不穏な気配
商業区から帰って来たアデルを待ち受けていたのは、父ダレンの憮然とした表情であった。
なんでも城へ行き、陛下に取次ぎを願ったところ、ほとんど門前払いのような扱いを受けたのだという。
「田舎貴族ゆえ軽輩と侮られたか、渡した賄賂の額に不満があったのかはわからぬが、何にせよかなり後回しにされてしまった」
聞けば、五日後にもう一度来るがよいと言われて、城を追い出されたのだという。
遠路はるばる気乗りのしない旅の果てにこの仕打ち、ダレンが憮然とするのも無理はない。
「まぁまぁ、官の腐敗は予想していたことでもありますし……逆の意味で良かったと思いましょう」
年端もいかぬ息子に励まされるとはと、ダレンはやるせない気持ちになりながらも、頭を切り替えることにした。
「アデルよ、お前の方はどうであった? 何か目を引くものでも見つけたか?」
「はい、父上! 色々と勉強になりました。やはり実際に、見たり触れたりしなければわからないことというのは多いですね。それで色々と見て回ったところ、是非に欲しい物を見つけました」
「ほう? それは何か? 必ずしも手に入れてやるとまでは言えぬが、言うだけ言ってみるが良い」
アデルのおねだりを、ダレンは少しだけ微笑ましく思っていた。
思えば、三人の息子たちが何かをおねだりしてくることなど、今まで無かったのである。
「商業区の市場で、まだ時期的には少しばかり早いですが、無花果の実を見つけました」
「ほう、無花果か……なるほど、無花果を食べたいのだな。エリオット殿に頼めば用意してくれるだろう」
「いえ、違います! 無花果の実を食べたいのではなく、あ、いや食べたいですけども、それよりも無花果の苗木が欲しいのです」
「なに? 苗木だと?」
「はい、無花果の苗木をお土産として持って帰りたいのです。無花果は確か、挿し木で増やせるはずなので苗木を大量に買わずとも、時間を掛ければいくらでも増やすことが出来るはずです。無花果の実は、喉の痛みや痰に効きますし、腹の調子を整える効果もあります。干した葉をお湯に漬け、その湯に体を浸せば腰痛にも効くと聞きます。母上は甘いものが大好きですし、お爺様には薬として喜んでもらえるのではないでしょうか? それに実は干せば保存食として、戦場に持って行くことも出来ますし、どうでしょう?」
まったくこやつは自分の欲しい物ではなく、自分たちに役立つ物を欲するとは、そう言われてしまうと拒絶することなど出来ぬではないかと、ダレンは大きな硬い手でアデルの頭を撫でた。
アデルはその剣ダコの出来たごつごつとした手の感触を受けて、嬉しそうに眼を細める。
「わかった。そういうことならば、何とか手に入れることが出来ぬかエリオット殿に相談してみよう」
やったー、とアデルが飛び上がって燥ぐ年相応の様を見て、ダレンはホッと溜息をつくのであった。
ーーー
翌日、ダレンは家祖を同じくするハーディング子爵家へ挨拶に伺うことにした。
家祖を同じくするとはいえ、向こうは本流でこちらは傍流であり、格式的には天と地ほどの開きがある。
ダレンは貴族付き合いは苦手な質であったが、流石に遠いとはいえ、血筋を無視するわけにはいかない。
領地から持参したワインの樽を土産に、ハーディング子爵家へアデルを伴い挨拶に向かった。
「父上、ハーディング子爵とはどのような御方なのですか?」
アデルの問いに、ダレンは少し困ったような表情を浮かべる。
「それがな、儂も幼少の砌に一度お会いしたことがあるだけで、良くは知らぬのだ。父上とは度々戦場で肩を並べられたそうだが、何せ数十年前の話だからなぁ……先方が我が家を覚えているか、それすらもわからんのだ」
「一応、血筋としては当家はそのハーディングの傍流なのでしょう?」
「うむ。とはいっても、我がネヴィルはかなり外れておるがな……はっきりと言ってしまえば、赤の他人に等しいくらいだ」
