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「トシくん! 早く逃げて!」
背後から女の声が響く。アリシアは前方に転がるようにして体を後ろに向けると、先程人質にされていた女性が、こちらを睨んでいる光景が目に飛び込んできた。その両手にはスタンガンが握りしめられている。
「……あんたも仲間かよ!」
女性がこちらに突進してくる。素人丸出しの動きだった。アリシアは身体を沈め、そしてその場で回るようにして足払いを放った。女性はバランスを崩し、そのままの勢いで地面に倒れた。周りの家具なども巻き込み、派手な音が響き渡る。
「お姉ちゃん、ごめん! 逃げられた!」
女性をやり過ごしたアリシアは、インカムに叫びながら玄関に向かう。外廊下に出ると、脇の階段から駆け下りていく音が聞こえた。
「入口狙える!?」
『ここからじゃ無理ね。何とか裏の駐車場の方に誘導できないかしら』
「分かったわ!」
アリシアはそう言うと、近くにあった縦型の排水管をつかみ、それを伝うようにして下に降り始めた。
『それと駐車場周りは植木が多くて視界が塞がれてるわ。座標が必要よ』
「了解!」
ある程度降りたところで、アリシアは手を放して地面に着地する。それとほぼ同じタイミングで、ターゲットの男が入口から飛び出してきた。アリシアと目が合い、男の顔が恐怖で歪む。
アリシアが男に向かって発砲する。男の足元を狙った誘導用の発砲だ。案の定、男は慌てた様子で踵を返し、マンション裏の駐車場に向かって走り出した。アリシアもその後を追う。
「オーケー。駐車場に出たわ。座標は九十――」
駐車場まで来たところでアリシアは足を止め、インカムに向かって呟き始める。
「十、ダウ五、プラスゼロ二十――」
遠ざかっていく男の背中を見つめながら言葉を続ける。そして発射を現す最後の言葉を呟こうと口を開いた瞬間――
駐車場に入ってきた車に、男がはね飛ばされた。
「……あ~、えっと、ちょっと待って、キャンセル」
突然のことに一瞬呆気にとられながら、アリシアはインカムに中止を伝える。割と大きな音ではねられていたが、呻き声を上げながらのた打ち回っている様子から、命に別状はなさそうだった。
「――やっべ、思い切りはねちまった」
「……おい、昨日洗車したばかりなんだぞ」
男をはねた車から二人の人物が降りてきた。アリシアは小走りで彼らに駆け寄る。
「あ、そこの方々、すみません。私、アルストロメリア所属のハンターで、その賞金首の男を追っていたんですけども――」
アリシアの声を聞き、二人の人物が振り返る。
「ん?」
「え?」
「あ?」
互いの顔を認識し、三人の口から思わず頓狂な声が漏れた。
「……な、あんたらは――」
最初に口を開いたのはアリシアだった。嫌そうに顔をしかめて二人を指差す。
「柏木ハンター事務所のレイコー!」
「誰だよ、そんなアイスコーヒーみたいな呼び名付けやがったの」
名前をセットで呼ばれたコウは明らかに不機嫌そうな顔を浮かべた。その隣のレイがすっと目を細めてアリシアに視線を向ける。
「アルストロメリアの双子――ガルシア姉妹の片割れか。ということは近くにもう一人いるな」
「何であんたらがここにいるのよ!」
アリシアは不快感を全く隠さずに言った。彼らもアリシアと同様の賞金稼ぎ――要は商売敵なのだ。
「……何でって、そりゃ賞金首を追ってきたに決まってるだろ。まさかターゲットがいきなり目の前に飛び込んでくるとは思わなかったけど」
そう言って、コウは足元に転がる男を軽く蹴飛ばす。
「ていうか、それこっちの台詞だよ。ちゃんと独占権買ってんだぞ」
コウの言う独占権とは、ハンター同士のバッティングが起きないよう、事前に賞金首の情報を購入する事だ。主にハンターに雇われた〝情報屋〟と呼ばれる機関が競売のように賞金首の情報を購入し合い、それを雇い主に卸すといった形だ。
「こっちだって独占権買ってるのよ! 一週間も前に!」
アリシアはコウを睨みつけながら言った。その言葉にレイがため息を吐きながら口を開く。
「独占権の有効期限くらいしっかり確認しておけ。お前らの買った情報は二時間前に期限が切れているぞ」
「は?」
レイの言葉にアリシアは思わずぽかんと口を開ける。レイはポケットからスマホを取り出すと素早く操作し、アリシアに画面を見せた。そこには足元の男の顔写真が表示されており、期限切れの為、再販と表示されていた。
「これで分かっただろう? どちらが場違いなのか。分かったらさっさと消えろ。コウ、こいつを拘束して運ぶぞ」
レイの高圧的な物言いに、アリシアは唇を噛みしめ、わなわなと肩を震わせる。そんな二人に、コウは気まずそうな顔で交互に視線を送り、とりあえず言われた通りに足元に転がる男を結束ケーブルで拘束し始める。
「……ま、まぁさ。バッティングなんてよくあることじゃねえか。賞金首とか星の数ほどいるんだから切り替えていこうぜ」
場の空気に耐え切れず、コウは明るい調子で話し始める。
「詫びとかじゃないけど、良かったら今夜食事でもどう? お姉さんも一緒に呼んでさ。良いステーキレストランがあるんだ。勿論この空気の読めないおっさんは連れてこないから安心して――」
そう言いながら顔を上げたところで、コウの表情が固まる。アリシアが怒りの表情露わに銃をこちらに向けていたからだ。




