王都へ出発
「では、私とアデルとで王都に行くとしよう」
ダレンは跡取り息子であるアデルに、一度王都を見せておく方が良いと思い、連れて行くことにした。
「いいなぁ、アデルは」
「俺たちも行きたい」
カインとトーヤが、羨ましそうな目でアデルを見るが、次のダレンの一言でその態度は豹変する。
「よいかアデル、王都では決して大人から離れるな。王都は場所によっては治安が悪く、人攫いやスリも多い。特に貧民街には間違っても踏み入るんじゃないぞ。貧民街はたとえ大人と一緒であろうとも、命の保証は出来ないような、とても危険な場所なのだ」
それを聞いて、物見遊山を決め込むつもりのアデルの顔色が一気に青ざめていく。
行きたがっていたカインかトーヤに、自分と代わって貰おうかと二人の方を見るが、二人は先程までとはうって変わり、アデルに対して送り出すように、ひらひらと手を振っている。
「やっぱり、こういう大事な役目は長男であり、跡取りのアデルに譲るよ」
「そうそう、俺たちはしっかり留守番してるから、どうぞお気遣いなく~」
王都が危ない所だと知った途端の手のひら返し、アデルはがっくりと肩を落とす。
そうしている間にも、随行の人員や掛かる費用、日程などが次々と決められていく。
随行する家臣は、過去に王都に行ったことのある古い家臣たちが選ばれた。
当たり前の事だが子供は自分一人、それも厳つい親父殿とずっと一緒、これは色々な意味でキツイ。
そこでアデルは、ある提案をした。自分の世話をする者を同行させたいと。
「いや、お前の世話は私や従者たちが行うが?」
「いやいや、父上たちの負担を軽くするためにも、奴隷を一人連れて行きたいのですが、駄目でしょうか?」
ダレンは少し考えた後、アデルがそのような提案をしたということは、何か考えあってのことだろうと、その願いを聞き届けた。
だがこれは完全に的外れ。アデルは単に、大人だけの窮屈さから逃れたいがために提案したに過ぎない。
初めて訪れる王都、おそらくは見るもの全てが新鮮だろう。その初めてを誰かと共有したい。出来るならカインやトーヤとが良かったのだが、三人一緒に行動して何かあった場合を考えたからこそ、二人を留守番させたのだろうと、アデルは父の考えを察していた。
ならばせめて年が近く、自分と同じように初めて見る物などに対する、驚きや感動を共有できる人間をと思ったのである。
「で、誰を連れて行くのか?」
「ええと、一人奴隷の中に騎士の家系の者がいまして……その者にしようかと思っております」
「ああ、ブルーノのことだろ? 良いかも知れないな。腕はまだまだ未熟だが、筋は良いものを持っている。今でも、悪漢に襲われても時間稼ぎ程度なら出来るはずだ」
叔父のお墨付きが貰えた事で、奴隷のブルーノが随行員として加わる事が決まった。
「しかし、本当にこれ一つで良いのか?」
いくら虹色に輝く美しい宝石とはいえ、手のひら大の宝石ひとつで大丈夫だろうかとの心配をするダレンに、アデルたちは大丈夫、大丈夫と軽い口ぶりで言う。
「まぁ、豆も持って行きましょうか。その方が貧乏アピールに、説得力が増すかも」
「そうだな、豆を献上したらきっと驚くぜ。いや驚くどころか、こんな物を献上するつもりかと怒り出すかも。で、そこからこのアンモライトを出せば、相手はもっと驚くだろうな」
「人は驚きすぎると正確な判断力を失いますから、そこをすかさず父上は突いて下さい」
三兄弟が打ち出す人の悪い策を、果たして喜ぶべきなのかどうか、ダレンはわからないままに頷いた。
出発は明後日、王都までは馬車で片道二十日あまりの行程となる。
ーーー
「「お土産買ってこいよ」」
「遊びに行くんじゃないんだから……それよりも、例の物がそろそろ出来上がるはずだから、使用感などを試しておいてくれ」
わかった、任せろとカインとトーヤは頷く。
「あなた、お気を付けて……」
「戦に行くのではない。そう、心配するな」
