社交界デビュー? 興味ないね
ハーディング子爵は、王都に嫡男であるアデルを預かり、社交界での後見人となりデビューさせるというのである。
ネヴィル家当主であるダレンは、その意図や真意のわからぬハーディング子爵の申し出を、即座に断った。
「ありがたき仰せなれど、あれは嫡男にて、そろそろ領内の経営について教えて行かねばならぬ身ゆえ……」
嫡男、つまりは次期当主であり親元に置いておきたいという理由は、至極当然のもの。
これに対して、ハーディング子爵は一気に攻め手を失った。
もし、ハーディングがネヴィル家に以前から少しでも興味を持っていたとしたら、嫡男であるアデルの下に二人の弟がおり、その二人の内のどちらかを、自分の手元へと手繰り寄せるよう言葉を紡いだかもしれない。
だがハーディングは、今日ネヴィル家が屋敷を訪れてくるまで、その存在を忘れていたほどである。
ゆえに今回の申し出もこの場での思いつきに過ぎず、またハーディング自身がこの件が上手くいこうといくまいと、どちらでも構わないと思っていたが為に、すんなりと諦めてしまった。
「左様か、ならば致し方あるまいの。もし、気が変わったのならば、何時でも遠慮せずに訪ねて来るが良い」
「はっ、その節には……居心地の良さに、些か長居をしてしまったようで……某はこの辺りで失礼をさせて頂きとう存じます」
そうか、とハーディングは出迎えた時から浮かべている笑みを崩さず、卓上の鈴を鳴らして人を呼ぶと、ネヴィル家の嫡男であるアデルを呼んでくるようにと伝えた。
程なくしてアデルが応接室に戻ってくると、ダレンはハーディングの持て成しに謝意を示し、アデルの手を引いてそそくさとその場を後にした。
ハーディングはネヴィル家が来た時には、自ら玄関まで出迎えはしたが、帰る時には見送りしなかった。
何故なら、アデルという人質を取り、ネヴィル家を自勢力に引き込めなかった時点で、ネヴィル家に対する興味を完全に失っていたからである。
ネヴィル家が退出するのと入れ替わりに、ハーディング家の嫡男であるイサークが姿を現した。
「よろしかったのですか?」
そのイサークの問いに、ハーディングは顔の前で手をひらひらと振った。
「構わぬ、構わぬ。一応、遠いとはいえ血筋を同じくする者ゆえ、我らに与させ、いずれ良き目を与えてやろうと思うたが、まぁ所詮は田舎者。それに彼の家は此度、準の字が取れ男爵となるが、田舎の男爵の動員出来る兵数など、たかが知れておる。三百かそこらの兵のために、これ以上危ない橋を渡る必要はあるまいて……」
「そうですな……決起の時は刻一刻と迫っておりますれば父上の言う通り、たかが二、三百の兵を欲するがために、あまり目立つようなことはせぬ方が良いでしょうな。それに私は、あのネヴィル家についてある噂を耳に致しておりまして……」
「ほぅ? それはどのような噂か?」
一応、息子の顔を立てて聞くだけ聞いてみたが、ハーディングの心の内では、ネヴィル家など最早どうでもよいと思っていた。
「はっ、噂話によりますと、陞爵に対する返礼の品に事もあろうか、領内で獲れた豆を献上するとか何とか……私はあの者が此度、当家を訪ねて来たのは、てっきり金の無心をするためだとばかり思っておりましたが、そのようなお話は?」
「ふぅむ、金の話は一切無かったのぅ。しかしながら、豆とはのぅ……あのプライドだけは一人前の王が、豆なんぞ受け取るとは思えぬわい。くわばらくわばら、触らぬ神に祟りなしじゃな。王の怒りを買い、それに当家が連座するような事態には陥りたくはないものじゃ、今後一切、あの家とは関わらぬように。もし、訪ねて来ても門前にて追い払うように」
「はっ、かしこまりました」
ーーー
「どうかしたのですか?」
夕暮れに染まる王都の道を、ネヴィル家の馬車がゆっくりと進んで行く。
その馬車の中で、アデルは自分の顔を見つめる父を見て、ハーディング家で何かあったのだろうかと小首を傾げた。
