占星術師と三兄弟 其の三
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応接室での表向きには和やかに見える歓談は終わり、その晩には高名な占星術師セオドーラを歓迎する晩餐が開かれた。
宴と言っても田舎の小貴族の宴である。普段の晩飯よりは遥かに豪華だが、それでも都会の貴族たちのような洗練されたものとは、まるで比べものにならない程、質素である。
出される料理は、高齢で歯の抜けたセオドーラを気遣って、柔らかく老人でも食べやすい豆腐料理がメインとなった。
他にも天麩羅や、養鶏の成功により、領内で急速に普及しつつある鶏卵を用いた卵料理の数々、そしてこれまた三兄弟が領内に広めた調味料の、マヨネーズなども並べられ、質素な晩餐を賑やかせている。
そう、三兄弟が養鶏に拘った理由の半分は、このマヨネーズを作るためである。
マヨネーズの材料は、卵黄、オリーブオイル、ワインビネガー、塩と、全部ネヴィル領で調達出来る物である。
マヨネーズは肉料理、魚料理、サラダとまさに万能調味料とも言うべき代物。
レシピは直ぐに他の卵料理らと共に領内中に伝えられ、その中でも領民たちはマヨネーズの美味さにたちまち魅了され、今ではどの家庭でも日常的に用いられる、万能調味料の地位を獲得している。
「ほうほう、これが豆腐というものかえ? どれどれ…………うむっ、これは豆の味が良く出ておる。それにこの柔らかさは、私のように年老いた者にも食べやすいわい」
「少し酸味が強いですが、このマヨネーズとやらを掛けると、俄然食が進みます」
老婆であるセオドーラは、予想通り食べやすい豆腐を喜んで食し、若いジョアンはネヴィル領内の多くの者たちと同じように、すっかりマヨネーズの虜となっている。
質素だが心の籠った、この地でしか味わえない料理の数々に、存分に舌鼓を打った二人は、機嫌よく宛がわれた寝室へと向かった。
ーーー
客人としてそれぞれに部屋を宛がわれた二人。
ジョアンは寝室に着くと直ぐに、部屋を出てセオドーラの居る部屋へと向かった。
「御婆様、長旅でお疲れでしょう。今宵はゆるりとお体をお安め下さいませ。私は隣室に居りますので、御用の際にはこの鈴を御鳴らし下さいませ。では……」
ジョアンは鈴を枕元にある棚の上に置くと、部屋を立ち去るべく踵を返した。
「お待ち……少しだけ、話し相手をして貰おうかねぇ」
「御婆様、夜更かしはお体に障りますよ。先程も申しましたが、今宵は長旅の疲れを癒すのが肝要かと……」
助手であり弟子でもあるジョアンの言葉を聞いても、セオドーラの意志は変わらない。
にこやかな笑みを浮かべながら、枕元を指差し、おいでおいでと手招きをする。
こうなってしまっては、もう自分の言うことなど聞きはしないので、しょうがなくジョアンは手招きに従いベッドの脇に寄り添い跪く。
「で、実際に見てどう思った?」
今宵の師は、随分と直接的だなと内心で首を傾げながらジョアンは、感じたまま、思ったままを素直に述べた。
「はっ、この目で実際に見たところ、奇相と言うべきかと……ですがあれはやはり、凶相の類ではありませぬか?」
「ふむ、お前はそう見たか。では一つ聞こう。誰から見ての凶なのか?」
「それは勿論、ガドモア……はっ、もしや御婆様は!」
セオドーラは、ニヤニヤと笑いながらしーっと、指を立てた。
「声が大きい。吉凶とは、見方によっては真逆にもなる。国王にとっては凶でも、民草には吉。私はそう見たがね…………」
「御婆様、滅多な事を御口になされますな! このようなことが他人の耳に入りでもしたならば、御命は御座いませんぞ!」
「ふっふっふ、老い先短いこの命で良ければ、いくらでも差し出そうぞえ。それにしてもスイル……お前は大きゅうなったのぅ。お前の母であるダリアが命を懸けて守ったその命、大事にすると誓え」
「それは勿論。母亡き後、御婆様にここまで育てて頂いた御恩、片時すら忘れてはおりませぬ」
無き母親を思い出したジョアンことスイルは、悲しげに目を伏せた。
