公然たるスパイ計画
交易自体は成立し、族長のガジム、若頭のダムザを始めとするエフトの民たちは、ネヴィル家の饗応を受ける。
素朴な地方料理の中に、ここネヴィル領でも比較的新しい料理である豆料理の数々が並んでいる。
その中でも豆腐ハンバーグと豆乳に、二人は衝撃を受けた。
豆乳を最初は山羊や牛の乳だと思って口を付けたのだが、味が薄くやけに喉ごしが軽い。
絞りたての山羊乳や牛乳でさえ味が濃く、喉にへばりつくようなとろみを感じるのに、これにはそれを感じない。
水で薄めているのだろうかと、ガジムとダムザは互いに顔を見合わせ、訝しげな表情を浮かべた所で、ネヴィル家先代当主であるジェラルドがネタ晴らしをする。
この味が薄くて喉ごしが良い白い飲み物が、豆から作られていると聞いて二人は驚く。
そして勧められるがままに、今度は豆腐ハンバーグに手を付ける。
豆腐ハンバーグは、老境に差し掛かりつつあるガジムには、さっぱりとした印象を与え、男盛りであるダムザにはいささか油っ気が少なく物足りない。
二人は未だかつて食べた事の無い食感と味を受けて、これは何という動物の肉なのかと問う。
「これは鶏が半分、残りの半分は豆で作った豆腐ハンバーグという料理です」
「なんと! これが豆だと申されるのか!」
ガジムとダムザは、切った豆腐ハンバーグの断面をしげしげと見つめる。
確かに色は些か白っぽいが、それ以外は何処をどう見ても肉にしか見えない。
「御二方とも興味がおありならば、当家秘伝のレシピをお教えするのも吝かではないのですが……一つだけ条件がありましてな……」
この一言で饗応の晩餐は、交渉の第二ラウンドへと早変わりする。
当家秘伝のレシピとジェラルドが言ったところで、三兄弟は吹き出しそうになるが、互いのわき腹を強く抓って何とか堪える。
大体が、豆料理に関するレシピは領内あまねく限りに、広く伝わっているものであり、その一切を秘してはいないのである。
だがその事を知らない二人は、いったいどのような無理難題を吹っかけて来るのだろうかと、心中で身構えるが、次の言葉を聞いて肩透かしをモロに喰らってしまう。
「条件と言うよりも、これはお願いでしてな……今後も交易を続けることとなり、まことにめでたき事ではあるのだが、互いの言葉が不自由では、トラブルや諍いの元となる恐れがありましょう。そこでですが、当家の者を数名、そちらにお預けするのでエフト語をお教え頂きたいのです。無理にとは申せませぬが、お互いを知るのにも良いかと……ああ、無論、そちら側から誰かが当領に残り、言葉を教えて頂くというのでももこちらとしては一向に構いませんが……」
ガジムとダムザは互いに顔を見合わせて、盛んにアイコンタクトを取る。
現在、交易に訪れたエフトの民の中で、多少訛りや不自由なところがあるものの、満足に中原の共通言語を話せるのは、族長のガジムと若頭のダムザだけである。
無論、戻れば他にも多数いるのだが、今回は族長自ら交渉に臨むということで、必要無しと見て置いて来てしまったのである。
これは困ったことになったと、ガジムとダムザは頭を抱えたくなる。
ガジムは族長とここに残るわけにはいかない。そしてダムザも、実質的にエフトの民を率いている若頭であり、ガジム同様この場に残る事は出来ない。
かといって、ここでにべもなく断る事も出来ない。何故なら、ここで相手の面子を潰し、機嫌を損ねてしまえば、折角こちら側にかなりの融通を利かせて貰った取引はご破算。
一族郎党は今後も飢えに苦しみ続けることになる。
ここは仕方なしと、二人はその提案を受け入れることにした。
「わかりました。確かに仰る通りです。ですが、まことにお恥ずかしきことながら、大勢を受け入れるには些かの準備というものが必要でして……」
「それは御尤もなことで……こちらとしても、ご迷惑をお掛けするのは忍びなく思う次第。ですからお預けする人数を三人までとし、その内訳を当家の家人を一人、あとは子供を二人としたいのですが、如何でしょうか?」
笑みを絶やさないジェラルドの言葉には、絶対に何か裏があると感じてはいるものの、ガジムはこの申し入れを受けざるを得ない状況であり、表面上は互いの今後の交流が増々盛んになることに対して、大層喜ぶ振りをした。
「このガジム、責任を以ってお預かり申す。しかし、子供と言うのは一体……」
これが一番引っかかる部分でもある。なぜ子供をこちら側に送って来る必要性があるのだろうかと。
「ああ、それはですな……やはり言葉や文字というものは、年を取って頭が固くなった者よりも、頭の柔らかい若者……特に子供の方が習得が早いというのもあり、そこに期待しての事ですじゃ」
なるほど、とガジムとダムザはその場では表面上納得した振りをするが、どうにもその程度の説明では腑に落ちない。
その後は交渉は一切無く、表面上は楽しげな晩餐へと再び戻ったが、ガジムとダムザは相手側の思惑を計りかね、胸中は困惑しきり、といったままであった。
ーーー
「お爺様、上手く行きましたね」
祖父の執務室には、部屋の主であるジェラルド、当主のダレン、そしてこの悪巧みの発案者兼実行者である三兄弟、そして三兄弟の元家庭教師で、現在は次期当主であるアデルの一の臣下であるトラヴィスが詰めている。
「しかし、本当にやるのか? 危険ではないか?」
ジェラルドとダレンは、この計画に乗り気では無い。
大人二人が仕切に不安がる、三兄弟が打ち出した策とは一体何か?
