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吉報、凶報、男爵家


「……して、本日はどのような御用件で……まだ徴税の季節では御座らぬが……」


 のしりと使者の対面に腰を落としたダレンは、戦場でもよく通る重く低い声で今回の用向きを伺う。

 その大柄な体躯から発せられる歴戦の猛者の気と、三兄弟が受け継いだ鋭どすぎる目を向けられた使者は、得も言われぬ怖気を感じて、その背をぶるりと震わせた。


「あ、いや、徴税の件ではない。此度は御家に吉報を届けに参った次第」


「吉報?」


 ダレンにはその吉報とやらに全くの心当たりはない。だが吉報と言われ、その厳つい相好が僅かばかりに崩れる。

 少しだけ室内の空気が変わったことを感じた使者は、ソファに座りなおして居住まいを正す。


「左様、吉報に御座る。御家の長年の王国に対する忠勤が認められ、準男爵家の準の字を取り除くとの仰せである」


「なんと!」


 ダレンは目を見開いて驚いた。長年の忠勤が認められた? どうも胡散臭い話であると、ダレンの目はすぅと細まる。

 使者はそれらの表情の変化を、降って湧いたような僥倖に驚き、戸惑っているのだと感じた。


「真に喜ばしいことである。ただちに王都に登り、新たに男爵の印綬を授かる様にとの仰せである」


「拝命致しました。準備が整い次第、直ぐに参りますゆえ……」


 ダレンはたかが小役人に過ぎない使者に対して、深々と頭を下げる。

 そして懐から革の小袋を取出し、使者の手にそれを握らせた。

 使者は躊躇いもせずそれを受け取ると、革袋を外から手でまさぐり、重さと質感を確かめる。

 辺境中の辺境だと聞いていたが、思いのほか羽振りは良いと、袋から感じられる重みに満足気な笑みを浮かべた。


「うむ、くれぐれも失礼の無いように。某の用向きはこれで終わりで御座る」


「このような片田舎まで、遠路はるばるご苦労様でした。細やかながら晩餐のご用意をしておりますので、田舎料理で御口に合わぬかと思われますが、是非ご賞味頂きたく……」


 使者もこのあばら家のような屋敷ぶりから、どうせ大した物は出ては来ぬだろうと、興味なさ気に頷いた。

 このような湿気た田舎からは、一刻も早く立ち去るべきである。

 ダレンは使者の顔色からそう読み取ったが、それはこちらにも好都合なので、機嫌を取る気にはさらさらなれなかった。

 使者を客室へと案内した後、弟であるギルバートに急ぎ使いを走らせる。

 そして先代当主であり父のジェラルドを自分の書斎に呼び、アデルに、カインとトーヤを呼んでくるように伝える。

 ほどなくして皆が書斎に集まると、今回の王都から遣わされた使者がもたらした吉報を告げた。

 だが、その吉報を聞いてもダレンを始め、誰も喜びの笑み一つ浮かべない。

 そんな中、アデル、カイン、トーヤの三人が、ワザと扉を少し開けて、大きな声で男爵への陞爵しょうしゃくを喜ぶ声を放った。

 狭い屋敷である。この声は客室に留まる使者の耳にも聞こえただろう。

 その後、そっと扉を閉めると三兄弟は真顔で父へと向かい合う。


「あまりおめでたくはありませんが、一応……男爵への陞爵、おめでとうございます」


 アデルの言葉は素っ気なく、そこには微塵の喜びを見出すことは出来ない。


「何故喜ばぬ? 何れはお前が引き継ぐのだぞ?」


 流石は我が息子、直ぐに気付いたかと、逆にダレンは喜びを隠せない。


「いつ滅ぶかもわからぬ国の爵位など、団栗の実一つほどの価値もありませんよ」


「ああ、畜生……また予算の組み直しをしないと……」


「これからだという時に、水を差しやがって……」


 三人はそれぞれに悪態をつく。


「また徴税の季節の直前に、やってくるのが厭らしいったらありゃしない。これで当家は今秋から男爵相当の税を納めねばならなくなりました。それも準備の間も与えられぬままに……また今後出陣する際には、男爵位相当の兵数を揃えねばなりません。発展途上で、金銭が日々湯水のように消えて行く当家にとって、これは途轍もない痛手……吉報どころかこれは凶報に違いありませんよ」


