買い食い
初めて訪れた王都、治安の良し悪しなどの問題はさて置き、その賑やかな喧騒っぷりは自領であるネヴィルの地では見られない光景であった。
もっとも前世の記憶の中にある、世界有数の大都会である東京には遠く及ぶべくも無いが、ともあれアデルがこれほどの人を見たのは、この世に生まれて初めての事であった。
特にここが商業区であることも関係しているのだろうが、市場の方は既に買い物時のピークを過ぎたにも関わらず、建ち並ぶ商店や露店から客を呼び込む威勢の良い声が、あちこちから上がっている。
「凄いな……ブルーノは王都に来た事はあるのか?」
アデルは首だけを後ろに回し、自身の護衛の任に就いている奴隷であるブルーノに声を掛ける。
ブルーノは奴隷に気さくに声を掛けて来るアデルに、困惑しながらも首を横に振った。
「そうか、何れは我が領内もこのように賑やかせたいものだな」
「はっはっは、若は気宇が大きゅう御座いますな。結構、結構、それでこそ我ら家臣一同、仕え甲斐があるというものです」
父より直々に護衛の任を与えられた古参の臣であるダグラスは、馬車の中での一件もあり、最早アデルの資質を疑ってはいなかった。むしろ、次代当主であるアデルの代にて、ネヴィル家は大きく躍進すると確信めいた思いを抱くにまで至っていた。
「煉瓦が白っぽいのは、日干し煉瓦だからかな?」
相変わらず普通の子供とは違い、変なところに興味を示すものだと思いながら、ダグラスは答える。
「左様でございますな。焼成煉瓦を作るには大量の薪が必要で御座いますが、王都周辺は開拓が進んでおり、森などは当の昔に切り開かれてしまっておりますれば、大量の薪を容易に集めることが困難ゆえ、日干し煉瓦を使うのが普通で御座いますな。しかしながら、一部の貴族たちに於いてはその限りではありませぬ。何故かおわかりですかな?」
「答えは簡単だ。見栄さ……つまりは無駄に費用と手間を掛けることで、財力と権威を誇示しようといったところだろう? くだらんな、言っておくが俺は違うぞ……くだらぬ上っ面を飾り立てるよりは、実を取る。権威など、成功し続ければ後から勝手に着いて来るものだからな」
このアデルの言葉に、大人たちはどよめく。まだ他の大人よりは年の近い奴隷のブルーノなど、まるで雷に打たれたかのように身を硬直させていた。
ただ一行の中でアデルを一番知るダグラスだけが、僅か七歳の子供であるアデルを頼もしげな表情で見詰めている。
「流石は若、さてさて、これからどちらへ向かいましょう? 若は何かお探しの品や、興味のある品などが御座いますでしょうか?」
「う~ん、特には思いつかないな……ん? 何か良い匂いがするな」
アデルを先頭に、スンスンと鼻を鳴らしてその匂いの元を辿り歩いて行くと、肉の串焼きを焼いている一軒の屋台に辿り着く。
若、買い食いは、とダグラスらが窘めるのも聞かず、アデルはその串焼き屋に近付いていく。
近付いて来るアデルを見た屋台の店主は、その清潔な身形と背後に控える数人の護衛から見て、どこぞの商家の子あたりだろうと推定した。
店主がそう判断したのも仕方が無い。貴族であるにはアデルの服装が地味であり、護衛たちの服装も洗練さを欠いていたし、そもそも貴族の子供が屋台の串焼きなどに興味を示すことはない。
「へい、らっしゃい。坊ちゃん、何かご用で?」
店主はどうせ冷やかしかなにかだろうと思いながらも、相手がどこぞの商家かわからぬゆえに、出来る限り慇懃な対応を試みる。
「この串焼きの肉は、何の肉?」
串焼きを指差しながらのアデルの問いに、店主は山鯨の肉でさぁと、少しだけ意地の悪い返しをする。
アデルは山鯨? と、小首を傾げたが、ああ猪かとすぐに正解を導き出す。
これには流石の店主もお手上げ、その博識ぶりを褒めそやした。
「坊ちゃん、よくご存じで! そうです、これは猪の肉でさぁ」