「いや、なに……ハーディング子爵がな、お前を王都に留め置いて、社交界に顔を出させた方が良いと言うのでな……しかも、子爵自ら社交界での後見人を務めて下さると申されてな……」
えっ、とアデルは思わず大声を上げてしまう。
「まさか父上、その申し出を受けたのですか?」
「いや、断った。いくら後見人を引き受けて下さるとはいえ、当家に社交界に加わるような財力は無いからな。すまないな、お前にまで肩身の狭い思いをさせてしまって……」
ダレンはそう言って、アデルに向かって頭を下げた。
「とんでもない、父上! 私は社交界なんぞに興味はありませんし、それにどうもそのハーディング子爵の申し出には引っ掛かりを感じてしまいます。だいたい話が行き成りすぎるでしょう?」
「お前もそう感じたか? 実は私もそう思って、此度の話を断ったのだが……最初は、当家の気を引くための言葉かとも思えたが、だがしかし……血筋を同じくするとはいえ、これまで付き合いらしい付き合いも無かったのに、いきなり後見人を申し出て来るのは、ひょっとして何かあるのではないかと思ったのだよ」
「胡散臭いですね……それに当家は舐められてますね。田舎者ゆえ、王都の華々しい世界に憧れているのだろうと、勝手に決めつけやがって! 今に見ていろよ、ネヴィルはいくら侮られようとも、そんな虚ろよりも実利を取る。後で必ず吠え面かかせてやるからな……」
突然の息子の憤りに、ダレンは戸惑う。
だが、その言葉には頷ける部分が多々あったのも事実であった。
兎角、中央の貴族たちは、辺境の貴族を見下す傾向が強い。
退出の時の事を思えば、ハーディング子爵にもそれは感じられた。
もしネヴィル家が、中央の男爵家であれば、ハーディングは自ら玄関まで見送ったのではなかろうか?
「だが、社交界に全く興味がないというのもあれだな……」
ダレンは跡を継ぐアデルならば、武一辺倒であった父ジェラルドや自分よりも、よっぽど上手く貴族社会を生き抜くことが出来るのではないかとも思っていた。
「父上、これからはドレスよりも鎧兜、演奏よりも突撃喇叭、自慢よりも実力がものをいう世界ですよ。社交界など安寧な時代の、貴族の暇つぶし程度のものでしかありませんよ」
それを聞いたダレンは、白い歯を剥きだしにして笑った。
出来がいくら良くても、やはり自分の子でありその血が色濃く受け継がれているのだと。
そしてそのことをダレンは他の誰よりも喜び、かつその喜びの余りそのことを喧伝したい欲に駆られたのであった。
「そうだな、当家は代々武門の家柄。なれば身を立てるのは社交界では無く、戦場に於いてであるな。結構、結構、それでこそ私の子だ」
そう言うと、アデルの頭を力を込めてごしごしと撫でた。
剣ダコで硬い手のひらで、力強く撫でられたアデルは思わず目を瞑ってしまったが、その手のひらの硬さと温もりは大変心地良く感じられたのであった。
「さて、登城の日までまだ時間もあることだし、明日は共に商業区を見て回ろうか。父上やクラリッサにも何か買ってやらねばならぬしな」
「叔父上とカインとトーヤにもね。う~ん、でもお土産って何がいいのかわからないんだよなぁ……」
前世の日本のように土産物屋があるわけでもなし、かといって王都の特産物というのもない。
王都はあくまでも地方から集められた物が売っているだけなのだ。
王都特有の地域色の強い土産というのを期待しても、そんなものは存在しないため、土産選びは困難であった。
「はっはっは、深く考えすぎだぞアデル。ネヴィル領で手に入らぬ物の中から、相手が喜びそうな物を適当に選べばよい」
「なるほど、では父上は母上に何を買って帰るつもりですか?」
アデルの発した何気ない質問。その質問を受けたダレンは、急に真顔になると、顎に手を添えてうんうんと唸り始めた。
「服……いや、絹のハンカチ……まてよ、髪留めも欲しがっていた気が……う~む、何にすれば良いのやら……」
どうやら明日の買い物は時間が掛かりそうだなと、アデルは真顔で考え込む父の顔を見て溜息を漏らした。




