番外編1.宰相の王
長めです。
宰相がダークネスでブルーな回なので、さわやかな朝を迎えたい方はご注意ください。
「シュゼイン公爵」
元老会議の後、クレイドル・ヴァン・シュゼイン公爵は珍しい相手に声をかけられた。
「…なんだ、宰相?」
第二王子派筆頭、宰相・ガラク侯爵。かつて国父陛下とともに国を立ち上げた三つ目の賢人の子孫であり、サンドベージュの髪と紫の両目、淡い水色の第三の瞳を持つ壮年の男。
中立派筆頭のシュゼイン公爵に気を遣い、業務以外ではあまり話しかけてこなかったはず。内心首を傾げていると、背の高いシュゼイン公爵を見上げ、気の良い老人のような笑い方をした。
「この後少しよろしいですかな?付き合っていただきたい場所があるのです」
「…何故、私を誘う?」
正直、シュゼイン公爵はこの時点でかなり嫌な予感がしていたが、宰相はなんてことないように答えた。
「その場所が、シュゼイン将軍がいらっしゃらないと行けない場所であるから、ですな」
シュゼイン公爵は目を瞑り眉間を揉んだ。
「軍部と暗部の最高権力者が同行しないと入場許可すら下りない場所に行きたい」と正面から断言されてしまったのだ。彼の心労は計り知れない。
「あれと友人だった覚えなどありませんが、どうせ最後でしょうから、言うだけ言ってやりたいのですよ」
いつも人を食ったように笑んでいる宰相がはっきりと嫌悪を滲ませ吐き捨てた瞬間、シュゼイン公爵は彼の目的地を察した。
こめかみを指で何度もなぞり、それでも飽き足らず唸り、考え込んだ結果。
「………………入ったら、許可なく何にも触れてはならん。人にも物にも」
「承りましたとも」
無事シュゼイン公爵を言い包めた宰相と言い包められたシュゼイン公爵は、王城の奥、東棟の最奥へ足を踏み入れた。
「……っあ」
扉を開くと、泣き腫らした顔の女性と、ベッドに腰掛けぼんやりと宙を見ている男が一人。
こつん、と宰相の足音が響く。
「『ディライズ』。『僕』はずっと君に言っていたはずだよ。ヴァレンヌと別れろと。どうしても別れたくないのなら、王位継承権を放棄するか、子を産めないよう処置をして愛妾として迎えろと」
名目上は未だ王である男に、宰相は静かに切り出した。
「でも君は、『王位継承順位第三位のお前が王太子の座を得るためだろう』と一度も聞いてくれなかったね。……愚かな」
すると、この数時間ですっかり老け込んだ国王が、ひび割れた唇から切れ切れに言葉を紡ぐ。
「……何故……何故だ……。余は、好きな女と結婚したかっただけだ……。たった一人の愛する息子を、王にしてやりたかっただけだ……」
二人の我が子を完全に無視した口振り。
「ユーフとて……薄汚い平民と結婚したではないか……平民の子を、後継に据えたではないか……」
「当たり前だろう。君と僕は、違う人間だ」
さらりと断言した。
「知っているだろうが、君の父君……先王は、妾腹の子だ。父親は三代前の国王陛下で、母親は陛下が隠居先で手篭めにした村娘」
女癖が酷いことで有名だった時の王。廃位になった後もそれは変わらず、事実確認のため娘の元に向かうと、娘は既に死んでいた。
どう見ても王族の血を引く幼い双子と、三代前の王に乱暴され子を成したという遺書を残して。
「全く……我が祖父ながら、頭がおかしい。高齢のお祖母様に無理をさせて死なせておいて、十年も経たないうちに平民の娘を手篭めにするなんて」
シュゼイン公爵はコクリと首を縦に振って肯定した。
「なので三日後に暗殺しておいた」とは言わなかったが。
「本来なら子ができない処理をして、孤児院にでも預けるところだ。しかし当時の国王陛下は、流行病で妃と二人の王子を失っていた。兄と親子ほど歳の離れた妹もいたが、兄は王家嫌い、妹には既に想い合う婚約者……我が父がいた」
ガラク侯爵家の特殊な事情もあり、婚約者をすげ替えて王妹が即位する案は、即刻却下された。
結果、王家は双子を引き取り、兄の方を王太子にしたが、半分平民の王子に嫁ぎたがる貴族令嬢は国内におらず。
先王は国外の貴族から妃を娶った。