スイルは、とある貴族の妾の子である。正妻に追い出されたスイルの母、ダリアが幼いスイルを抱いて王都の裏道で途方に暮れていたところを、偶然通りかかったセオドーラが、親子共々保護したのである。
その後、妾であるダリアが生きていることを知った正妻が、暗殺者を雇いダリアを毒を以って暗殺した。
ダリアの死を知ったセオドーラは、まだ幼いスイルを引取り、魔の手が伸びないよう名を改め身近に置き、今に至る。
「いいか、良くお聞き。わたひ(私)が死んだら、お前は直ぐに王都を離れ、この家に仕えよ」
高齢なセオドーラは歯が数本値け落ちているため、話す時に時々その隙間から空気が洩れて聞き取り難い。
「なっ、何を申されまする御婆様! 私は、私は!」
セオドーラは落ち着けと、肩をいからせながらにじり寄るスイルを宥める。
「落ち着いたかえ? では続きを話そう。私の寿命は間もなく尽きる。この年になると予言や予知に頼らずとも、自然と死期を悟るものじゃ。私が死んだあと、スイル……お前は様々な人間から命を狙われることになるだろう」
セオドーラが死ぬと、何故スイルが命を狙われるのだろうか?
それは世に流布しているある噂が原因であった。
セオドーラは元々、ガドモア王国に仕える宮廷お抱えの占星術師である。
王を始め、数々の貴族を占い、知りたくも無い裏の事情や情報を知り尽くしていた。
当然彼らは、自分たちの秘密を他人にバラさぬようにと、口止め料を払った。
セオドーラが宮廷お抱えの占星術師をしていた数十年の間に、支払われた口止め料の額は相当な物である。
その莫大な財が、後継者である若造のスイルの手に渡るとなれば、その心に邪を抱く者が多数現れるのは自明の理。
だが、実際にはそのような多額の財は存在してはいないのである。
確かに多額の口止め料は支払われた。しかし、それらをセオドーラは手元に置くを良しとせず、その殆ど全てを後の次代を担うであろう占星術師や、占星術に必須である数学の知識を持つ者たちの育成に注いだのであった。
当然の事だが、弟子であるスイルの育成にもそれらの金をふんだんに使っている。
「ですが、そのような財はどこにも……」
「確かに無い。あえて残さなかった」
「ならばその事実を知れば、きっと」
「甘い! 人の欲を舐めるでない。家探しし、それでも金が出て来なければ、スイル……お前が何処かへ隠したと思うじゃろうて」
スイルは馬鹿でも愚か者でも無い。言われるまでも無く、既にそれに気付いている。
「ですが! いえ……御婆様の仰る通りかと……一つご質問があります。なぜ、このネヴィル家なのですか? 確かに同業者からの知らせの通り、善政を敷き、急速に発展しているようですが、所詮は辺境の小貴族ではありませんか? 御婆様はこのネヴィル家に何を見たのですか?」
セオドーラは、遠くを見るような目つきでベッドの天蓋を見上げると、大きな溜息をついた。
「夢を見た。これまで見た事の無い、眩い光の夢を…………」
夢見の力……これはセオドーラのみ天から授かりし力であり、セオドーラから直々に知識と技を授けられたスイルでも得られなかった不思議な力である。
後にこの事を聞いた三兄弟は、トランス状態などの特殊な状態で見た幻覚ではないかと、口には出さないもののその力を否定した。
ともあれ、この時代の人々は科学が発達していないがために、総じて迷信深い。
スイルもまた、占星術師という職業柄、迷信深いと言える。ましてや、敬愛する師の言葉である。
その言葉に疑いを差し挟む余地は無い。
「明日、この家の運気を占おう。それでお前にもわかるであろう。さて、良い加減に夜も更けて来た。お前の言う通り、今宵はゆっくりと旅の疲れを癒すとしようか」
そう言ってセオドーラが目を閉じると、スイルは一言も発せずに、ゆっくりと静かに寝室を後にした。
武官はそれなりに揃って来たので、今度は文官を……トラヴィス先生だけじゃあまりにも寂しいので。
更に、トラヴィス先生が語学ならば、今度は数学ということで……




