家族が増えるぞ
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カインがエフトの地から戻って来てから直ぐ、秋まき型の大麦の種蒔きが始められた。
そして季節は流れ、冬。今度は秋にまいた大麦の苗を足で踏む、麦踏みが行われる。
これはこの地方ではひとつのお祭りとして、音楽と歌声に合わせて蟹歩きで麦の苗を足で踏んでいく。
この麦踏みを行う事によって、凍霜害を防ぎ、さらに根張りを良くして春の成長を促すのである。
アデル、カイン、トーヤの三兄弟もこの麦踏みに、当然のように領民たちに混じって参加している。
参加しているのは、なにも三兄弟だけではない。ネヴィル家当主であるダレンを始め、前当主であるジェラルドも戦場で鍛え上げられた喉を張り上げ、歌いながら麦踏の音頭をとっている。
ネヴィル家は出自が平民に近い事もあり、またこの地に来てからは領民たちと肩を並べて地を耕し、当主であるダレンの妻であるクラリッサが平民であることもあり、全く気取らず、このように気さくに祭りや行事に参加するため、領民たちからは大いに親しまれている。
これに比べると、偶に領内を訪れる他の貴族たちの言葉から行動まで、何から何まで鼻についてしょうがない。
ネヴィル領における貴族のあり方とは、領民たちを慈しみ、共に笑い共に哭く、そのような姿であり、他領のように傲慢で、ただ領民から搾取するだけの者を、ネヴィル領の領民たちは貴族としては認めず、受け入れる事は出来ないだろうと思われる。
今年も麦踏みは領民たちの祭りの一つとして、あちこちの畑から音楽や歌声が響き渡り賑わっている。
だがその中に、領内有数の美声を誇る三兄弟の母であるクラリッサの姿は無い。
もしかして御病気なのではと心配した領民たちが、恐る恐る当主であり夫であるダレンに聞くと、ダレンは軽く頬を染め照れながら、クラリッサが妊娠したことを告げた。
この吉報にその場に居合わせた領民たちは、わっと湧き上がり口々に祝福の言葉を叫ぶ。
この世界の乳幼児や子供の死亡率は世が荒れているせいもあり、かなり高い。
そのため、跡継ぎとなる子供の数は多ければ、多いほど良いとされている。
王侯貴族の場合だと、後々継承争いの元となる可能性もあるが、それでも跡継ぎが無くて血が絶えるよりは遥かにマシである。
幸い、ネヴィル家は跡継ぎには恵まれているため、ダレンもクラリッサも男児でなくても、無事に生まれ育ってくれれば良いと思っていた。
後々、その産れて来る子供と継承争いをするかもしれない、当の三兄弟と言えば、
「やっぱり妹がいいなぁ。弟はもう二人もいるし」
アデルがカインとトーヤを見て、もう弟はこりごりとの身振りを示す。
それに対して二人は口を尖らせてブーイング。
ただカインは、性別よりも親から受け継ぐ容姿についての心配事があった。
「俺はどっちでもいいかな。ただ女の子だったら母上に似ないと、ちょっと可哀そうかも」
それを聞いて、アデルとトーヤはああ、そうだねと頷く。
父であるダレンは厳つい巨漢。対して母であるクラリッサは、小柄で可愛い系の美人である。
動物に例えるなら、熊と子リス。女の子であれば、どちらに似た方が幸せかは言うまでもない。
「俺は……俺がやっと兄貴になれるんだな。うう、感動だ……弟だろうと妹だろうと構わない。思いっきり可愛がってやるからな」
現在末弟であるトーヤとしては、下に弟なり妹なりが出来るのが途轍もなく嬉しい。
だいたい、世が世なら最初に生まれたトーヤが長兄となるはずなのだが、この世界では昔の地球のように最初に生まれた子が末子となり、最後に生まれた子が長子となっている。
トーヤは自分が末弟であることに不満を感じてはいないが、自分が兄になれることを喜んでいた。
「予定日はいつだっけ?」
「十月十日として、だいたい春ごろかな? 暖かくなって丁度いいかも知れないね」
「無事に生まれてくれればそれでいいよ。母上の産後の肥立ちが良ければ言うことなし」
今のところ、完全に全てが上手く行っているとは言い難いが、ネヴィル領全体が概ね上向き。
