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ささやかな勝利

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 開戦より三日が経過した。

 未だカーマルン男爵率いるガドモア王国軍は、第一柵すら突破出来ずにいた。

 無論それは、三兄弟の考案した冬の風を利用した煙による崖道の封鎖によるものだが、この戦意の低さに、アデルとトーヤは困惑していた。


「おい、どうする? 計画と違うぞ…………計画では程よく敵を足止めしつつ後退を繰り返し、第五柵か六柵辺りで敵が兵糧切れで撤退するはずなのに、未だ第一柵すら破っていないとは…………」


 アデルが頭を抱えると、トーヤもまた顔を顰めつつぼやく。


「いくら半分物見遊山気分とはいえ、あいつらやる気が無さすぎる。このままじゃ、他の侵入口を探そうとするかもしれないぞ」


「もう煙の封鎖を止めるか? でも、いきなり止めたら、何かわざとらしくないか?」


「でもこのままだと、敵は難攻不落の崖道を諦め、他のルートを探し出すぞ。ウズガルドに命じて、第一柵を放棄させて、敵の出方を窺うというのは?」


「それしかないか…………放棄する事で敵の猛攻の呼び水となるかもしれないが…………」


 アデルは止むを得ず、ウズガルドに、煙を焚くのを止め、第一柵の放棄を命じた。




 ーーー



 一方その頃、カーマルン男爵はというと……


「ええい、小勢相手に何を手こずっておるのか! 煙が何だというのか! 構わぬ、多少の損害には目を瞑るゆえ、兵を突撃させよ!」


 カーマルンは、不甲斐ない報告をする騎士に向かって、手に持つ短鞭で打ち付けたい気分であるが、彼らは叔父である西候から借り受けた者たちであるため、自制した。


「ここは一度、兵を退き体勢を立て直すべきではありませぬか?」


「なんだと! 煙如きに臆したか」


 臆病風に吹かれたかと言われた騎士は、ムッとした表情を隠しもせず、現時点での不利を説いた。


「煙如きと申されますが、あの煙のせいで前が見えず、進むに進めぬのは事実。また、我らは戦に来たに非ず。領地の受け取りに来たのであって、兵糧も僅かであり長陣に耐えられませぬ。それに今年は冬の訪れが例年より些か早う御座います。飢え、凍えていたずらに損害を増やすよりは、勇気ある撤退が必要ではないかと愚考致す所存」


「ええい、黙れ! 第一、撤退したとして何の面目あって叔父上に顔向け出来ようか!」


「しかし、兵の大半は侯爵閣下から借り受けた者たちで御座いますれば、これ以上損害を出すことを侯爵閣下がお喜びになるはずも…………」


 カーマルンは痛い所を突かれてしまい、悔しげに口を歪ませた。

 兵力こそ三千もあるが、そのほぼ全てが叔父の西候から借り受けた者たちである。

 確かに、騎士の言う通り、損害を顧みずネヴィル王国を攻めたて、陥落させたとしても、西候の機嫌を損ねるのは目に見えていた。

 力を籠め、両手でしならせていた短鞭が、パキリと音を立て折れると、カーマルンは奇声をあげながら、それを力いっぱい地面へと叩きつけた。


 翌日、カーマルンは失意の内に撤退を命じた。

 攻めあぐね、初冬の寒さに身を震わせていた将兵らに異議はない。

 煤け、黒くなった顔のまま、彼らは帰途についた。



 ーーー



 こうして、ネヴィル王国とガドモア王国の初めての戦いは終わった。

 この戦いでのネヴィル王国側の死傷者は皆無。

 一方、ガドモア王国軍の損害は、数十名程度。その殆どが崖道からの転落死であった。


 敵が退いたのを見届けたウズガルドは、最低限の兵を残して引き揚げた。


「ウズガルド卿、よくやってくれた」


 アデルは総司令部として機能している山海関の上に立つ櫓を兼ねる高楼内で、ウズガルド老人の手を取り、激賞し、労う。


「いえ、これも全て殿下の策によるもの。某は何もしておりませぬゆえ」


 ウズガルドとしては、これを人生最後の戦いとするつもりであったが、碌に槍も振るわないうちに、敵が退いてしまったため、消化不良の感が強い。


「褒美は何が良いか?」


 そうアデルが聞くと、ウズガルドは少し考え、間を開けた後にこう言った。


「では、次の戦に於いても、某を先手の将に任じられたし」


 アデルは、一瞬キョトンとした後、大笑した。

 そして笑いながらこう言った。


「それでこそネヴィルの騎士だ。だが、次の戦…………おそらくは春だろうが、次は敵は本気で攻めて来るぞ。それにもう煙の壁も使えない。下手をすれば、あの崖道は敵味方の血で塗装されるような、血みどろの戦いの場になるやも知れない。それでもか?」