 現在ネヴィル家の出納を預かるトーヤが、アデルの言葉を継ぐ。


「当面としては、来年に行おうとしていた養鶏場建設と運営の資金を、一時的に秋の税に回して凌ぐしかありません。それ以降は豆類、石灰の輸出と、あまり頼りたくはありませんが、宝石類の売却で予算を確保していくしかないと思われます。願わくば、我が家が動員されるほどの、大きな戦が無い事を願うばかりです」


 大人たちはその言葉に頷いた。ネヴィル家は代々武を尊ぶ家柄ではあるが、昨今の無謀とも言える出征に振り回されるのは、御免蒙りたいと思っていた。

 出征したとしても、その出征自体が計画的なものではなく場当たり的で、すぐにグダグダの膠着状態となり、寸土も得られずに撤退というのが、近年お決まりのパターンなのだ。

 よってどれだけ戦場で武名を鳴らしても、褒美を得られるでもなく、嵩む戦費に家計を圧迫されるだけであり、国王以外の者たちの間には厭戦気分が蔓延していた。


「問題はそれだけではないぞ。陞爵したからには、お礼をせねばならぬ。つまりは礼物を持って王都へと登らねばならぬ。礼物もそうだが、道中や王都に滞在する費用も馬鹿にはならぬ」


 礼物……税だけでなく、これも狙いかとアデルらは顔を顰める。

 そしてこんな片田舎の貴族にまで、それらを求めるという事実から推測するに、王国の国庫の状態は最悪に近いのだろう。

 考えてみれば当たり前かと、その場に居る全員が呆れ顔を浮かべる。

 ノルト、イースタル両国と戦争をしていながら、愛妾のための離宮の建設などの大規模土木工事を行っているのだ。

 国庫がすでに空であっても、驚くには値しないだろう。


「王都での滞在はロスキア商会の王都支店を頼るとして、礼物の内容ですね……どのぐらいの価値の物を、納めなくてはならないのですか?」


 アデルの疑問に答えたのは、士爵から準男爵へと陞爵の経験があるジェラルドであった。


「そうさのぅ…………儂の時は年収の三倍から五倍を納めるのが、普通であったのぅ……じゃが、それはあくまでも士爵から準男爵への話で、準男爵から男爵へとなるとそれ以上を覚悟した方が良い」


「馬鹿げてる! そんなの破産一直線じゃないか!」


「そう、その通り。だから払えなくて、借金まみれになる貴族も多い。それにしても、ウチはその時に良く払えましたね?」


 ギルバートは不思議そうに、父であるジェラルドの顔を見る。


「馬鹿者、あの時は死ぬほど苦労したわい。先祖代々の鎧兜を質に入れたばかりか、家にあるもので金目の物は全て売り払ったのだぞ!」


「ああ……思い出した……父上は俺の僅かばかりの小遣いまで没収して、何とか金を工面していたことを……」


 ダレンは当時の苦労を思い出したのだろう。遠くを見つめるような目で、在りし日の困窮ぶりを振り返った。


「……なるほど……最低でも税五年分と見ればいいわけですね。……ならば、アレを使うか……」


 トーヤの発した言葉に対し、カインが即座に反応する。


「アレか? とっておきだけどここで使うのか?」


「素直に金を払うのも癪だし、馬鹿には良い目くらましになるかも知れない」


 三人が話すアレとは、大人たちには何のことだかわからない。


「そなたたち、何の話をしておるのか? 儂らにもわかるように説明せい」


 ちょっとお待ちを、とアデルが席を外して部屋から出て行った。

 戻ってきた時には、手にビロード布で包まれた何かを持っていた。


「これですよ、本邦初公開! これがアンモライトです!」


 そう言ってビロード布を取り払った後には、七色に輝く手のひら大のアンモナイトの化石があった。

 

「お、おおぅ」


「な、何だこれは……」


「なんと美しい……見よ、七色に輝いておるわ」


 未だかつて見た事の無い虹色に輝くそれを見た大人たちは、しばらくその美しさに魅入られたが如く、放心するのであった。





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