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カイン、早速仕掛ける


 ネヴィル家に南侯の使いが訪れていた頃、カインたちはというと、明日にはエフトの民たちが築いた峡谷の寒村へと到着する予定である。

 ネヴィル領を出て約八日、もしも道中が平らな道であれば、三日程度で着く距離かも知れない。

 意外な距離の近さに、カインだけでなくトラヴィスも驚いていた。

 今までネヴィル家と大した接触が無かったのは、互いの境を犯すことを躊躇っていたのか、それとも単に興味が無かったり、必要性に駆られたりしなかったせいなのか……

 何にせよ、ネヴィル領の防衛という観点から見れば、この距離の近さは危険極まりない事は確かである。 

 カインは、一刻も早く彼らと正式な修好を結ばねばならないだろうと考える。

 一番手っ取り早いのは、彼らの一族の娘と自分が通婚することである。

 

「政略結婚の一番手は俺かぁ…………最初はアデルだと思ったのになぁ…………」


 と、カインはひとりごちる。

 ネヴィル家の安泰の為とはいえ、人身御供というのはあまり気分の良いものではない。

 

「ん? 何だ、あれ?」


 野営の為の準備をする大人たちが、薪ではなく何か別の物を火にくべている。

 カインはその大人に近づくと、中原の共通語でそれは何かと尋ねた。

 だが、そのエフト族の大人は共通語を話せないらしく、通訳として若頭のダムザを呼んできた。

 

「これはヤクの糞だ。ヤクは肉も乳も、そして糞も油っ気が多い。だからこうやってヤクの糞を集めて干し、再び練り固めた物を薪のかわりとするのだ」


 カインは手に持っている物の正体がヤクの糞だと聞いて、顔を顰める。

 そして何を思ったのか、手に持ったヤクの糞を鼻に近付けてその匂いを嗅いだ。


「くっせーーーっ!」


 と、叫びながらもう片方の手で鼻を摘まみ、顔を顰めて見せる。

 それを見たダムザや他の大人たちは、腹を抱えて笑い出す。

 ではなぜ、カインがそのような真似をしたのかといえば、それは大人たちの警戒心を解すためであった。

 ただでさえ、ネヴィル家は得のしない取引内容と、言葉を覚えさせるためという何とも微妙な理由で、カインたちを送り込んだせいで警戒されてしまっている。

 ここは一つ子供らしさを見せて、自分たちが無害であることを示さなくてはならないと考えた結果のこの行動であった。

 これがもし、大人のトラヴィスがやろうものならば、ただの変人扱いで終わってしまうだろう。

 だが、正真正銘子供のカインならば、それは子供特有の好奇心のなせる微笑ましい出来事であると、捉えてくれるに違いない。

 ただし、三兄弟はそんじょそこいらに居る子供では無く、子供の容姿と精神を持ちながらも、頭脳は大人顔負けなのであるが、それを見た目で判断しろというのは酷である。

 

 このヤクの糞は何かに使えそうだな…………早速、お土産の候補の一つを見つけたぞ!

 

