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「抗議すらしないってどういうことですか!!」
怒声と共に机を叩く音が事務所内に鳴り響き、周囲が一瞬で静まり返った。
大量の書類を抱えた者。銃で武装した者。そして依頼の相談に来ていた一般客。ここはハンター事務所の中でも年間売り上げ一位を記録する超大手事務所――アルストロメリアだ。普段は百名を超える従業員が忙しなく動き回っているために、事務所内は常ににぎやかな状態なのだが、現在は皆一様に口を閉じ、ある一点を見つめている。
事務所の一番奥――ガラスの仕切りで囲まれた部屋のデスクに、一人の男が腰かけていた。綺麗に短くそろえた白髪と、顔中に深く刻まれた皺と傷。非常にがっしりとした体形で、来ているスーツが今にもはちきれんばかりになっていた。
彼の名はクラーク・ヨハンソン。この事務所の所長である。齢は八十を超えているが、盛り上がった胸筋や丸太のような二の腕からはとても年齢による衰えを感じさせなかった。
「バッティングなんてのはよくあることだろう? それに彼らの言う通り、独占権の期限が切れていたのは事実なんだ」
クラークはなだめるように言った。
「もちろんそれが絶対の拘束力を持つわけではないが、それによるトラブルは現場のハンターが話し合いなりで解決するべきで、事務所の権威を振りかざすようなことをするべきではないと私は考えて――」
再び机を叩く音が鳴り響き、クラークは思わず肩を震わせた。そしておずおずと自分の向かいに仁王立ちする人物の顔を見上げる。そこには机に振り下ろした拳を握り締め、クラークを真っ直ぐに睨みつける一人の女性がいた。
外見の年齢はおよそ十代後半から二十代前半。透き通るような銀色の髪を背中まで伸ばしており、服装は黒のパンツスーツといういでたちだ。非常に整った顔立ちをしており、メガネの奥から覗く、鋭く青い瞳がクラークに向けられていた。
「――所長。つまり所長は私達の為に何もしてくれないという事ですね?」
女性が冷たい声で言い放つ。その言葉に、クラークの額に汗が浮かぶ。
「いや、落ち着いてくれたまえアメリアくん。もちろん従業員への不当な行為があれば対処はする。しかしこの程度の事でいちいち動いていてはウチが他のハンター事務所に圧力をかけて独占しているのではと――」
「私のアリシアがケガを負わされたのにこの程度ですって!!」
またも机を叩く音と怒声が響き渡り、クラークは怯えた子供のように身を縮こまらせる。
「も、もう少し冷静に、ほら、深呼吸だアメリアくん。キミは妹のことになるとちょっと冷静さを失ってしまうから」
「まさかあの男と親しいから、なぁなぁで済ませようとしてるんじゃないですよね?」
「それは違うぞアメリアくん。確かにレイとは長い付き合いだが――」
「もういい、結構です」
アメリアはそう言うと踵を返し、所長室の扉に手をかける。
「……アメリアくん。これだけは所長として言わせてもらうが――」
クラークはアメリアの背中に向けて、きっぱりとした口調で言った。
「アルストロメリアは全てのハンターのお手本となるべき事務所。そしてキミは我が事務所の広告塔でもある。キミが何か不祥事を起こせば、それは従業員全員の不利益になる。そのことをゆめゆめ忘れないように」
その言葉を受け、アメリアは扉を開きながら肩越しに振り返る。
「えぇ、分かっていますよ所長。私はどんな時も、アルストロメリアのハンターとして恥じない行動を常に心がけていますから。でもね、私もこれだけは言わせてもらいますけど――」
アメリアはクラークをきっと睨みつける。
「私はハンターの前に――アリシアの家族なのよ」
アメリアはそれだけ言うと、扉を勢いよく開け放ち、出ていった。
「…………」
クラークは頭を抱え、唸るようにため息を吐いた。そんなクラークを、周りの所員は心配そうに見つめている。虚空を見つめ、ため息を繰り返すクラークの姿は、今にも寿命を迎えてしまいそうなほど老け込んでいた。




