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明日のために山を焼く


「…………イン……………………カイン……………………」


 朝日が山間から顔を覗かせ始めたばかりの早朝。

 だらしなく半開きとなった口元から涎を垂らし、未だぐーすかと寝息を立てているカインは、何者かに体を揺さぶられてやっと目を覚ます。

 この世界には、目覚まし時計などという便利なものは一切無い。

 世の人々は、規則正しい体内時計に従い朝、自然と目を覚ます。

 だがその朝の目覚め方も、大凡に分けて二種類ある。

 片方は、朝日が昇る前に目が覚める者たち。もう片方は朝日が昇ってから目覚める者たち。

 カインの身体を揺さぶっているのは前者であり、カインやアデル、トーヤの三兄弟は後者である。


「う~ん……………………ん、サリーマ…………おはよう…………」


 半開きの眠気まなこで、口許の涎を袖で拭いながらカインはむっくりと起き上がる。

 つい実家に居た癖でカインは、あともう少しだの、朝食まで寝かせてだのと、毛布に包まり必死の抵抗を続けていたのだが、実家に居た頃よりも遥かに荒々しく体を揺さぶられ、ついには蹴りまで入れられるようになって、渋々温い毛布に別れを告げるに至ったのである。


「もう! カインは本当に寝坊助なんだな! ほら、さっさと起きて顔を洗え」


 寝間着姿のまま腕を引っ張られ、家の裏手の井戸へと向かう。

 そこには先に目覚め、顔を洗っているダムザの長男、スイルの姿がある。


「おはよう、カイン。その様子だと、昨晩もよく眠れたようだな。結構、結構」


 スイルは十二歳。子供っぽさが抜け始め、顔に段々と若者特有の精悍さが、ちらほらと見え隠れし出す年頃に差し掛かり始めている。


「兄上がそうやってカインを甘やかすから、カインがいつまでも寝坊助のままなんだ」


 そう言って口先を尖らせるサリーマは、カインより一つ年上の九歳。

 一歳年上ということもあり、何かと兄貴風を吹かせてくるのが、カインの目には微笑ましく映る。

 カインは、このエフト族の住む地にやってきてから年が明け、八歳となった。

 この世界では誕生日を祝う風習も無く、歳の数え方も実年齢では無く数え年である。

 そのため、年が明けると共に全ての人が一つ年を重ねるのだ。


「まぁそう言うな。カインは当家の、いや一族全ての大切なお客さんだぞ。サリーマもいくら年が近いとはいえ、御客人に敬意を払う事を忘れてはならない」


 兄に今一つだらしのないカインを説教して貰うはずが、何故か自分が説教される羽目となってサリーマは、尖らせた口先をさらに尖らせて憮然とした表情を浮かべる。

 そんな二人を尻目に、カインは半分寝ぼけながらも、桶に汲まれている冷たい井戸水を手で掬い、顔を洗う。

 皮膚を貫くような冷たさが一気にカインの脳へと伝わっていく。

 サリーマが差し出すタオルを、礼を言って受け取ってごしごしと顔を拭うと、そこには昨日までとは少し違った二人の兄弟の姿が目に映った。


「二人ともその恰好は…………どうしたの?」


 スイルもサリーマも、長く伸ばした髪を後ろで縛り、着ている服も普段の物とは違って、様々な刺繍の入った服を着ている。


「カイン、今日は無事に新年が迎えられたことと、今年一年が良い年であるようにと神に祈りを捧げる日なのだ。本当ならば、祈りの儀が終わった後は盛大な宴が催されるのだが…………」