 カインは手に持ったヤクの糞を、人差し指と親指で摘まみ、さぞばばっちい物を扱うように顔を顰めながら元の場所へと戻す。

 その行動すら、大人たちは面白がってエフト語でからかいながら笑い転げている。

 その後も、彼らと簡単な言葉を教えて貰いながら、竈作りなどを手伝った。

 夕食の頃には、最初に合った険はすっかりと取れて、互いに笑顔を浮かべながら車座になって食事を摂るまでになっていた。

 これも、無邪気に他人の懐に飛び込んでいくことのできる、子供ならではの打ち解け方であろう。

 カインは手渡された器に並々と注がれている、湯気の立つ黄色掛かった白いスープに口を付ける。

 そのスープの味は、色とは裏腹に甘みは少なく塩っ気がある。

 スープの具は、ネヴィル産のヒヨコ豆。一口飲んだだけで、山歩きで冷え、疲れた身体にスーッと沁み込んでいく。


「美味い! これは一体何のスープなんだろう?」


 フーフーと息を掛けて冷ましながら、スープをチビチビと飲むカインを見て、ダムザは自分の愛娘を思い浮かべながら、スープの正体を明かす。


「それはヤクの乳から作ったバターと溶いたスープだ」


「これもヤク……ヤクは肉や毛皮に骨や角、荷運びだけでなく、さっきの糞までその全てが人の役に立つすごい動物なんだね」


「そうだ。だからこそ我らは、ヤクを神聖な生き物として崇めているのだ」


 なるほど、とカインは頷いた。

 そして今は無いが、住処へと戻ればヤクの乳で作ったチーズやヨーグルトもあるらしく、ダムザはカインにご馳走することを約束した。

 

 翌日昼前には、峡谷にある村へと辿り着く。その際に、峡谷の底をチロチロと流れる細い川で、村人たちがザルを使って何かを掬い上げているのが見えた。


「あれは何を捕まえているのでしょうか?」


 そうトラヴィスが、ガジムとダムザに尋ねるも、二人は目配せを交わして、その言葉に対して聞こえないふりをした。

 

「あー、先生、あれは多分、砂金か砂鉄を取っているんだよ」


 川底で村人たちが何をしているのかをズバリ当てて見せたのは、他でもないカインであった。

 これにはガジムもダムザも、ギョッと目玉を見開いて驚く。


「どうしてそう思う?」


 ダムザが笑みを浮かべながらカインに問う。

 だがその浮かべた穏やかな笑みとは裏腹に、その目は鋭く幼いカインを射抜いていた。


「魚を取るならあんなザルを使わないでしょう? それに貝や蟹、海老を掬っているのならば、腰に魚籠の一つでもぶら下げてなければおかしい。それと、彼らの動き。底砂をザルで掬い上げて、そのまま濯いでいる。これ、本で読んだ砂金とか砂鉄の取り方だよね?」


 勿論カインは本でその知識を得たわけではない。その答えは宝石しかり、養蜂しかり、前世の記憶の中にあったものである。

 そのカインの答えを聞いて、ガジムとダムザは再び視線を交わしあい、盛んに目配せを交わした。

 この少年は只者では無いとの認識、そして自分たちにとって危険な存在ではないかと……

 だがいくら秘密を知られたとしても、ここでカインを殺すわけにはいかない。

 もしここでカインを殺してしまえば、これまでの取引もご破算となり、一族は下手をすれば飢えで族滅の危機に陥る可能性がある。

 北のノルト王国が不作のため、食料を売ってくれない今となっては、南のネヴィル家だけが頼りである。

 それを踏まえた上で、カインは仕掛ける。


「で、あれはどっちなんです? 砂金ですか? それとも砂鉄ですか? まぁどちらにしても、ウチが高く買い取りますよ……ただし、穀物だけでは厳しいので、これと交換というのはどうでしょう?」


 そう言ってカインが腰から下げている小袋から取り出したのは、幾つかのトパーズであった。

 それをダムザの手へと渡す。

 ダムザは驚きながらもしげしげと眺めた後、ガジムへと手渡す。

 手渡されたガジムも、手の上でコロコロと転がし、宝石が本物であることを確認する。

 そしてそのトパーズを自らカインの手へと戻してこう言った。


「ふははははっ、参ったぞ小僧! 察しの通り、あれは砂金を取っておるのだ」


「族長!」


 秘事を軽々に晒すのは危険であると、ダムザが窘めるも、それをガジムは手で制す。


「今すぐに決める事は出来ぬ。それと、こちらからも一つ聞きたいことがある。十年前より豊かになっていたのは、それのお蔭か?」


「そうですが、勿論それだけではありませんよ。君、臣、民が共に力を合わせたからこそです」


 カインはさり気なく、領内の結束力をアピールして見せる。

 その答えを聞いてガジムは、子供と話している気がせぬなと、呵々と大笑する。

 カインの聡明さに感心するガジム。その一方ダムザは、カインに得も言われぬ恐怖心を抱いた。


 この少年は一体何者なのか、昨日見せた無邪気さは一体どこへ行ってしまったのかと……

 


 

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