「そして生まれたのが君。君を溺愛していた先王陛下ご夫妻も、先王陛下を引き取った先々代陛下もお隠れになれば、君の後ろ盾は皆無。だから君は、国内の高位貴族の令嬢を王妃に迎え、次の王を産んでもらう必要があった。両親とも上級貴族以上である子をね」
貴族にとって、血は、武器であり防具だ。正統な血筋を持つからこそ、皆恐れ、敬い、従う。
よしんば対抗馬がおらず、王になれたとしても、従う者がいなければはりぼてに成り果てるのだ。まさに、今の王のように。
宰相は胸に手を当てる。
「翻って僕。父は宰相を多く輩出してきたガラク侯爵家の当主で、母は元王姉のアメシスト大公。父の二代前には、当時の王弟殿下が臣籍降下してきている。血筋の正統性でいえば、僕の方が上だ」
それに加えて、ガラク侯爵家は建国以前から王家と共にある由緒正しい家柄だ。伝統を重んじる貴族たちは、四分の一平民の王子より、宰相の即位を望んでいた。
しかし、ガラク一族の考えは違った。
「……ディライズ。当時、僕は君を排除しようなんて思わなかった。……君は従兄弟で……腐っても幼馴染だと思っていたから」
宰相がそう言っても、宙を見つめたままの王。
「もちろん、我が侯爵家もね。……だから、なるべく自分達の権力を削いだ。ナタリアが、平民が私の『唯一』だったのは偶然だけど、爵位を継ぐ前提での婚姻を決めたのは、そういう理由もあった」
かん、と爪で机を叩く。
「……だが、君は裏切った。タルヴァ公爵令嬢への婚約破棄という形でね」
冷え切った声に、側妃がびくりと身を強張らせた。身につけた装飾品の擦れた音が、静まり返った部屋に響き渡る。
それよりさらに無機質な声が、続きを紡いだ。
「第三王子はダメに決まっている。血の半分以上が平民で、怠惰な上無能。後ろ盾のウォレスは、自分たち一族以外は奴隷か何かだと思っている。国が傾く未来しか見えない」
中立を誓うシュゼイン公爵も、さすがに第三王子の即位だけは阻止するつもりだった。
「僕もガラクだ。愛に生きたい気持ちは分かる。
だが、それなら誠意を見せるべきだったね。他人にばかり犠牲を強いて、自分だけ全てを手に入れようとしたから、こうなった。徹頭徹尾、因果応報で自業自得」
「ユゥゥーフゥゥゥゥ!!」
王が突如立ち上がり、宰相に襲い掛かる。側妃のか細い悲鳴が上がる。その手が宰相に届くより一瞬早く、シュゼイン公爵が王の肩を掴み、無理矢理ベッドに座らせた。
「お前!お前が!何故何故何故何故っ!!」
「ディライズ。最後の忠言が無視されてからだよ。僕が、君を徹底的に利用してやろうと決めたのは。アロイジア王家の存続のため、何の罪もない国民のため、そして……君のくだらない野望に巻き込まれた、可哀想な子どもたちのために」
きつく目を瞑り、この会話で初めて、うめくように悲痛な声を出した。
「……愛せないなら、せめて大切にすれば良かったんだ。元婚約者も、王妃陛下も、二人の王子殿下も」
それでもしっかり己の足で立つ宰相と、なおも虚ろな目でぶつぶつ言い続ける王。
「マーシャも、マーシャの子も、死ねば……グライドが……我が愛しの妃の子こそが……」
「あれだけのことをしておいて、狂って逃げるとは。さすがに卑怯者の君らしい」
鼻で笑い、宰相は視線を王の斜め下に移した。
「さて、ヴァレンヌ」
側妃はびくりと身を強張らせた。
「僕としては、お前も憎い。お前のような、平民で王妃教育どころか一般教養も怪しい毒婦が現れなければ、幾分かマシな現状だったろうに」
こつり、と音を立てて、一歩、近付く。
「僕は文官だ。お前のことを、刺したり斬ったりはしない。だから、これから教える事実が、僕からお前へのささやかな復讐だ」
宰相は、自分が持つ武器を正確に見極め、それを一番効果的に振るう方法を知っていた。
知っていて、その武器を存分に振るわせてくれる男を同行者として選んだ。もちろん、彼がいないと、獲物が「射程」に入らないという現実的な理由もあるが。
獲物をいたぶる猫のように、あえてゆっくり語る。
「ディライズの元婚約者だったタルヴァ公爵令嬢は、王妃になるために国家機密もかなり教えられていた。……だから、口封じのため、殺された」
数多くの重要機密を知りながらも、婚約者のせいで王家に入れなくなった彼女を、王は放っておかなかった。
