蜂蜜酒のために
「父上、父上、凄いですよ! 門が、門が出来上がってます!」
「ああ、ああ、素晴らしい出来栄えだ! これならば、容易な事では突破などされんだろう」
王都より帰還した親子が見たのは、完成した山海関の跳ね橋と鉄門扉。
親子だけでなく皆、馬車を止めて壮大な構えを見せる山海関に見入っている。
「お館様のご帰還である。開門、開門!」
城壁の上からその様子を見た兵が、慌てて大声で指示を出す。
ジャラジャラと鎖が大きな音を立てながら、ゆっくりと跳ね橋が降ろされていく。
跳ね橋が降りると、今度は鉄門が開く。その鉄門が開くと、今度は格子状の第二門、第三門が上へと上がっていく。
例え鉄門が破られても、第二門、三門で少しでも長く食い止めるといった、念の入った作り込みようであった。
「橋から落ちないように気をつけてください。空堀の底には、既に鉄杭が敷かれておりますので……」
門の中から現れた兵が、空堀を指差しながら注意を促す。
アデルが、恐る恐る空堀の底を覗き込むと、底にびっしりと先の尖った鉄の杭が上を向いて敷き詰められていた。
自分たちが考案したものであるが、落ちた時の事を考えると、そのあまりのエグさに全身に鳥肌が立つ。
「アデル、うろちょろして落ちるでないぞ」
ちょろちょろと動き回る息子を心配してダレンが声を掛けると、アデルは青い顔をしてコクコクと頷いた。
屋敷に着くなり早々、当主の弟であり家中随一の驍将でもあるギルバートを招き、一族だけの秘密会議を行い、互いの首尾を確認し合う。
カインとトーヤを始めとする残留組の成果は、アデルらもその目で確認した通り、山海関の跳ね橋と鉄門扉の完成である。
そのために農具や日用品の生産、補修が滞ってしまっていることを詫びるが、これは仕方のない事であった。
情勢が何時どうなるかもわからない世情ゆえに、領内を護る山海関の完成を急ぐのは当たり前である。
さらにこれから収穫期に入るため、人手がそちらに割かれてしまう前にと、尻に鞭を打ってでも急がせたための弊害である。これは甘んじて受け入れる他は無い。
ダレンが王都での首尾を語ると、その成果の大きさに歓声が上がる。
「三年の租税と兵役の免除か! 領民たちには知らせずに、そのまま徴税して当家の蔵に収めれば、楽になるな」
ギルバートの弾んだ声に水を差すのは悪いと思ったが、アデルたちは三人ともそれに同調せずに首を横に振った。
「叔父上、もしもですよ? この話が領民たちに伝わったのならば、彼らとの間に埋め難い溝が出来てしまいます。珍しい事例ゆえに、人の噂にもなりましょうし、何処から漏れ伝わるかわかりません」
「ならば、租税は取らないのか?」
「取りますよ、そりゃ」
ギルバートには訳がわからない。どういうことかと、ジェラルドやダレンも三兄弟に問う。
「えっとですね……税は取ります。取りますが、国には納めません。取った税は領内に還元します」
自分の言った事と何が違うのかとギルバートは首を捻る。
「その三年分の税で、幾つかの事業を起こそうかと思っているのです」
「それは?」
「一つは養蜂。もう一つは養鶏です」
「養蜂と養鶏?」
「ええ、養蜂で蜂蜜を、養鶏で鶏肉と卵を。そしてそれらを特に卵に関しては早急に、領民へと行き渡るようにしたいのです」
領民たちへだと? 何故に? 輸出品目を増やすのではないのかと、大人たちは全員首を傾げる。
「説明が長くなりますけど……王都に行って気が付いたのですが、ネヴィル領の人って王都の人々より全体的に体が大きいですよね?」
言われてみれば確かにと、ダレンたちは自分の身体を見ながら思い出してみる。
