ああ、憧れの天麩羅
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ネヴィル家に新たな命が誕生してから一年が過ぎた。
神の使い子や神童などと噂される三兄弟も数え年で十歳となり、昨年の春に産まれた長女のサリエッタも数え年で二歳となる。
よちよち歩きを始め、あ~だの、う~だの言葉を話し始め、乳歯が生え始めている。
この愛らしい幼児は家族中に愛され、三兄弟も兄として手が空いている時には、積極的に面倒を見ていた。
この一年の間、ネヴィル領内では幾つかの大きな出来事や、改革が行われていた。
最初に、エフト族の族長であるガジムが、カインに次期族長であるダムザの娘であるサリーマとの婚約を申し入れて来たのである。
この申し出に対して当主のダレンは勿論二つ返事で了承。当のカインも満更ではない様子である。
輿入れはまだまだ先の事となるが、この婚約によりネヴィル家とエフト族の交友が深まり、交易なども盛んになるだろう。
三兄弟の祖父であるロスコ率いるロスキア商会も、エフト族という新たな交易相手を得たことにより、細々ながらも活動を再開。
こちらからの輸出物は食料や塩、肥料、一方のエフト族からは羊毛、チーズなどの乳製品、毛皮などである。
また、軍事的には新たに山岳猟兵団が設立された。
これの設立に関しては、ネヴィル領の絶対防衛線である山海関と、その周辺の地形を説明しなくてはならない。
現在、ネヴィル領からガドモア王国へと続く道は、断崖絶壁を抉るように作られた道一つである。
道幅は狭く、油断をすれば見下ろす度に背筋が凍りつくような高さの崖下に、落ちるかもしれない険しい道である。
その道のネヴィル側の出口に、猫の額ほどの開けた場所がある。その幅は百メートルあるかないかで、左右の両脇は、やはり登攀も厳しいような断崖絶壁。万が一にも滑落すれば、命が助かる見込みはない。
その先に三兄弟が智恵を凝らして作り上げた要衝、山海関が鎮座する。
攻め込む側から見れば、この山海関は実に邪魔で攻めにくい。
何せ巨大で重厚な城壁のような関門を抜こうにも、眼前の土地が狭すぎて兵を大量展開出来ないばかりか、攻城兵器等を持ち込む事すら不可能。
攻城兵器をばらばらにして持ち込んだとしても、山海関の目の前で組み立てねばならず、山海関からの矢の雨に晒されながら組み立てるのは、事実上不可能と思われる。
だが山海関とて人の作りし物。決して無敵ではない。
三兄弟は自分たちが、この山海関を陥落させるにはどうすればよいかを、日夜話し合って来た。
その結果、一番考えられるのが、少数の登攀に長けた者たちが、大きく迂回して険しい山を越えて侵入し、山海関の門を内側から開けて来るという手であった。
これを捕捉し迎撃するには、こちらも山を熟知し登攀能力に長けた者たちを用意しなくてはならない。
そこで考えられたのが、新設された山岳猟兵団である。山岳猟兵団の旗印は山羊。険しい断崖をも駆け巡る山羊たちのその力に、自分たちもあやかりたいという思いから決められた。
現在のネヴィル家の最大動員数は、士分、兵あわせて凡そ二千程度。
この内から精鋭百名を選び出し、山に詳しい地元の猟師などに指導させ、山に熟知し、登攀に長けた部隊を編制した。
山岳猟兵団の初代団長には、古参の臣であるブロイスという者が選ばれ、副団長には新参であるハーローが選ばれた。
現在も、毎日のように山に登り、訓練とパトロールを続けている。
内政的にはというと、数年前から力を注いでいた養鶏がやっと実を結び始めていた。
買い求めた鶏たちが産んだ卵を食べずに、せっせと孵し、ヒヨコを育て成鳥にし、卵を産ませ、またヒヨコにして育てるのを繰り返した結果、現在では各街と村に養鶏場が建てられ、全領民たちに鶏卵がほぼ毎日のように行き渡るようになっていた。
これには領民も大喜びである。そしてその領民たち以上に喜んでいるのが、アデルたち三兄弟であった。
アデルたちは、卵を使って次々に卵料理を作り上げていく。
それは茹で卵や目玉焼き、スクランブルエッグのような簡単な物から、わざわざ鍛冶職人に四角いフライパンを作らせての卵焼きや、マヨネーズを作り上げた。
それだけには留まらず、三兄弟はある日本を代表する料理に挑戦し始めたのである。
「よっしゃ! 昨日仕掛けて置いた罠に、大鰻が掛かってるぞ」
