奴隷、教育、王都からの使者
アデルが顔役たちを宥めている間、三男のトーヤは一人黙々と領内全てに関する書類仕事をこなしていた。
これは以前までは商家の出であり数字に幾らかは強い、三兄弟の母であり領主の妻であるクラリッサが、行っていたものであったが、三兄弟は齢七つにして前世の記憶を駆使し、その母の処理能力を大きく超えたために、今となっては完全に任されるまでになっていたのであった。
クラリッサは自分の仕事が無くなったことで、手持無沙汰となり暇を持て余し、それがかえってストレスとなっていたようで、出来もしない家事に手を出しては女中たちに苦言を貰うありさまであった。
さすがにこのままでは拙いかもと思っていた矢先に、奴隷たちが到着したので、三兄弟は母に奴隷たちの算術の教師をやって貰う事とした。
これには流石に、当主であり父であるダレンは難色を示したが、クラリッサ自身が乗り気であり懇願したために、愛妻家でもあるダレンは妻の我儘に、結局は折れてしまったのであった。
クラリッサは平民の出であり、実家であるロスキア商会でも奴隷を扱っていたために、奴隷に対する知識を有し、妙な偏見を持ち合わせてはいない。
まして今回、父であるロスコが連れて来た奴隷たちは皆、身寄りのない子供たちであり、取り立てて気をつけるべき相手では無い。
クラリッサは、奴隷たちに極々初歩的な算術を教えた。ちなみに読み書きは、三兄弟の元家庭教師であるトラヴィスが教えている。
その奴隷たちの一日は、朝日の出と共に起床。食事当番の者たちが朝食の準備をしている間に、他の者はギルバートらの指導の元、軍事教練を行う。これには三兄弟も共に参加していた。
それが終わると朝食を取り、半数が仕事に、もう半数が勉強をするのだ。
食事当番、仕事、勉強はローテーションさせ、十日に一度全休を設けてある。
休みの日は、何を過ごしても良い。今は夏なので、大半は川へ水浴びをしに行く者が多いが、水難事故に十分に気をつけるように言い含めてある。
「おおっ、今日も肉だぞ! こんなに頻繁に肉が食えるなんて、思っても見なかったな」
「けどこれ、豆で作るんじゃなかったか?」
「肉もちゃんと使ってるよ。確か、はんばーぐ? とか言ったっけか?」
「美味けりゃ何でもいいさ、この豆乳とかいうのも美味しいし、食事に関しては文句なしだぜ」
「おかずも毎日付くしな……俺、ここに買われて来て良かった……」
今までの境遇と比べれば、ここネヴィルでの暮らしは正に天国ともいえる。
薄い麦粥一杯で、一日中働かされることなど当たり前の世界である。
仕事に関しても、キツイが適度に休憩を挟むし、領民たちが奴隷に対して暴力を振るう事も無い。
まぁもっとも、奴隷の所有者がこの地を治める貴族のネヴィル家なので、それを傷つける事は畏れ多くて出来ないというのもある。
夕食を摂り終え、片付けが終わると直ぐに就寝である。
明かり代が勿体無いため、夜間の作業は一切行われない。とは言っても、陽が暮れたから寝ろと言われて、直ぐに寝れるはずも無い。
そこで、アデルたちは奴隷たちに数え歌やしりとり、また計算問題を出し合ったりと、真っ暗闇の中でも出来る遊びを幾つか教えてやった。
やることのない奴隷たちは、それらの遊びに飛びつき、すぐに熱中することになった。
こうした遊びも、学力を高める一助となっていた。
奴隷たちは農作業をしながら、数え歌を歌い、計算問題を出し合った。
元々子供は吸収が早いこともあり、あっという間に極初歩的な語学と算術を習得し、作業を通じて領民たちを大いに驚かせることとなった。
奴隷たちの急成長ぶりに驚き、また焦りを感じた領民たちは、顔役たちに自分らの子供にも勉強をさせたいと訴えた。
顔役たちもこのままでは奴隷たちに、自分らの地位が将来的には取って変わられるとの焦りを浮かべ、慌てて自分らの子弟にも勉強を教えて欲しいと、領主であるダレンに願い出たのであった。
「そうか、わかった。その願いは聞き届けよう。教育を行う教師は、今は祖父と我が妻、そして息子のカインとアデルの臣であるトラヴィスだけだが、さらにロスキア商会の商人らにも教師を頼んである。皆も知っての通り、我が領は余所に比べて人の数が少ない。ゆえに、戦いに於いても勉学に於いても、一人で十人分は働けるようでなくてはならぬ」
