ありふれた幸せ
夜、三人は自室の窓から夜空を眺めていた。晴れた日は決まって三人はこのように星空を眺める。
満点に輝く星々を見ると、不思議と良い知恵が浮かぶのだ。
だがその星々のように、三人の心の中は清浄な光で満たされているわけではなかった。
むしろ、煩悩でドス黒いと言っても良い。
「なぁ、俺たちは前世でも結婚していないんだが……結婚ってどんなもんなんだろうな? 結婚するとして相手は誰になるんだろうか?」
「そりゃ、お前……父上や母上、それに叔父上を見ればイチャイチャ甘々の生活だろうよ」
「いや叔父上は何となくわかるよ。でも、あの親父殿が母上とイチャイチャしてるところを見たことがないぞ」
「教育に良くないと、俺たちの前では遠慮してるに決まってるだろ……う~ん、それにしても結婚相手か……アデルはまぁ、政略結婚だな。俺たちが楽になるように、良い家の御嬢さんを引っ掛けろよ」
カインの言葉に、トーヤもうんうんと頷いている。
「政略結婚か……貴族だからしょうがないか……カインとトーヤはどうなんだろうな?」
う~んと三人で腕を組んで考えた結果、結局は叔父のように地元との絆を深めるようになるのではないかとの結論に達した。
「ずるいぞ! 俺は政略結婚で、お前たち二人は自由恋愛結婚だなんて!」
「まぁ、そう言うなよ。俺たちは家を継げないんだぜ? それに当然だがまだ相手もいないし、結婚できるかどうかもわからねぇんだしさ」
「そうそう、それに俺たちまだ七歳だぜ? 倍生きてもまだ結婚年齢に達してないじゃん。今は考えるだけ無駄だろう。明日から叔父上が稽古を付けてくれる。もう、寝ようぜ」
三人はあの優しい叔父なら、稽古も楽になるに違いないだろうと思っていたのだが……
ーーー
「うぎゃあ!」
肩を棒切れで打たれたトーヤが地面に転がりながら悲鳴を上げる。
すでにアデルとカインは地面に倒れており、ピクリとも動かない。
「お、おおおおお叔父上、少しは手加減を!」
トーヤの必死の哀願は叔父の厳しい叱咤に掻き消された。
誰だよ訓練が楽になるなんて言ったのは……あ、俺か、とトーヤは痛みに悶えながら心の中で自分自身に突っ込みを入れた。
「手加減はしないよ。父上から、君たちが並みの子供じゃないと聞いているからね。それに、そんなことじゃ春に連れて行ってはあげないよ。さっ、そこの二人も気絶したフリなんかしていないで、起きて掛かってきなさい」
トーヤは、隣に倒れているカインのわき腹を訓練用の棒で突いた。
すると、ビクンとカイルの身体が揺れる。
こいつ……汚ねぇ……
トーヤはカイルのわき腹を執拗に突いた。
「おいトーヤ! お前いい加減にしろ、ぎゃぁあああ」
しつこいトーヤに文句を言おうと起き上がったカインの頭に、叔父の一撃が決まったのだ。
それを薄目で見ていたアデルは、慌てて飛び起きる。
「よ~しこうなったらあれをやるぞ!」
「あれをやるのか! よし、位置に着け!」
「わかった!」
三兄弟は一直線に並ぶと、叔父目掛けて駈け出した。
「「「「喰らえ、ジェットストリーム攻撃!」」」
でやぁあ、と先頭のアデルが棒を振り降ろすが、叔父のギルバートはそれをあっさりと横に躱し、躱しざま三人の頭に前から順番にポカリと叩いていく。
「ううっ、流石は叔父上……この技を見破るとは……ならば、三角攻撃だ!」
三人は叩かれた頭を摩りながら、ギルバートを中心に三方向から取り囲み一斉に攻撃する。
ギルバートは素早く長男のアデルに向かって大きく踏み出すと、その頭に軽い一撃を加える。
そして振り向きざま、飛び掛かって来たカインのわき腹を薙いだ。
さらにそのまま身を翻し、トーヤに向かい合ってその腕を棒の先で叩く。
見事に第二の技も破られた三人は、苦悶の声を上げながら地面を転がりまわっている。
その様子を見ながら、面白い兄弟だとギルバートは思った。