ネヴィル領を流れる細く浅い川には、大鰻が生息している。また秋になれば、鮭鱒の類が遡上してくる。
アデルたちは、この大鰻を取るために長い筒の中に、そこいらを掘り返して捕まえた大蚯蚓を一匹放り込んで一晩沈めて置いたのだった。
鰻は夜行性で、さらに狭い所を好む習性があるため、このような簡単な罠で捕えることが可能である。
「こっちも川海老が大量だ! さっさと帰って鰻も海老も泥抜きしないとね」
川海老を捕える罠は、何十本もの細い枝を縄で縛り川に沈めて置くだけ。
川海老はこの枝と枝の間の狭い隙間に入り込み、そこを塒とするため、時間を置いて引き上げるだけで大量に捕獲する事が出来る。
捕まえた後、綺麗な井戸水に入れ、一晩泥抜きした後、大鰻と川海老を台所へと持ち込み、コックのモーリスに捌いて貰う。
「よし、ここからは俺たちが……」
「若様、くれぐれも、くれぐれも火傷などをなさりませんように」
熱したオリーブオイルが、パチパチと音を立てる中、コックのモーリスは三兄弟の一挙手一投足に細心の注意を払い続ける。
「わかってる。危ない事はしないよ。油に放り込むのはモーリスに任せるから」
そう言って三人は、てきぱきと天麩羅を揚げる用意を整えていく。
先ずは小麦粉の代わりに大麦粉を用意し、片栗粉の代わりにおから粉を用意。
岩塩を細かく砕いた塩少々と卵に水。それらを溶いて衣を作る。
その衣に捌いた大鰻の身を浸してから、熱々の油に放り込む。
パチパチと盛大な音を上げながら、大鰻の身は揚がり、ほんのりきつね色になってから油から引き揚げ皿へと移す。
今度は川海老。この川海老は、日本の川に住む手長海老くらいの大きさで、海老天に丁度いい大きさである。
殻を剥き、背ワタを抜いた海老の尻尾の身に、衣を付けて大鰻と同じようにサクっと揚げる。
それだけで厨房には香ばしい香りが漂い、三兄弟は何度も口中の生唾を飲み込んでしまう。
用意した分全てを揚げると、三兄弟とモーリスで試食会が始まった。
「天つゆが無いのが悔やまれるな」
こんがりサクっと揚がった天麩羅たちを前にして、アデルが残念そうに呟く。
「いや、塩でも十分美味いと思うぞ。さぁ、冷める前に頂いちまおうぜ」
そう言ってカインは、天麩羅の上にパラパラと塩を振り掛ける。
「いただきまーす!」
待ちきれないとばかりにトーヤが海老天を、ヒョイと摘まんで口の中に放り込んだのを皮切りに、遅れじとばかりにアデルとカインが海老天に手を伸ばす。
「う、ううう、美味い! 美味いぞーーーー!」
「こ、これは……これは、ヤバイな!」
「美味、美味。モーリスも食べて食べて!」
言われるがままにモーリスも海老天に手を伸ばし、口を付ける。
いつもの素揚げとは違い、衣のサクサクとした食感とその衣に塗された塩味が、絶妙のハーモニーを奏で出し、熟練のコックのモーリスをしても思わず、その美味しさに唸り声を上げてしまうほどであった。
今度は大鰻だと、四人はそれぞれ手を伸ばす。
実はこの大鰻、このネヴィルの地では食べれるが、身は白身でありながらブヨブヨとしていて、今一つ味が落ちるとされている、所謂下魚とされており、領民たちは好んで食べはしない魚である。
三兄弟としては、油で揚げれば余分な水分が飛んで、身は引き締まり穴子天のようになるのではないかと思い、この大鰻を選んだのだが…………
「おっ、これは…………まぁまぁかな。流石に穴子天のように、とはいかないか」
「だけど、美味いことは美味いぜ。アデルの言う通り、穴子天と比べちゃ駄目だけどな」
「油で揚げても時間が短いから、身に水分が残っちゃうのが難点だな。先に一夜干しみたいに干してからなら、もっと美味しくなるかも」
などと、三人の感想は今一つであったが、コックのモーリスの反応はまるで違う。
「若様がたは天才です! あの大鰻をここまで美味しく調理するとは、このモーリス感服いたしました。早速今晩、先代様やお館様、奥方様にもご賞味頂かないと! これは、素晴らしい料理ですぞ!」
興奮するモーリスを見て三兄弟は、どうやら天麩羅はネヴィル領で受け入れられそうだなと、ホッと胸を撫で下ろす。
その晩、ネヴィル家の食卓に天麩羅が上がり、その初めて見る料理に恐る恐る口を付けたジェラルド、ダレン、クラリッサの三人は、美味い美味いとあっという間に天麩羅を平らげた。
その後に天麩羅は、瞬く間に領民たちの間に伝わり、マヨネーズと共に一大旋風を巻き起こすこととなった。