こうして領内の教育事業は、ゆっくりとではあるが確実に進んで行った。
ーーー
「どう? 奴隷たちの中に使えそうな者はいた?」
最近は父に付き従い、本格的な後継者としての教育を受けているアデルが、奴隷たちの教師を務めるカインに聞いた。
「うん、面白いのが二人いる。一人は女だが、行商人の娘だったらしく何と算盤を弾くことが出来るらしい」
そりゃ凄いなと、アデルは驚いた。が、よくよく考えてみれば納得のいく話であった。
おそらくは家族単位の小規模な行商人だったのだろう。だからこそ、その少女も労働力として役立てるために算術や算盤を教えたに違いない。
「名前はチェルシー。行商の途中で賊に襲われて家族は皆殺されてしまい、生き残った自分は奴隷として売られたんだそうだ……酷ぇ話だ……」
全くだとアデルは頷いた。だが、この世界では珍しくも何ともない話ではある。
それぐらい、今の世のは乱れに乱れていたのだ。
「もう一人は騎士の子で、名前はブルーノ。大黒柱であった父親が戦死して母一人子一人となって、母親が必死に働いて何とか生活していたが、肺を患って亡くなりその時の薬の代金を払えずに、奴隷に身をやつしたそうだ。叔父上が見るには、基礎的な事は教わっているらしく、さらに筋が良いとのことだ」
「そっちも使えそうだな……よし、そのチェルシーとかいうのは母上の手伝い、及びトーヤの仕事も手伝わそう。トーヤの奴、愚痴ってたからな……誰も手伝ってくれない、このまま硬い椅子に座り続けていたら、子供でありながら痔になっちまうってさ」
「ははは、偶には俺が代わってやるさ。ブルーノの方は、叔父上に任せようと思うんだがいいか?」
「うん、それでいい。最終的に今居る奴隷たちの中から、五十人程度は俺たちの親衛隊としたい。その指揮官候補だな」
小さい事からコツコツと。今自分たちに出来る事は、何でも積極的に行う。
建設中の壁も、基礎と空堀は完成したとの報告を受けていた。
そんなある日、突然王都より使者がこのネヴィル領へとやって来た。
ーーー
先触れが到着し、ダレンとアデルは急ぎその使者の出迎えに出た。
王都より遣わされた使者は、建設中の壁を見て訝しげな表情を浮かべた。
「先年、我が領内に賊の侵入を許しましてな……被害は軽微なれど、領民たちが怯えに怯えまして、ここに関所を建てることにしたのです」
咄嗟にダレンが出まかせを言って誤魔化す。それを聞いた使者は、こんな田舎に賊がな、と鼻で笑った。
ダレンもアデルも、ここが田舎なのは十分承知しているが、鼻で笑われるとなれば、カチンと来ずにはいられない。
中央から来たってだけで威張り腐りやがって、感じの悪い奴だなぁと、アデルは表面上は笑みを浮かべながら、心中で悪態をついた。
館に到着すると、使者の顔は増々軽侮の色が強く表れる。これが貴族の屋敷なのかと、口に出さずともその表情が物語っていた。
狭く、お恥ずかしい限りではありますが、とダレンは使者を応接室に通す。
使者は、全くだと言わんばかりにずかずかと応接室に入り、当主であるダレンが促す前にソファへと腰を下ろした。
この使者は別に貴族でも何でもないただの小役人であり、まがりなりにも準男爵であるダレンに対して、無礼千万極まりない行為である。
だが、この小役人は王家が遣わしたものである。その王家の威光を笠に着ての行為であることは、疑いないであろう。
ネヴィル家に仕える給仕が、お茶を運んで来る。運んできたのが皺枯れた老婆だったのを見て、小役人は首を振った。この家は、所詮は田舎者であると。
普通ならば、使者である自分の歓心を買うために、うら若き乙女を給仕とするであろう。
これでは夜の接待も期待できぬ、内容だけ伝えて一刻も早く去るべしと、小役人は思ったのであった。
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今日は肉の日、ハンバーグ食べようぜ!