「やっぱりそうか、牛や鳥とは違う匂いだったからね。う~ん、香りから推測すると味付けは塩と何かスパイスか香草のようなものかな?」
目を瞑って鼻をスンスンと鳴らすアデルに、またしても店主は度肝を抜かれる。
「そ、その通りで……味付けに塩と、クミンを用いています……」
やっぱり、とアデルは笑うと、後ろを振り返ってダグラスたちに、食べるかを聞く。
ダグラスたち大人は、遠慮したのか結構ですと断ったが、奴隷のブルーノはまさか自分が問われているとは思っていなかったので沈黙を貫く。
そのブルーノの沈黙を、アデルは肯定と捉え、店主に串焼きを二本所望する。
受け取ったアツアツの串焼きの内の一本をブルーノに渡すと、ブルーノは受け取りながらもキョトンとした表情を浮かべた。
「行儀は悪いが歩きながら、冷めないうちに食べちまおう」
屋台から離れながらアデルは串焼きを頬張るが、あまりのしょっぱさに眉を顰めた。
「随分と味が濃いな。それに肉も思っていた以上に固い」
ああ、それはとロスキア商会の護衛が説明する。
「王都周辺は開拓が進んでおりますので、獣の類が獲れません。ですから、王都で出回っている肉の多くは、遠方より塩漬けされて運ばれて来るのです」
「なるほど、そのせいでしょっぱいのか」
「あの手の屋台の客層が労働者や酒飲みなことも大きいでしょう。後は、多少傷んでいても塩と香草を効かせて誤魔化している可能性もあります。何事も御経験ではありますが、あまりこの手の物は口になされないほうが宜しいかと」
アデルはその忠告を素直に受け取り頷いた。
「うん、もうわかったから次からは気を付けるよ。ブルーノ、すまなかったな。あまり美味しくはないだろう?」
「い、いえ、大変美味しゅう御座います」
「ははは、立場上そう言うしかないものな。重ね重ねすまんな。塩っ辛くて喉が渇いたし、何か口直ししよう」
ブルーノは恐縮しながらも、奴隷ごときに謝罪するとは変わった主であると思った。
まさかアデルが、自分を未来の親衛隊長などと高く買っているとは、思いもよらぬことであった。
アデルはまた一軒の屋台に近付き、その屋台で林檎を二つ買って一つをブルーノへと放った。
およそ貴族とは思えぬフットワークの軽さと行動に、ブルーノは驚きの連続である。
そしてそのままシャリシャリと林檎を齧り始めたのを見て、ブルーノは半ば呆れはじめていた。
「うん、やっぱりこの林檎もそうか……遠方から運んできたせいで瑞々しさが失われているな。これならもういっその事、焼き林檎にでもしたほうが良さそうだ」
このアデルの独り言のような呟きを間近で聞いたブルーノは、己の考えの浅はかさを恥じた。
主人であるアデルの行動には、全て何かしらの意味があったのだと。
要するにこの買い食いは、王都の食料事情の調査だったのだと。
「やはり実際に見ると勉強になるな。この王都の様子を見る限りでは、生鮮食品などは殆ど望めないのだろうな。さっきの林檎の例を見る限り、あっても著しく鮮度を欠いている状態。それならばいっその事、加工してから持ち込んだ方がいいかも知れない。まぁ、もっとも商売に関することは素人の俺が考えるよりも、全て爺ちゃんに任せるのが一番だろうけどね」
その後もアデルは商業区の市場を練り歩き、様々な食べ物を買ってはその場で食してみた。
その中に、まだ時期的には少し早いが出回り始め出したばかりの無花果を発見した。
「無花果か……確か実は整腸作用があるんだよなぁ……そうだ! お土産はこれにしよう。実をそのまま食べても美味しいし、干せば携帯食とすることも出来る。商会に戻ったら、無花果の若木を手に入れられないか聞いてみよう」
甘い無花果の実を欲するなら未だしも、無花果の若木を欲するとはつくづく子供らしくないなと、アデルは自分で苦笑いを浮かべたのであった。