これは歓迎されそうにないなぁとアデルは思っていたが、その予想を裏切りネヴィル家はハーディング子爵家の丁重な持て成しを受けたのであった。
逆にこの歓迎ぶりに、アデルのみならずダレンもどこかしら胡散臭さを感じてしまう。
ハーディング子爵邸は、流石は中央貴族、それも子爵という位階だけのことはあり、見た目も内装も洗練された美しさを誇っている。
アデルはそれらを見ても、あまり興味が湧かないのか、あっけらかんとしていたが、ダレンは自家と比べてしまい、あまりの格差に顔に影を落とした。
「遠路はるばるよう来られた。おお、そういえば陞爵なされたのであったな。まことにめでたきことじゃな。そちらは御子息かの? 聡明そうな良い目をしておる」
杖を突き、ニコニコと笑みを浮かべながら、自らロビーまで出迎えに出て来たハーディング子爵にダレンとアデルは形式通りの挨拶をする。
アデルの見るところ、ハーディング子爵は祖父ジェラルドよりも高齢かと思われた。
杖を突きながらのギクシャクとした動きは、壊れかけのブリキの玩具を連想させる。
応接室に案内され、そこでしばし三人で談笑する。
「いやはや、良く出来た御子で羨ましい限りじゃてのぅ。話は変わるが、当家の庭は自慢では無いがそれなりの見応えがあってのぅ……どうじゃ、アデル殿……ひとつ散策してみるというのは?」
これは体の良い人払いであると知ったアデルは、子供らしい演技を見せて言われた通り庭を案内して貰う事にした。
すると直ぐに、ハーディング子爵が家宰を呼びつけてアデルに庭を案内するようにと申し付ける。
家宰に連れられアデルが退出し、その足音が聞こえなくなるなるまで沈黙をたもつ。
「さてさて、此度は慶事でもあるが、些か困ったのではあるまいかのぅ?」
慶事は陞爵のことであるのは間違いない。困った事というのは、陞爵に対する返礼のことであろう。
これにはダレンも迂闊な事は言えず、苦笑いを浮かべるのが精一杯であった。
「まったく、陛下にも困ったもんじゃて……ここだけの話だが、近年中に再びイースタルかノルトへの出征の御計画がおありらしいのじゃ……」
「それはまことで御座いますか?」
ハーディング子爵の言葉に、ダレンは思わず身を乗り出して前のめりになってしまう。
「うむ。確かな筋からもたらされた情報じゃて。さて、話は変わるが卿は今の世をどう思う?」
ハーディング子爵の問いかけに対し、ダレンは返答に窮した。
この問いかけの真意を推し量ろうとするものの、ハーディング子爵の深い皺に埋もれた両目からは、今は何の意志も伝わってはこない。
「…………そうですな、言うなれば少し……少しだけ乱れてはいますな…………」
言質を取られぬように、お茶を濁すように、慎重に言葉を選ぶダレンの背筋には、掻きたくも無い冷たい汗が浮かび上がる。
「ふむ、そうか……卿はそう思うか……なれば、我と一緒よな…………当家とネヴィルの家は、家祖を同じくする間柄。これまでも、そしてこれからも幾久しく共に繁栄の道を歩いて行かん」
ダレンにはハーディング子爵の真意が読めぬ以上、迂闊なことを口にすることは出来ない。
今はただ頭を深く下げてやり過ごすことにした。
「うむ、うむ。ところで、卿は御子息を社交界で活躍させる気は御座らぬのか?」
この言葉にはダレンは驚いた。武家であり、戦場一筋であったネヴィル家が中央の社交界に加わるなど、今まで一度たりとも考えたことがなかったのである。
「いえ、そのようなことは考えたことも……」
「いやいや、卿も此度の陞爵で男爵となられたのだ。御子息の代には、さらなる栄達によって当家と肩を並べるやも知れぬ。そこでどうであろうか? 近い将来に社交界に加わる御子息を当家に預けてみるというのは? ネヴィル家と我がハーディング家は家祖を同じくする者、当家としてはネヴィル家の将来に対して助力を惜しまぬつもりゆえ……」
耳触りの良い言葉とは裏腹に、大分きな臭くなってきたとダレンの頭に警鐘が鳴り響き始めた。
感想、評価ありがとうございます! 感謝感激です!