「それには理由があるのです。遺伝、つまり親から受け継がれた性質というのもありますが、何よりも大きいのは、このネヴィル領が食べ物に恵まれているということなんです。主食の一つである豆は、栄養が豊富ですし、川には大鰻や川エビが一年中獲れますし、秋には鮭や鱒が遡上してきます。鹿や兎などの動物も多く、飼っている山羊からは肉や乳製品がといったように、子供の頃から栄養を十分に摂る事が出来るために、体が大きく育つのです」
そう言われてみれば納得である。確かに、王都の人間よりも新鮮な食材に恵まれているだろう。
「そこにさらにもう一品、二品、栄養の豊富な食べ物を加えたいのです。鶏を育てて、肉や卵を安定供給出来れば、不漁や不作の時にもしっかりとその身に栄養を蓄える事が出来ます。他と比べて人の数に劣る当家が強くなるには、一人一人が強くなるしかありません。小さい頃からしっかりと栄養を摂取して、体を大きくする事が出来れば、少数の兵でも多数に立ち向かえるかも知れません」
「なるほど、体の大きさや力の強さは、戦において有利になる要素の一つだ」
とダレンも納得する。
「うむ。自分たちに恩恵があるというのならば、領民たちも納得するだろう。高級品である卵が、当たり前のように食べられるとなれば、さぞ喜ぶであろう」
ジェラルドの言う通り、卵は高級品である。ネヴィル領でも鶏を飼っている者はいるが、放し飼いであり、効率よく卵を回収するのは難しい。
「それに鶏糞は良い肥料になります。余った鶏糞を肥料として売れば面白いかも知れません」
人糞、石灰に続く第三の肥料である。これも領民たちを納得させる一助となるはずである。
「養鶏はわかったけど、養蜂は? 蜂蜜は高級品であるのは認めるが、それほどまでに必要なのか?」
三兄弟が養蜂を始めようと思ったきっかけは、たまには甘い物でも食べたいという、母の一言であった。
つまりは親孝行の一環というわけである。
だが、これが理由では愛妻家のダレンは兎も角、ジェラルドとギルバートの支持は得られないだろう。
そこで事前に用意しておいた、もう一つの理由を話す。
「ああ、別にどうでもいいんですよ、蜂蜜はね。あくまでもついでって感じです。……ただ、蜂蜜があれば蜂蜜酒が出来るんだけどなぁ……残念だなぁ」
現在、ネヴィル領で流通している酒は大麦のエールとワインである。
これに新たに第三の酒が加わるというのである。
娯楽に乏しいこの世界では、酒は大人たちにとって欠かせない物である。
このアデルの言葉に、三人の大人たちは目の色を変えて喰い付いて来た。
「父上、その蜂蜜酒ってのは美味いのでしょうか? どんな味か覚えておられますか?」
ダレンは蜂蜜酒をどうやら飲んだ事が無いらしい。興味津々の様子である。
「昔、一度だけ飲んだ事があるが、もう味を覚えてはおらぬ。ただ、美味かったとしか……」
ジェラルドは昔、王都に居た頃に飲んだ事があるという。だが、あまりにも昔過ぎてその味を思い出せずに、口をもごもごとさせている。
そんなジェラルドの反応が、ギルバートに火を点けた。
「やろう! 最優先で!」
ギルバートは養鶏よりも、養蜂を優先すべきだと言い始めた。
酒と聞いた途端に、目の色を変えた大人たちを三兄弟は半ば呆れた目で見つめた。
ここまで喰い付いて来るのが、意外と言えば意外でもあったが、この三人をしてこの反応である。
領民たちも喰い付いて来るのは、最早確実と言えるだろう。
その後は、買って来た無花果の若木の植樹計画や、蕪と大蒜の栽培なども計画を立てる。
三人の大人たちの、蜂蜜との反応の温度差は凄まじいものがあったが、特に反対も無く順調に計画が定められていく。
こうして、養鶏、養蜂、無花果の若木の植樹、蕪と大蒜の栽培が決定し、後日顔役たちを集めることを決めて、一族のみの秘密会議は終了したのであった。
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