ガドモア王国
ネヴィル家が属するガドモア王国は、国王ヴィマル・エドマインが治める専制君主国家である。
王国中央部を内地と呼び、その内地を囲むように四方をそれぞれ治める東西南北の四大侯爵がいる。
この四方を治める四大侯爵自体が小国にも匹敵するため、見方を変えればガドモア王国とその隷下の衛星諸国と言えるのかも知れない。
ガドモア王国はその強大な国力を誇示し、中原と呼ばれる肥沃な平野を制して大陸に覇を唱えていたが、近年になって周辺諸国とのバランスが崩壊しかけていた。
それは現国王エドマインの祖父であるアラン二世が、大陸全てをその手に収めんとして、東の隣国であるイースタルに侵攻を開始したことに始まる。
当時、イースタル王国は国力こそガドモアの三分の一程度であったが、勇将サエッティノと智将ヴェルティの二人の活躍により、侵攻して来たガドモアを追い払っただけでなく、ガドモア王国の東部を大きく奪い取ることに成功した。
以来、アラン二世の御世から現国王であるエドマイン王への、祖父からの三代に渡るイースタル王国との終わりなき戦いが続いていた。
これがイースタルにだけ注力していたのならば、ガドモアの屋台骨が軋みをあげることは無かったのかも知れない。
祖父からの三代に渡る戦争も、常に続いていたわけではなく、時折の休止期間を得ての断続的なものだったため、ガドモア、イースタル両国とも互いに疲弊はしたものの、何とか国としての体裁は保つことが出来ていたのだった。
それが一変したのは、現国王であるエドマイン王が即位してからであった。
エドマイン王は、王太子時代から放蕩者として悪名を馳せていた。
これには父であるエルム王も頭を痛め度々諌めていたが、他に直系の男児がいないがために、王太子を廃嫡することが出来なかった。
我が子可愛さというのもあっただろう。だがエドマイン王は、その諌めに耳を傾ける事無く増長し続けた。
エルム王が崩御してエドマイン王が即位して最初に行ったのは、家臣の粛清であった。
王太子時代の自分を諌めた者たち、自分の意に従わぬ者たちを、その者の一族を赤子に至るまで皆殺しとし、自分に媚び諂う者たちを高位へと就けた。
この時、すでにジェラルドは王都を離れており、遥か西方の辺境の地であるコールス地方に封じられていたために、この災禍に巻き込まれずに済んだのであった。
もしジェラルドが王都に居たのならば、王太子時代に粗相を働いたことにより、この大粛清から逃れる事は出来なかっただろう。
これらにより良臣、雄臣は王宮から駆逐され、奸臣、佞臣の類が宮廷内に跋扈するようになる。
また粛清を免れた臣下たちの心も、次第に王家から離れていくこととなった。
こうして権力を手中とし、欲しい侭に振る舞うエドマイン王が次にやったことといえば、それは美女狩りであった。
後宮におさめる美女を求めて、国内から広く徴募するが、好色なエドマイン王はそれだけでは満足できずに、北の小国であるノルト王国で噂名高き美女であった、ノルト国王の妃であるカタリナを差し出すようにノルト王国に命じた。
ノルト王国とガドモア王国は、先祖を同じくする云わば兄弟国であったのだが、この傲慢すぎる頭ごなしの命によって関係は崩壊。
ノルト王国はガドモア王国に関係断絶を宣言するに至る。この断絶宣言を受けたエドマイン王は激怒し、兵を率いてノルト王国へと侵攻。
だが、ノルト王国の王太子であるカールの巧みな戦術に阻まれ、手間取っている内にこれを好機とみたイースタル王国が、ガドモア王国東部への侵攻を開始したために引き上げざるを得ず、以来ノルト王国とも国境線での睨み合いが続いている。
ーーー
「これが王都エーレプルですか……でっかいなぁ……」
馬車の窓から身を乗り出すようにして仰ぎ見る巨大な城壁。そしてその城壁ごしに見える大小幾つもの城の尖塔。
それらを見たアデルの感想は、そこいらの子供と左程差異はない。
だがその後の言葉がいけない。
「これを陥とすのは苦労しそうだ」
その言葉に、同乗していた父であるダレンは、急ぎ身を乗り出しているアデルを馬車へと引きずり込んで、その口を大きな手で塞いだ。
