想定外
家中の中に古エフト語を話せる者が居るかを、大急ぎで探す。
すると意外な事に、その人物は実にあっさりと見つかった。
その人物とは、三兄弟の家庭教師であったトラヴィスである。
トラヴィスは三兄弟の家庭教師を辞めた後、奴隷や領民の子供たちに読み書きと、簡単な四則演算を教えていた。
後塵の教育というのもやりがいのある仕事ではあったが、彼は自分が見込み、忠誠を誓ったアデルのために、もっと今以上に役に立ちたいと常々考えていた。
そんな矢先、エフト語を解するとのことで、突如エフトの民との通訳に抜擢されたのである。
トラヴィスの優しげな顔には、三兄弟も今まで見た事の無いようなやる気が満ち溢れていた。
「先生、すげぇな! エフト語を話せるなんて」
三兄弟が口々に褒めそやす。それを受けてトラヴィスは、くすぐったそうにはにかんだ。
「いやぁ、偶々なんですよ。私の家庭教師であった方が、古エフト王国の研究をなされている方で、家庭教師のついでに軽く教わっただけなのです。ですから、通訳するにしても完璧には程遠いと思いますが、それでもよろしいでしょうか?」
勿論、とその場に居る全員が頷いた。
何せトラヴィスの他は誰一人として、エフト語を話すことは出来ないのである。
例え完璧では無いにせよ、彼に頼る他に術は無い。
早速、トラヴィスはエフトの民がこのネヴィル領に来た目的を問い質すため、ギルバートと共に彼らと接触すべく目撃情報のあった方向へと、馬を駆る。
トラヴィスは一応ながらも士爵家の出、上の兄たちにもしものことがあった場合の時のためにと、一応ながら貴族教育を受けている。
それは礼儀作法や学問のみならず、武術においてもである。
なので馬に乗ることなどは造作も無いのだが、弓や剣の腕は並みといったところであり、彼のみでは危険かもしれないとのことで、万が一に備えてギルバートが護衛に着いて行くことになったのであった。
ちなみに、地球では士爵は騎士のことであり、その称号は一代限りであることが多いが、この世界では違う。
大功を立てた騎士が与えられる貴族位の最下級というのが、この世界の士爵であり、地球と違ってその称号は世襲される。
ネヴィル家の先祖は平民であり、戦で大功を立ててまず騎士位を与えられ、さらに功を重ねて士爵となり、祖父の代でまたしても武勲を上げ準男爵となった。
おそらくはトラヴィスの実家も、元を正せばネヴィル家と同じように平民だったと思われる。
こうした者たちは成り上がり者として、上流貴族たちから軽侮される傾向にある。
そのため折角大功を立てて貴族の端くれとなっても、その後は上流貴族たちに睨まれ、そのまま最下級の貴族として終わる家は多い。
ネヴィル家もエドマイン王のとち狂った、半ば爵位の押し売りともいえるようなことが無ければ、永遠に準男爵のままであったと思われる。
ギルバートは先頭に立ち、その後ろをトラヴィスが追う。
そのトラヴィスの両脇と後ろを、ネヴィル家の従者たちが守る。
ネヴィル領内唯一の街であり、ネヴィル家の本拠地でもあるコールの街を出て走る事、数時間。
ギルバートの目が、荷を積んだヤクの姿を捉えた。
馬足を緩め、身構えつつゆっくりとそのヤクの続く隊列へと近付いて行く。
するとエフトの若者たちが、ヤクとその背にある荷を守るようにして、槍先を向けて来る。
「そこなる者たち、ここは我らネヴィルの地である。貴殿らは一体何者であるか!」
トラヴィスがエフト語で叫ぶ。その声はいつもの優しいものではない。
声量十分、張りを含んだ声は、少し離れた彼らエフトの民の耳に確実に届いただろうと思われた。
少しの間を空け、槍を構える若者たちをかき分け、一人の初老の男が前へと出て来た。
男はエフト語で何か命を下した。するとこちら側に鋭い槍先を向けていた若者たちは、一斉に槍を逆さに持ち直し、地面へとその穂先を突き立てた。
「我らはエフトの民。此度はネヴィル殿と交易がしたく参った次第である。交戦の意志はない」
初老の男の言葉を信じるのならば、彼らの槍先を地面へと突き立てる行為は、交戦の意志は無いということを示したものなのだろう。
「わかった、交易だな。持って来た荷は何だ?」
「今回持ち寄ったのは、ヤクの毛皮や角、羊毛や織物などである」
「了解した。これより先導するので、我らの後に続かれよ」
「承知した。交易の申し出を受けてくれたことに感謝する」
初老の男の返事を、トラヴィスが訳す。
それを聞いてギルバートは、まだ当家が交易を受けたと決まったわけではないのだがと、困った顔を浮かべる。