それは未だ敵味方定かでは無い、エフトの民への偵察である。
しかもそれは並大抵のやり方では無い。いうなれば、公然と大手を振ってのスパイ活動をするというものである。
相手側に伝えた、こちら側から送り出す人員の内訳は、まずエフト語を多少とはいえ話すことが出来て、さらに読み書きが出来るトラヴィス、そして子供のうちの一人は奴隷の中で元商家の娘であるチェルシーという十一歳の娘である。
彼女は、幼いころ……九つの頃に両親を賊に殺され、自分は奴隷として身売りさせられたという凄惨な過去を持っている。
だが、幼くとも商家の娘である。両親から、字の読み書き、算術、算盤などを教え込まれており、同年代の者たちよりも頭が一つ、いや二つ、三つ抜きん出ている。
現在は奴隷の身分ながらも、トラヴィスや当主の妻であるクラリッサなどが受け持つ授業の補佐役をさせており、将来的には本人が望むのならば、このまま教育者とするのも吝かではないと考えていた。
であれば、彼女にこの際、エフト語を学ばせるのも悪くは無い手である。
そして三人目、これが一番の問題であり、ジェラルドとダレンが頭を抱えてしまった人物、それはダレンの次男であるカインであった。
「何度も言ったじゃありませんか。カインの身の安全は、現在の所は保証されたも同然だと。本来ならば、自分が行きたいところではありますが、嫡男が行くわけにも行かないので……」
アデルは心底悔しそうな表情を浮かべる。
「アデルは、この前父上と王都に行ったばかり。まだその疲れも癒えてないだろうし、ここは一つ俺に任せておけって!」
カインは背を逸らせて小さな胸を張り、その胸をこれまた小さな拳でトンと叩いて見せる。
それを見ていた全員が、何とも頼りなさ気な溜息を吐く。
「しかし、しかしじゃぞ……万が一、万が一のことがあれば……」
孫可愛さというのもあり、異郷の地に幼い孫を送り出すというのは、ジェラルドにとっては断腸の思いなのだろう。それは父親であるダレンも同じであった。
「お爺様、この機を逃してはなりません。この機を逃しては、今後いつ彼らの懐深くに飛び込み、その全てを調べることが出来るかわからないのです。それに人数が絞られている以上、それなりの者を送り込まねば、満足のいく成果は得られません。さらには、大人であるトラヴィス先生は警戒されてしまい、行動に制約が掛けられてしまう恐れがあります。ですが子供ならば、相手はたかが子供と侮るに違いなく、思っているよりも自由に行動出来るかも知れないのです。だからといって、ただ普通の子供を送り込んでも意味がありません。そこで選ばれたのが、カインなのです」
「それは……それはわかるのじゃが……う~ん、何というか……」
頭ではわかっていてもというやつであろう。煮え切らぬ大人たちの説得に、三兄弟はそれなりの時間と言葉を費やさねばならないのであった。
評価、ブックマークありがとうございます! 感謝です!
タイトルを変えようかちょっと悩み中です。
現在のちょっとお茶らけた感じでいくか、それともカッコいい名前に変えるべきか……




