真珠百粒の絵
「父上、母上、お爺様、叔父上、行って参ります!」
旅装を整えたカインは、見送りに来た家族に元気よく挨拶をする。
心配そうな両親と祖父の顔。叔父であるギルバートだけは、笑顔で見送る。
見送られるカインの方は、初めて領地の外の世界を見る事が出来る喜びで、その小さな胸の内には不安は微塵も無く、ただただ期待と希望に満ち溢れていた。
「なぁ、アデル、トーヤ、あれやろうぜ、あれ!」
そう言ってカインは、腰のベルトに差した柄と鞘に細やかな銀の装飾が施されている短剣を、抜いた。
そうだね、と二人も同じように腰に差した短剣を抜く。
アデルの短剣は王都で父ダレンから手渡された物。これは飾り気が無く実用的な作りで、見る者が見れば、短剣としては一級品であることがわかるだろう。
だが、先述の通り全く飾り気がないため、値段的にはそこそこといった一品である。
トーヤの短剣は、柄や鞘に金で細やかな装飾が施されている。これはカインの持つ短剣と対として作られた物であり、その装飾の価値からいっても、アデルの持つ短剣とは値段は比較にならない。
三男であるトーヤが一番豪華な短剣を持っているのは、長男と次男の気配りというものである。
三人は短剣を掲げて交差させ、誓いの言葉を述べる。
「我ら三人、生まれし日、時を同じくして兄弟となりしからには、心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん。上は祖父と両親に報い、下は民を安んずることを誓う。同年、同月、同日に生まれたからには、同年、同月、同日に死せん事を願わん。皇天后土よ、実にこの心を鑑みよ。義に背き恩を忘るれば、天人共に戮すべし」
桃園の誓いもとい、裏庭の誓い。三兄弟はこの誓いを胸に、あの日から今日までを生きて来た。
そしてそれは、これからも変わりはしない、永遠不変の誓いであった。
これを見て驚いたのは両親だけではない。出発の準備を終え、同行者を呼びに来たダムザは、三兄弟の誓いの儀を目の当たりにして、呆然としてしまう。
以前に見たことのあるジェラルドだけが、呵呵と大笑する。
「劉関張というよりは、剣が西洋風だから三銃士っぽいな」
剣を掲げたまま、アデルが呟く。
「三銃士だと、他にもう一人、ダルタニャン役が必要だぜ?」
「毛利三兄弟は……あれは矢だもんなぁ……」
三人は剣を納めると、クックと笑い合う。
「カイン、元気でな……お土産よろしく!」
何時ぞやの仕返しとばかりに、アデルはカインに笑いながらお土産をねだる。
「遊びに行くわけじゃないぞ! エフト語を覚えるために行くんだぞ」
そう言うカインの顔は、これから始まる大冒険を前にして興奮を隠せず、両頬に赤みが増している。
「いいなぁ、これで領地から出たこと無いのは俺だけか……」
そんなカインを見て心底羨ましそうなトーヤをアデルとカインは慰める。
「次にこういった機会があれば、必ずトーヤを行かせるからさ、な」
「そんな機会あるのかなぁ?」
「それじゃ、もし防衛戦が起こったら、トーヤに先陣を譲るよ」
「ちょっ、さっきの誓いはどうした? 生きるも死ぬも一緒だろ?」
朝日を浴びて子犬のようにじゃれ合う三兄弟に、同行者であり保護者役でもあるトラヴィスが声を掛ける。
「カイン君、そろそろ出発ですよ」
そのトラヴィスの影に隠れるようにして付き従うのは、もう一人の同行人であるチェルシーである。
チェルシーは奴隷だが、元商家の娘であり十一歳ながらにして、読み書きと簡単な計算が出来る上に、算盤まで弾くことが出来る才女である。
普段はその才を活かして、奴隷たちに読み書きや計算を教える教師として働いているトラヴィスのサポート役を務めている。
そして今回、エフト語を覚えさせるに当たって、彼女にある提案を示した。
それは、エフト語を覚えた暁には奴隷の身分から解放し、通訳兼教師として正式にネヴィル家が雇うというものであった。つまりは家人とするということである。
これはチェルシーにとって、いやこの世界では類を見ない破格の条件ともいえるものであった。
奴隷として使い潰されるか、もし仮に生き残っても娼婦とされるかしかない未来から救い出された上に、立身出世の道まで提示してくれたネヴィル家に、彼女は深い恩義を感じていた。
「わかりましたトラヴィス先生。チェルシー、頼むぞ! どっちが早くエフト語を覚えるか競争だ」
「競争だなんて畏れ多い……精一杯頑張りますので、お見捨てなきよう」
声を掛けられたチェルシーはその場に跪く。
カインは頼りにしているよと、そのチェルシーの手を取り引っ張り上げ、そのまま手を引いて走り出す。
「トラヴィス殿、カインをよろしくお願いします」
「先生、もしカインが言う事を聞かないときには、遠慮せずに厳しく躾けて下さいね」
領主夫妻としてではなく、カインの両親としてダレンとクラリッサがトラヴィスに深々と頭を下げる。