「アデル、口を慎め! ここはもう我が領内では無いのだ。迂闊な言葉を発して、それが万が一にも王の耳にでも入れば…………後は言わずともわかるな?」
口を封じられたままのアデルは、目を瞬かせながらコクコクと頷く。
「ぷふぁー、申し訳ありません父上。初めて王都を見たせいか、少しばかり浮かれていたようです。以後、気を付けますのでお許しを」
「うむ。よいかアデル……我らがここで失態を犯せば、領内で待っている家族や領民たちに災いが降りかかるのだぞ」
「はい、肝に銘じておきます。それにしても、この分だと中に入るのは昼を過ぎてしまうかも知れませんね」
城門へと続く長蛇の列を眺めてアデルは呟く。それでも、この門は貴族専用の門だからこそこれで済んでいるのだと思うと、平民たちが利用する門は、いったいどうなってしまっているのだろうかと考えざるを得ない。
その言葉にしなかった疑問を、古参の臣であるダグラスは察した。
「若様、貴族門であるからこそ陽のある内に中に入れるのです。平民たちは、中に入るのに二、三日待つのが当たり前で御座います」
それを聞いたアデルは思わず口から、うへぇ、と叫んでしまう。
「て、ことは野宿するってこと?」
「はい、左様でございます。ですから王都の城壁の外には無数の天幕が張られており、またそれらを利用する客目当ての者たちが集まって、それはもう賑やかですよ」
「なにそれ! 行ってみたいんだけど」
「ああ、それはなりません。若様は貴族であらせられますれば、平民たちと交わりを持つのは……」
ダグラスはそこまで言って言葉を濁す。
彼は普段アデルたちが、領内で平民たちにも気さくに声を掛けているのを知っているのだ。
アデルはダグラスが何故言葉を濁したかを察した。
「ここは王都だから、貴族らしく振る舞わなければならないということか……」
「若様は、ご聡明であらせられますな」
ダグラスはその通りであると、アデルに微笑みかけた。
他愛もない歓談を続けている内に陽は頂点へと達し、遂にアデルたちの番となった。
「ネヴィル男爵家……? 紋章官を呼べ!」
門番たちには、偶にしか王都を訪れないネヴィル家の紋章を知らなかった。
急ぎ呼び出された紋章官も、持参した本をパラパラと捲りながら照合する。
これについてダレンは、いつもの事だと無言で肩を竦めて見せた。
「あ……あった。ああ、確かにネヴィル家の紋章で御座います。いや、しかしながらネヴィル家は準男爵のはずでは?」
「此度、陛下より長年の功を称えられ、準の字を取り除いて頂いたのだ。今日はその御礼に参った次第」
「それはそれは、大変失礼を致しました。それでは、改めてご確認をさせて頂きますが、積荷の中身は何で御座いましょうか?」
ダレンが積荷は全て豆だと言うと、紋章官、門番ともに吹き出しそうな顔を必死に堪えている。
「ぷっ、いや、失礼致しました。この豆は、どこかの商会へ卸すので?」
先も述べた陛下への返礼の品であるとダレンが言うと、彼らは互いに脇腹の肉を抓ったり、内頬の肉を噛んだりして必死に笑いを堪え始める。ネヴィル家も小なりとも貴族の端くれ。面と向かって貴族を笑えば、如何なる理由であろうとも罰せられてしまう。
もうこれ以上は耐え切れないと、門番は碌に積荷を改めずにネヴィル家に通行の許可を出す。
「御役目ご苦労、では通させて貰うぞ」
そう言って王都の中へと遠ざかる馬車の車輪の音に、門番たちの笑い声が追い討ちを掛ける。
「ぷっ、聞いたか? 豆だってよ……あいつら何処の田舎者だ?」
「陛下が豆なんか貰って喜ぶとでも思っているのかねぇ?」
「他の貴族たちは気を利かせて、財宝だの美女だのを納めているってのに、よりにもよって豆とかあり得ないだろう」
「こりゃ下手したら、取り除いて貰った準の字がまた付いちまうんじゃないか?」
違ぇねぇと門番たちは笑い転げる中、アデルたちは王都への入城を果たしたのであった。
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