「望むところでありましょう。某の目が黒い内は、敵に王国の地を一歩たりとも踏ませはしませぬ」


 頼りにしているとアデルは頷きつつ、アデルはウズガルドの手に革袋を手渡した。

 革袋の中には、少量の砂金、そしてこの地で取れる宝石であるオパールが幾つか納められていた。

 戦いらしい戦いもなかったにしては、十分な褒美である。

 家に帰り袋の中身を知ったウズガルドは、それらを見てアデルの気前の良さに満足した。


「褒美というのは吝嗇ケチであってはならぬ。 しわいと人は着いて来ぬでのぅ。そのことを殿下は、お若いにもかかわらず、ようわかっておるわい」


 アデルは、ガドモア王国軍が完全に撤退し、再び侵略して来る気配が無いのを見届けたあと、ネヴィル王国の勝利を宣言した。

 すぐに戦勝祝賀会が開かれることになったが、これにはアデルとトーヤが待ったをかけた。


「戦勝祝いは、カインとカインが率いて来るだろう、エフト族の者たちが到着してからにする。彼らには無駄骨を折らせてしまったゆえ、せめて酒と料理くらいは存分に楽しんで帰って貰おう」


 ガドモア王国の撤退からおよそ一週間後、カインがエフト族の戦士百人ほどを率いてネヴィル王国へと戻って来た。

 援軍に来たエフト族の者たちは、既に戦いが終わり、ネヴィル王国側がただの一人も死者を出さずに勝利したと知り、大いに驚いた。

 カインもまた、アデルとトーヤから戦の詳細を聞いて驚いていた。


「えっ、第一柵で敵を撃退しちゃったの? ちょっとやりすぎじゃないか?」


 カインの懸念するところは、アデルとトーヤと同じであった。


「取り敢えず、対策として山岳猟兵の数を増やして対応するしかない。敵の細作や斥候の侵入を、どうにかして食い止めないといけない」


「まぁ、何はともあれ、勝利は勝利だ。今は…………今だけは素直に勝利を喜ぼうぜ」


「勝ちというには、あまりにもささやかなる勝利だが…………」


「どんなに小さくても勝ちは勝ち。取り敢えずアデルに箔がついたことに変わりなしさ」


 援軍に来たエフト族を交え、ネヴィル王国では国を挙げて盛大に戦勝を祝った。

 祝賀会が終わると、彼らには持ちきれぬほどのお土産まで与えて、帰路に就かせた。

 酒と料理を存分に振る舞われ、さらにはお土産を持たされた彼らは、上機嫌で帰って行った。

 やがて彼らは部族の元へと帰り、今回のネヴィル王国の勝利を家族や周囲に話すだろう。

 そしてその話はやがて、エフトを通じて北のノルトへと流れていくであろうことは、まず間違いない。

 祝賀会の晩、三兄弟はいつも通り、それぞれのベッドの上に寝転びながら、国家の大事を語り合う。

 三兄弟は、殿下と呼ばれる身になっても、贅沢とは無縁であり、昔と同じく子供部屋で三人一緒に寝ていた。


「出来る限り自然な形で、我が国勝利の報が、ノルトの王の耳に届くようにしなければならない」


「ああ、下手に工作すると、かえって目立つ。ノルトの王ならば、それに必ず気が付くに違いないからな」


「今気付かれてしまっては、元も子もない。彼の王に自然とこちらに興味を持たせなければならない」


「そう、何としても最初に、向こうからこちらに接触を試みるように仕向けなくてはならない。こちらから摺り寄れば、取るに足らない小国と侮られ、下手すりゃ門前払いされる可能性だってあるからな」


「彼の王に、ネヴィル王国の戦略的な価値について早々に気付いて貰わないとな」


「それにはまだ実績が足りない。たった一度の勝利では、所詮はまぐれと受け取られてしまう。何としても、もう一度、最低でも、あと一度は、ガドモアに勝利しなくてはならない…………」


 その姿を見たことすらないノルトの王との駆け引きは、すでに始まっていたのであった。

 

あと数話で幼少期編終わります。


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