運というものを信じるならば、運気そのものが上昇中とも言えるだろう。
なのでおそらくは、何事も無く無事に生まれるのではないかとあまり心配はしていない。
こうして三兄弟の八歳の時は終わりを告げ、年改まって一つ年を重ね、アデル、カイン、トーヤ共に九歳となった。
ーーー
季節はさらに流れ、春。
おおよその予定日通りに陣痛に見舞われたクラリッサは、素早く出産の準備に取り掛かる。直ぐに産婆が呼ばれ、その手伝いとしてギルバートの二人の妻も急ぎ駆けつけている。
初産ではないので、クラリッサの顔には幾分かの余裕が窺える。
さらには義妹たちも出産経験がある頼もしい助っ人なので、三兄弟を産んだ時のような怖さはない。
台所ではコック長のモーリスがお湯を沸かし続け、いつでも産湯を張れるように待機している。
その頃別室では、大きな熊のような体を、のっしのっしと揺すりながら部屋の中を所在なさ気に歩き回るダレンの姿があった。
同室内には、ジェラルドとギルバート、そしてアデルとカイン、トーヤの三兄弟も居る。
クラリスは大丈夫だろうかと、腕組みをしながら、巨漢の父が時折獣の唸り声のようなものを上げながら、動き回っているのが鬱陶しくてたまらない。
ちなみにクラリスとは、クラリッサの愛称であり普段からダレンはクラリッサのことをそう呼んでいる。
「いい加減にせんか! 常在戦場也。貴族たる者、何時でも心乱すべからず。黙ってそこに座っておれ!」
気持ちとしてはわからなくもないが、流石に我慢の限界が来たのだろう。
ダレンは、久しぶりに落ちたジェラルドの雷に打たれ、しゅんと大きな肩を落としながら言われた通り、椅子に腰かける。
「兄上、大丈夫だ。義姉上はアデルたちを産んだ時も、ピンピンしていたじゃないか。きっと今回も、元気な赤子を産んでくれるさ」
つい先年、無事に妻たちが男の子を出産したギルバートが、未だ落ち着きを取り戻さぬ兄、ダレンに向かって声を掛け励ます。
「お爺様、父上は僕たちが生まれた時もこんな感じだったのですか?」
普段の父の姿からは想像もできない落ち着きの無さに、思わずアデルは祖父であるジェラルドに聞いてしまった。
「これでもマシになった方じゃて。お前たちの時はそれはもう、今以上に部屋をウロウロとうろつきまわっておったわい」
そう言いながらジェラルドの、はーっ、という呆れたような溜息の音。
ギルバートとアデルらが代わる代わる声を掛けるも、ダレンは上の空で相槌を打つのみ。
駄目だこりゃと匙を投げ掛けたその時、扉越しに大きな赤子の鳴き声が聞こえた。
「おめでとうございます、兄上!」
ギルバートが勢いよく立ち上がり、ジェラルドが相好を崩す。
「うむうむ、元気な泣き声じゃ。この分なら立派に育つじゃろう」
三兄弟も新しい家族の誕生に、両手を上げて喜び飛び跳ねる。
やがて扉が開かれ、産婆が現れた。
「おめでとうございます。珠のように可愛らしい女の子に御座いますよ。奥方様も御無事ですじゃ、ささ、御子様に祝福の御言葉を……」
この地方の風習として、父親が生まれた子供に名付けるとともに、一言その子供に相応しいと思われる言葉をかける。
ちなみにアデルは剛毅、カインは豪胆、トーヤは強勇であり、その言葉からダレンが三兄弟に、何を求めていたのかが窺い知れる。
もとより居ても立っても居られなかったダレンは、颯爽と立ち上がると風のような速さで部屋を出て、産室へと向かう。
部屋にダレンが入るなり、疲れ切っていたクラリッサの顔に笑顔が戻る。
「あなた、見て下さい。こんなにも可愛らしい女の子ですよ」
「でかしたぞクラリス。おお、目鼻はお前そっくりではないか。お前の名はサリエッタだ。儂がサリエッタに送る言葉は秀麗。クラリスのように美しく賢い女となれ」
ダレンは首のすわっていない赤子を恐る恐る抱き上げ、名付けと祝福の言葉をかけると、壊れ物を扱うように慎重に、慎重にと再びクラリッサの元へと戻す。
生まれたばかりの赤子であるサリエッタは、泣き疲れたのかすぅすぅと寝息を立てている。
父ダレンに遅れ、妹と対面した三兄弟は、喜びと興奮のあまりその場ではしゃぎすぎ、妹の目の前で父の拳骨を喰らったのであった。




