていた。


 少し手を伸ばせば届く。

 だけどそれは、まだ、ちょっとだけ先にしよう。


「みさき? なに見てるんだ?」

「……なにも」


 さっと顔を逸らして、タタタっと駆け足。

 龍誠は少しだけ眉を寄せて、直ぐにまた隣に並んだ。



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