彼を止める有力貴族が不在の状況で、彼女の愛する両親や弟を盾に脅し、婚約破棄のその場で毒杯を迫ったのだ。
小柄な宰相が床に座り込んだ側妃を見下ろす。
「お前たちのくだらない野望のせいで、殺された。……ディライズもお前も、相当恨みを買っているよ?」
「だ、誰に」
元平民で反応が鈍い側妃に、丁寧に説明を始める。
「まず王妃かな。私利私欲で五歳からの婚約者を殺す浮気男に、想い合う婚約者との婚約を解消されてまで嫁がされたんだ。その嘆きと怒りは凄まじいものだろうね」
しゃがみ込んで視線を合わせ、愉悦にまみれた声音で囁く。
「加えて……武勇で知られるテルセン辺境伯は王妃の従兄弟で、元婚約者でもある。今でも仲の良い二人だ。彼女を蔑ろにした男どころか、顔が似ているだけの第二王子すら忌み嫌っているんだ。……さて、元凶の一人には、どう対処するだろうな?」
側妃が涙目でシュゼイン公爵を見るが、彼を止める術も、義理もない。関わり合いにもなりたくないので、無視する。
「まあ一番お前たちを恨んでいるのは、現タルヴァ公爵だろうけど」
「彼は私の義理の兄弟よ!?」
「そうだね。愛する家族を殺した女を養子に迎えろと命じられた彼の憎悪は、さぞ膨れ上がっただろう」
両目を大きく見開く側妃。
「あい……?」
「そうだよ。彼のことは昔からよく知っているが、姉君とはそれはもう仲の良い姉弟だった。なにせ、君とディライズへの復讐のためだけに、長年犬猿の仲だったソラシオ公爵家と手を組むほどだ」
みるみるうちに青ざめていく。
婚約破棄に始まる一連の出来事について、主犯格で実行犯は、国王だ。
しかし、それを止めようともしなかった側妃も、間違いなく共犯ではある。
今更怯える側妃には、間接的にとはいえ、大勢の人間の人生を狂わせたという自覚が足りなさすぎる。
大体義兄弟というが、その義兄弟から家族を奪ったのは、王と側妃だ。それなのに、どうやったらタルヴァ公爵が守ってくれるという発想になるのか。
「君の養子入りが許されたのは、ディライズが先代のタルヴァ公爵を脅したせいだ。『従わないと、王家と共同で行っているタルヴァ公爵領の大規模な街道工事から手を引くぞ』、とね。街道が完成した今、君を庇う理由は、一つも無い」
よいしょ、とのんきな様子で宰相が立ち上がった。
身をかがめ、側妃の耳元で、跳ねるように軽く、想像することすら憚られるほど、恐ろしい未来を歌う。
「眠っている間に暗殺者が来てぐさり?食べ物や飲み物に入れられた毒でのた打ち回って死ぬ?適当な罪状を被せられ拷問の後公開処刑?あ、不衛生な牢で過ごせば、その前に病死できるかな?」
紫色の瞳が三日月型に歪んだ。
「君がどんな死に方をするか、楽しみにしているよ」
満足したのか、側妃に背を向けた宰相はすっきりした笑顔でシュゼイン公爵に笑いかける。
「さ、シュゼイン公爵閣下、用は済んだので参りましょう」
「…そうか」
その瞬間、側妃の中で恐怖が弾けた。
「助けて!助けてよぉ!!あなたすごく偉くてすごく頭がいいんでしょ!?ディーラが前に言ってたわ!!」
「……頭が悪いお前のため、もう一度言ってやろう」
泣いて足に縋る側妃を、汚いものを見る目で見下す。
「宰相としてではなく、ユーフラティス・ジード・ガラクという一人の人間として、お前たちのことを生涯恨む。……従兄弟だから、幼馴染だから、王子だから、あんな男でも支えてやろうと思ったのが、僕の、人生最大の、失敗だ」
絶望した顔の側妃を蹴り飛ばすように払う。
これから側妃は、いつ来るか分からない死に怯えて暮らすことになる。暗殺者を恐れて一睡もできず、毒殺を恐れて何も飲み食い出来ず、いつかけられるか分からない冤罪を恐れて過ごす。
正気を保っていられるのは、一体何日ほどだろうか。
「せいぜい、私たちを満足させてから死んでくれ」
側妃の咽び泣く声を背に、二人は退室した。
砂金の間。
重罪を犯した王族が、幽閉までのわずかな時間を過ごす部屋。
宰相が二人に会うことは、もう無いだろう。
そんな君でも、僕の王だった。
ガラク家の「特殊な事情」については、また後ほど。
お読みいただき、ありがとうございました。