兎にも角にも、今は彼らをコールの街まで導き、その後の事は兄や甥たちに任せるしかないとギルバートは槍先を下げて近付き、彼らの隊列の先頭に立ってエフトの商隊を先導することにした。
ーーー
ギルバートが出発してからすぐに、三兄弟は自室へと戻って話し合いを始めた。
お題は勿論、エフトの民に関する事である。
「……しくじったな、ガドモア王国だけしか見ていなかった……」
三兄弟は神様でも何でもない。前世の記憶を持つとはいえ、ただの七歳の子供である。
その七歳の子供に失敗するなというのは、酷というよりも頭がおかしいと言わざるを得ない。
寧ろこの失敗を糧とし、これからは視野をさらに広げなくてはと三人は反省する。
「ああ、父上やお爺様にもっと昔の出来事を聞いておくべきだった」
「ん~、でも聞いていたとしてもエフトの事はわからなかったかも……父上もお爺様も、十年前の事をすっかり忘れていたみたいだったし」
三兄弟は敵をガドモア王国のみと考えていたため、今回のエフトの民の出現には大いに慌てた。
険しい山間の盆地、ガドモア王国へと続く崖の一本道。その一本道さえ塞げば、後はどうとでもなると高を括っていたのである。
それが、一本道を塞ぐ山海関の完成と共に、全くの別の方向から領内に別の民族の侵入を許してしまったのだ。
しかも相手は山というものを熟知しているであろう山岳遊牧民。厄介極まる相手というしかない。
もし仮にだが、彼らと争う事にでもなれば、山というフィールドではネヴィル家に勝ち目は無いだろうと思われる。
ならば領内の開けた場所まで誘引して叩くかというと、これもまた難しい。
領内で戦う……つまり本土決戦はたとえ勝ったとしても、深い傷跡を残してしまう事は目に見えている。
いくら資源に恵まれているとはいえ、ネヴィル家は所詮は一男爵家。戦力的にもたかが知れている。
そのような拙い戦を数度も続ければ、滅亡待った無しであることは間違いない。
「ここは何としても、彼らと誼を結ばなくてはならないだろうな」
「けどそれも難しいぞ。こちらが舐められないようにと威勢を張れば、反感を買う。かといって、下出に出て侮られるのも危険だ」
「彼らの王族なりなんなりと通婚するのが一番手っ取り早いんだけども……」
「俺たちの歳を考えると、通婚というよりは婚約だな。確かにそれが一番なんだが、これにはある危険が伴う。ガドモア王国では、貴族の婚姻は全て国へ届出が必要だ。果たして、王国はエフトの民との結婚を許すだろうか?」
トーヤの言葉に、アデルとカインは多分許さないだろうねと首を横に振る。
一貴族が勝手に他国の王族との結婚を、許すはずが無い。
「だとすると、秘密裏に行うしかないのだが……それにだ……そもそも向こうがこちら側と仲良くする気が無ければ、この話は始まらない。それに身分差というものもあるだろう。ウチは陞爵したとはいえ男爵だからな。これが公爵や侯爵ならば未だしも、せめて伯爵でもないと厳しいんじゃないか?」
「さらに突っ込むと、向こうの王族に幼い娘が居るかどうかもわからんしな。身分差はどうしようか? その内ネヴィル家は独立して一国家になるので……とかは駄目かね?」
「それが何時の事になるかわからない以上、確たる約束は出来ないよ。王族じゃなくても、せめて向こうの実力者と縁を結ぶしかない」
「いっその事、彼らの侵入して来た経路を探り、その経路上に山海関のような強固な壁を築くのは?」
カインの閃きに、現在ネヴィル家の財布を預かるトーヤが首を横に振った。
「無理だよ。山海関だけでも、ウチの財政は傾きかけたんだぜ? 産地偽装して売りさばいてる宝石も、これ以上のペースで捌けば必ず不審を招く。今、王国に目を付けられるのは拙いよ。それに領民たちを大規模工事に駆り出し過ぎれば、反感を抱かれてしまうかも知れないし」
「それに侵入経路が複数ある可能性も考慮すると、カインの案は現実的では無いな。第一、自分たちが帰った後に、そんな壁作られたら気を悪くするだろう? 新たに敵を作っちまうに等しいぞ」
アデルの言葉はもっともである。カインとて馬鹿では無いので、そのことには最初から気が付いている。
気が付いていてなお、口に出さずにはいられないのだ。
「だとすると、やはり時間をかけて友好を深めつつ婚姻となるわけだが…………」
「「「三人の内の誰が行く?」」」
と、三人は同時に声を発した後、僅か七歳の身で人生のパートナーを得るという事に対して、三兄弟はその姿を思い浮かべる事すら出来ずに、ただただ絶句した。