母であるクラリッサが、父であるダレンの胸にそっと倒れ込む。その小さなクラリッサの肩を、ダレンの大きな手が包み込んでそっと抱きしめ、二人は長い口づけを交わした。
三兄弟は、両親の仲がいいのは良い事であると、そんな二人を見て見ぬふりをする。
「アデル様、わたくしはブルーノと申します。何なりとお申し付けくださいませ」
アデルの前に跪くのは奴隷のブルーノ。栗毛色の癖のある髪と濃いブラウンの瞳を持ち、引き締まった体の少年である。
そんなブルーノは十三歳で、跪いていても頭は七歳のアデルの胸元近くまである。
アデルは、そんなブルーノの肩をポンと叩いてこう言った。ブルーノ、頼りにするぞと。
その言葉を受けたブルーノは、体を縮こまらせて畏まった。
朝から照りつける夏の日差しの中、陞爵に対するお礼の品を献上しに、アデルたちは王都へ向かって出発した。
ーーー
出発して直ぐに、最初の難所が訪れる。それはこのネヴィル領と王国との間にある、断崖絶壁を抉られるように通っている一本道。
「アデルよ、馬車の中から身を乗り出したりするでないぞ! 万が一にも落ちれば命はないからな」
父の声に馬車の中のアデルは、コクコクと頷く。
以前に見た限りだと、地表との落差は最低でも四、五十メートルはあるのではないかと思われる。
馬車の窓から外を見るだけで、アデルの小さな睾丸はキュッと縮み上がってしまう。
「はっはっは、次代様は、これからこの道を何度も通る事になりましょう。今の内に慣れておいた方がよろしいでしょうな」
古参の家臣の一人であるダグラスが、崖下を見て顔色を青くするアデルをからかう。
父ダレンも、全くだと言ってダグラスと共に笑っている。
「心配するな。当家に仕える者たちは、夜であっても決して道を踏み外すようなことはないからな」
「然り、然り。お館様の言う通り。目を瞑っていても落ちはしませんわい」
嘘つけとアデルは思わずツッコミを入れたくなるが、ここは父やダグラスの言う通り、御者の腕を信じるしかない。
それと共に、アデルは喜びも感じてはいた。この道が、想像していた以上の難所であることをである。
道幅は大体が馬車一台程度であり、人ならば四人並べるぐらいだろうか? 武装した兵ならば、二人でも窮屈。武器を振り回すことを考えれば、二人並ぶのも危うい。
「この道幅とあの壁が出来れば、たとえ万余の兵が攻めて来ても、何も問題ありませんね」
「そりゃもう賊如きなど、今でも余裕で御座いますにさらに壁が出来れば次代様の仰る通り、うん百万攻めて来ようとも、全て崖下へ叩き落とせますわい」
ダグラスらの家臣たちにも、あの壁は領民たちに説明したのと同じように、賊の侵入を防ぐものであると話してある。
「この道を抜ければ直ぐに西侯の領地だ。奴は我らが目障りでしょうがないらしい。万が一があるかも知れんから、決して油断はするな。アデル、窮屈かもしれんが当分は馬車から出ずに我慢せい」
「わかりました。窓から外を覗くだけにします」
王国の四方を治める四大侯爵の一人、西の侯爵であるロンデリー侯爵は中央から来たネヴィル家を快くは思わず、今までも数々の嫌がらせを仕掛けて来た。
代表的な嫌がらせとして関税の値上げや、商人たちをネヴィル領へ行かせないように手配したりと、ネヴィル領の発展を妨げ続けて来たのである。
その話をアデルも祖父や父から聞いていたので、当然ながら西候に良い感情を抱いてはいなかった。
「そろそろ関所だな。まぁ此度は事情が事情ゆえ、あからさまな妨害を試みて来る事はあるまいが……」
「陛下へのご献上の品を妨げたとあっては、いかに西候といえども醜聞が過ぎましょうから、大丈夫で御座いましょう。行きよりも、帰りの方が心配で御座います」
「お前の言う通りだな。だがもしもの場合には、たとえ関係がこじれても構わんので、無理にでも押し通るまでよ」
ダレンは家では決して見せない不敵な笑みを浮かべながら、両腿の上に乗せているネヴィル家伝来の長剣を叩いて見せた。
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