一人では勝てないと見ると、即座に三人で協力する。さらに、繰り出した技は取るに足らないものではあるものの、創意工夫がなされているのがまた面白い。
だがこれは、某有名漫画と、有名なゲームの技であり三人が編み出したわけではない。
その後も、厳しい訓練は続けられ、終わるころには三人とも今までよりも数多くの瘤をこさえていた。
「「「あ、ありがどうございまじた……」」」」
初日からボコボコにされた三人は、涙声で叔父に礼を言う。
泣いてなんかないやい、これは心の汗だい! と三兄弟は強がりながら裏庭を後にする。
この後は、家庭教師のトラヴィスによる礼儀作法の授業である。
「アデル君、何度言えばわかるのですか! お茶は飲む物です。啜ってはいけません!」
アデル本人も注意はしているのだが、前世での四十数年間の癖はそう簡単には治すことが出来ない。
「カイン君、ナプキンの畳み方が雑すぎます。やり直し!」
「トーヤ君は、またナイフとフォークの置き場所を逆にしていますよ!」
トラヴィスの授業は厳しい。だが、三人にとっては天国のような時間であった。
なんせどんなに間違おうが、拳骨が飛んで来るわけでもなし、棒で叩かれることもないのだから……
「先生! 先生はいつまでも俺たちの先生でいてください、お願いします!」
見た目だけ優しい叔父上とは大違いだ。俺たちによってトラヴィス先生は、まさに癒し。絶対に辞めさせたりなんかするもんかと三人は思った。
「アデル君……ありがとう、嬉しいよ。僕も一日でも長く君たちの先生でいられるよう頑張るけど、君たちも一日でも早く僕が必要なくなるように、礼儀作法を学んでね」
アデルとトラヴィスはがっちりと握手を交わす。だが、その思いには多少のズレがある。
トラヴィスの授業が終わると、三人は母の仕事の手伝いをする。
この家の経理は母が一手に引き受けているため、仕事は溜まりがちである。
だが三人が手伝うようになってから、その溜まっていた仕事は全て消化されてしまった。
なんせ、母であるクラリッサが算盤を弾いている横で、三人は暗算で正確な答えを出していくのである。
「今日の分はこれで終りね。それじゃ、おやつにしましょうか」
いえ~いと三人はハイタッチを交わす。叔父の厳しい訓練のせいで、すっかり腹ペコになっている。
おやつといっても、甘いお菓子が出てくるわけではない。
昨日はカブの酢漬け、一昨日は胡桃の塩ゆでといったように、甘味が出て来る事はない。
塩が貴重ならば、砂糖はもっと貴重なのである。
階下から、ほんのりと甘みを含んだ香ばしい匂いが漂って来る。
これは三兄弟の大好物の一つである、炒ったイナゴ豆の匂いである。
その香りに反応して、三人の腹はグゥグゥと鳴きはじめる。
「はい、お待ちどうさま」
クラリッサが自分で盆を持って来る。他の貴族の家ならばありえない光景だが、母であるクラリッサは商家の出である。
家事もある程度は自分でこなしていた。
親子四人で温かい麦茶を飲みながら、イナゴ豆を啄む。
炒ったイナゴ豆は、外は香ばしく噛めば甘みがある。
イナゴ豆はコールス地方では貴重な甘味であり、副食というよりは嗜好品として栽培されているのであった。
親子はおやつに舌鼓を打ちながら茶を啜り、会話を楽しむ。仕事の話、領内の話、そして最後には家族の話になる。
「母上は、父上のどこが好きなのですか?」
トーヤがクラリッサに率直な質問を聞いてみる。
「そうねぇ、強くて優しいところかな? あと、熊さんみたいでしょ? 私、小さいころから熊さんが大好きなの」
それを聞いた三人は親父殿は熊かよと、心の中で突っ込む。そして如何にも母らしいと笑った。
何の変哲もない午後の一コマ。だが三兄弟は、その何ともない日常に確かな幸せを感じていたのであった。
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