 二年連続の凶作に見舞われてしまったエフト族には、宴を催すだけの余力は無い。

 なので、今年は厳かに神事だけを執り行うことになっていた。


「カインも、神様にちゃんとお礼をして、今年自分が何を成すかを神様に誓うんだぞ!」


 サリーマがここでも兄貴風を吹かせて、胸を逸らしながら言うと、兄であるスイルが笑いながらツッコミを入れた。


「そういうサリーマは、去年の誓いを守れたのかな?」


 兄の指摘を受け、サリーマはうっ、と声を詰まらせる。

 そんな二人を見てカインは、仲の良い()()だなと思っていた…………このときは…………


 祈祷師によって執り行われた神事にカインも特例で参加し、エフト族の風習に倣い、今年の誓いを神に立てる。

 その八歳の小さな胸の内に秘めた誓いは、ずばり富国強兵。

 この世界はどうも戦争の絶えぬ荒れた情勢であり、そんな世を小領であるネヴィル家が生き抜くには、少しずつでも強くなっていくしかないとの考えである。

 そしてその富国強兵には、このエフト族との親交を深めることも含まれている。

 そしてネヴィル、エフト、双方の親交が深まった暁には、交易のみならず、有事の際に兵を借りることも視野に入れていたのである。


「ま、そこに辿り着く前に、この地の食料事情の改善をしないとな…………」


 火山活動によるものと思われる強い酸性雨に晒され、土壌が酸性に傾いたが為に、山が枯れ、農作物が不作となったこの地の改善は、一朝一夕でどうにかなるものではない。

 だが、カインは諦めてはいない。一歩、一歩と確実に歩を進ませ、この状況を改善し、彼らの信を得てネヴィル家に必ずや益をもたらさんという強い意志を秘めていた。

 そんなカインの頑張りが実ったのは、年が明け、無事に神事が終わってから数日後のことであった。

 カインが土壌改善の実験用に借り受けた畑で、ある成果が現れたのである。

 

「おお、発芽した蕪の苗も、土壌に負けずにしっかりと根付いているな。ということは、この比率で石灰を撒けば、上手く中和されて弱酸性の土壌になるってことか」


 借り受けた畑を、細かくブロック状に区切り、それぞれ撒く石灰の量を変えて蕪の種を植える。

 酸性値を計測する機械や手法が無いので、こうやって体当たりで実験をする他に術は無いのだ。

 撒いた蕪の種も土壌の酸性値が高いと、そもそも発芽しなかったり、発芽しても根が溶けてしまい結果根付かずに枯れてしまったりするのだが、どうやら今回は早々に当たりを見つけることに成功したようである。

 この育ち始めた蕪を、一応の成果として現在厄介になっているエフト族の若頭であるダムザを呼んで見せる。


「上手く根付いたようです。取り敢えずは、冬でも育つ蕪でしか試してませんので、春になったら他の作物でも試してみない事には完全に成功とは言えませんが…………」


 ダムザは驚きを以って畑に育つ蕪と、カインの顔を交互に見比べる。

 まさかこれほどまでに早く、成果を上げるとは思っても見なかったのだ。


「まぁ、農地の方は取り敢えずこれで…………後は、山の方を何とかしないと」


「なに? 枯れた山も、枯れる前のように緑豊かに戻すことが出来るのか?」


 限られた面積の農地なら未だしも、広大な山を人がどうこう出来るのだろうか? ダムザには目の前にあるカインが起こした奇跡を見てもなお、即座に信じることが出来ない。


「山が枯れたのも酸性雨によるものでしょうから、畑と同様にアルカリで中和させればいいんだけど、山に石灰撒くのは、物にも人にも限りがあるので無理。ならばいっその事、山を焼き払い、その灰から出る灰汁を以ってして、山の土壌改善をしようと思うのですが、どうでしょうか?」


 酸性雨やアルカリなどという、聞き慣れぬ言葉に目を白黒させながらも、ダムザは見た目幼い子供であるカインの言葉に必死に耳を傾ける。


「つまり、山の枯れている草木を焼き、その燃え残った灰が山の土に浸み込めば、また昔のように青々とした山に戻るのだな?」


「焼いて直ぐというわけにはいきません。それこそ、この広い山地が緑に染まるには、気の長くなるような年月を要するでしょう。ですが、このまま放置しているよりかは、一度山を焼いた方が、早く再生すると思います」


 山で暮らし、山の恵みを受け、山を神と崇める今のエフト族にとって、その神聖な山に火を掛けるというのは、それはもう大変な事である。

 一族内で権力を持つ若頭とはいえ、ダムザはその案に即頷くことは出来ない。


「カイン、すまないがこの場では決めかねる問題だ。族長や古老たちと協議してから決めるということでいいか?」


「はい、構いません」


 カインもこの地に来て、彼らがいかに山に依存し、山を神聖化し、その恩恵を受けて生活して来たかを知っている。

 もし仮にこの提案が受け入れられないとしても、それはそれで仕方のない事だと諦めてもいた。


「カイン、すまないが先程の案を、協議の場でもう一度話してはくれないか?」


「その程度、お安い御用です」


 カインは自分の提案を、少なくともこの畑の小さな成果を目の当たりにした若頭のダムザは、推してくれるだろうという、手応えらしきものをひしひしとその身に感じていた。


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