「お任せ下いさい。カイン君を無事、このネヴィル領へと連れて帰って来る事をお約束いたします。では、失礼致します」
こうしてカイン、トラヴィス、チェルシーの三人が、エフト語を覚えるべく、エフト族の元へと赴くことになった。
アデルとトーヤは、商隊が街を出るまで着いて行く。
二人がそのまま着いて行ってしまうのではないかと、心配したギルバートが二人の後を追いかける。
だがそれは杞憂で、街の門を越えた所で二人は立ち止まり、遠ざかる商隊へと盛んに手を振り続けていた。
「「心配だなぁ……」」
「何だかんだ言っても、やっぱり心配かい?」
そんな呟きが聞こえて来たギルバートが、二人の顔を覗き込む。
「うん、心配だよ……あいつ、やり過ぎるんじゃないかってね……」
「そうそう、トラヴィス先生が胃痛で倒れたりしなきゃいいけど……」
それを聞いたギルバートは、やはりこの兄弟は世間一般とはかけ離れていると苦笑を浮かべるのみであった。
ーーー
カインが出発してから一週間が過ぎた。エフト族の居留地まで、大体十日の道のりとのことなので、かの地に到着するには今少し時間が必要かと思われる。
そんな中、内地とこのネヴィル領を結ぶ、断崖絶壁の道を通って一人の客が訪れて来た。
「某はトスカラナ侯爵家に仕える、ジェバンニと申すもので御座る。此度は、侯爵家からネヴィル男爵家にお尋ねしたき儀がありまかり越しました次第……」
トスカラナ侯爵家は、ガドモアの四方を治める四大侯爵の内の一家であり、南を治めているため通称は南候と呼ばれている。
使者を迎えたダレンとジェラルドは、遥々南の侯爵家からこんな辺境に何の用だろうかと訝しむ。
「それはそれは、遠路遥々お越しいただきまして、まことに嬉しく存じ上げまする。それで、当家に尋ねたきこととは一体なんでありましょうか?」
二人が使者の話を聞いたところ、どうやらそれは先日王家に納めた虹石に関することのようであった。
さらに詳しい話を聞くと、エドマイン王は献上された虹石を大層気に入ったらしく、三兄弟の考えた産地偽装の嘘を信じて早速、海のある南を治める南候に命じて虹石を探させたらしい。
だが、幾ら自領を調べても一向にその虹石とやらが見つからない。
これ以上、王を待たせて機嫌を損ねるのを恐れた南侯は、虹石を治めた張本人であるネヴィル家から、より詳しい情報や手掛かりを聞き出そうとしたのである。
「あー、ジェバンニ殿、少々お時間を頂けますかな? どうも年のせいか、手放してしまうと虹石の色形もおぼろげにしか思い出せなんだ…………そうじゃ! ダレンよ、孫たちはどうしておる? 孫たちも虹石を見る度、綺麗だと褒めて飽きずに見ておったから、孫たちに聞けば何かわかるかも知れんな」
ダレンとジェラルドは孫を探してくると言って応接室を退出すると、大急ぎでアデルとトーヤを呼んだ。
「…………なるほど、虹石の手掛かりを求めて南侯の使いが来たと……トーヤ、どうするの?」
「どうもこうもない、真実を述べるわけにはいかないし……そうだ! 適当に献上したアンモライトの絵でも描いて持たせてやればいいだろ。それにしても南候も災難だな」
「俺たちがその災難の元凶なんだが………まぁ、ウチも生き残りに必死で、手段を選んでる余地も無いし、何より四大侯爵と王がいがみあってくれれば万々歳よ」
早速、トーヤが羊皮紙とインク壺と羽ペンを持って応接室へと行き、使者であるジェバンニの前で虹石の絵を描いて見せる。
その絵は、お世辞にも上手いとは言えない子供の落書き程度の物であったが、特徴は良く捉えており、余白に色彩の注釈や寸法などを書き足して、それらしいものに見せかけた。
「こんな感じです。もう当家には無いので、うろ覚えな部分が多々あると思いますが……」
トーヤは書き上げた羊皮紙をジェバンニへと手渡す。
絵心など無きに等しいジェバンニから見れば、トーヤの描いた絵は注釈や寸法が記されている、実に詳細な絵に見えた。
一刻も早くこの絵を持ち帰らねばと、ジェバンニはダレンの宿泊の誘いを断り席を立つ。
「おお、ここまで詳しく! 感謝致しますぞ! これは、情報提供への謝礼で御座いますれば、遠慮なくお納め下され」
そして懐から革の小袋を取り出すと、ダレンの手にしっかりと握らせた。
ダレンはその場で検めるような無粋な真似はせず、感謝の言葉を述べて笑顔でジェバンニを送り出した。
ジェバンニが去ってから、袋を開けてみると、中からは大粒の真珠が百粒ほども入っていた。
それを見たアデルは、トーヤの下手くそな絵が真珠百粒で売れたと大はしゃぎ。
だが、下手くそ、下手くそと連呼されたトーヤは、すっかりへそを曲げてしまい、以降、必要に駆られなければ二度と絵は描かないと心に誓うのであった。
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