初めての家臣
古参の従者たちからの突き上げを喰らった晩、三兄弟は二階にある子供部屋の窓を開け、並んで窓枠に頬杖をついていた。
夜空を見上げればそこには満天の星空。キラリキラリと瞬く星々の海を見ると、不思議と心が落ち着いて来る。
「従者たちは今回の奴隷を領民として、戦力化するこの政策に不満のようだな……」
「仕方が無いさ……彼らは云わば準貴族的な地位。その地位を脅かされると思ったのだろう。まぁ、実際に脅かされるだろう。何故なら俺が当主となった暁には、ある程度は実力主義で、家臣たちを引き立てて行くことになるだろうからな」
「それもあるが、彼らは所詮はお爺様や父上の家臣だ。お爺様や父上には忠誠を誓っているが、その子である俺たちは、ネヴィル家の子供であるから表向きは服従しているに過ぎんからな。それに俺たちの年齢的にも、仕方が無い面がある。いくら神童だの何だと囃し立てられていようとも、俺たちはまだ七つのガキだからな……軽んじられるのは、当たり前と言っちゃ当たり前だからな」
「だがこのままだと、下手をすると家中が割れるぞ。どうする?」
「当面はお爺様や父上に彼らを抑えて貰うしかない。その間に彼らの子や孫を教育し、俺たちの色に染めるしかないだろうな」
カインとトーヤがアデルの顔を見ると、次期当主であるアデルは疲れ切った表情で大きな溜息を吐いた。
「次に来るのは顔役や村長たち……彼らも従者たちと同じように、奴隷に教育を施し知恵を授けるのを良しとは思わないだろうからな……」
「……次もお爺様か父上に同席して頂いて、何とかやり過ごすしかないだろう。今行っている政策が効果を表すのは大分先の話になるが、それまで彼らは待ってくれるだろうか?」
「正直に言って、難しいと思う。何故なら彼らは、今まで過酷な環境でその日その日を生きて来た人々。明日を夢見ても、明後日、その先は夢見て来なかった者たちだ。そういった彼らに、いきなり十年、二十年後を想像しろと言っても無理だろう」
今度はアデルだけでなく、他の二人も疲れたような気の無い溜息を吐く。
「世の中は風雲急を告げる気配あり。なれど、我が家は力弱く風に乗り羽ばたくことならず……か」
「……まだそうと決まったわけじゃない。何の因果か知らないが、せっかくこの世に生まれて来た。それも、前世の記憶を鮮明に持ってだ……ならば、やれる限り、足掻ける限りは足掻いて見せる。そうだろ?」
三人は顔を見合わせて力強く頷く。これから世の情勢は、さらに悪化を辿ることだろう。
その過酷な環境で諦めるということは、それは即ち死を意味する。それも一個人では無く、家族や領民たちを含めての死である。
故に、諦めることなど最初から許されてはいないのだ。
「明日もやることは沢山あるし、もう寝よう」
三人は満天の星空に別れを告げ窓を閉めると、肉体よりも精神を休めるべく静かに床に就いたのであった。
ーーー
翌日の朝、アデルは意外な人物から途方もないお願いをされることになった。
次期当主であるアデルに面会を申し込んで来たのは、家庭教師を務めているトラヴィスであった。
「おはようございます、先生。今日は授業は無いはずですが……」
アデルの目の前に居るのは、いつもの優しげな目をしている気弱そうな青年では無かった。
眦を吊り上げ何か決心したような、強い意志を秘めた両の眼が、アデルの瞳を直視する。
「今日はアデル君……アデル様にお願いがあって参りました」
何だろうと、アデルは小首を傾げ考えてみるが、それといって思い当たる節はない。
もしあるとするならば、先日お願いした奴隷や従者の子や領民たちに、教育を施すのを手伝ってほしいと言ったことだろうか?
聡明なトラヴィス先生なら、わかってくれると思ったのにとアデルは内心で落胆した。
やはり下級とはいえ、貴族家出身であるトラヴィスにも選民意識が根付いていたのか? だけど先生は自分で仰られていたけど、成人と共に家を僅かな手切れ金と共に追い出され、上に兄が多数居るので次期当主である長兄の予備としての役も無く、もう今頃は家系図からも除外されているだろうと言っていた。
話を聞いた限りではウチ以外にツテも無く、辞めても行く当てなど無いだろうから、退転願いとかでは無いだろうとアデルは考えていた。
「もしかして、当家の待遇に不満が? だとすれば、それは大変申し訳ありませんでした。出来る限りご要望にお応え致しますので……」
「いえ、違います。今日はお願いの儀があって参りました」
それを聞いたアデルは、何だろうとまだ眠たい眼を擦りながら、伺いましょうと話を促す。
すると、席に着いていたトラヴィスは急に立ち上がると、テーブルを挟んで対面に座るアデルの脇に移動し、その場に片膝を着いて跪いた。
「このトラヴィス、不肖不才の身ではありますが、アデル様の臣に加えて頂きたくお願い申し上げます」
「はい? 先生、今何と仰いました?」
両耳は一字一句聞き逃してはいなかったが、それでもその言葉を受け入れ理解することが出来ずに聞き返す。
「私を家臣の端にお加えいただきとうお願い申し上げます」
「先生、ちょっと待って! どうして急に? 理由を、理由をお聞かせください」
それは……と、澱みの無い口調でトラヴィスは語り始めた。
「アデル様、カイン様、トーヤ様の智は正に神より賜りしもの。私は見届けたくなったのです。御三方が、この先何を成し遂げるのかを……命じられれば何でも致す覚悟でありますゆえ、どうか、どうか……」
「先生は、このネヴィル家に仕えるのではなく、私の私臣になりたいというのですね。その申しでは大変嬉しく思いますが、ですが……」
「お許し願えないのでしょうか? やはり、私ごときではお役には立てないと?」
アデルはブンブンと慌てて首を振った。
「そうではありません! 先生が力を貸して下さるのならば、これほど心強いことはありません。ですが現実的な問題といたしまして、私には先生に満足な俸給を与えることが出来ないのです」
アデルは嫡子であるが、まだ七つの子供。父であり当主のダレンが健在である以上は、何ら実権を持っているわけでも無く、一寸の領地すら持ってはいないのである。
つまりは普通の子供と同じく親から小遣いを貰う身であり、その小遣いではとてもではないが、家臣を養うことは出来ない。
「それは承知しております。食い扶持は自分で稼ぐ所存でありますゆえ、お気遣いなく。ただ、私を臣として受け入れてくだされば、それで宜しゅう御座います」
そうは言ってもなぁ、とアデルが頭を抱えていると、トラヴィスはニッコリと微笑んだ。
「実は先日、ジェラルド様とダレン様にお話をし、御二方の御許可を頂いておるのです。後はアデル様のお許しを待つのみで御座います」
あっ、と声を上げつつ、アデルは自分の考えの浅はかさを恥じて、頬を真っ赤に染め上げる。
聡明なトラヴィスが、何の手も打たずにいきなりこのような行動を取るはずが無いのだ。
それを直ぐに見抜けなかったとは、神童だの何だのと祭り上げられていて、少し天狗になっていたのではないだろうかと、アデルは心より自分自身に反省を促した。
アデルは席を立つと、未だ跪いているトラヴィスの手を、子供の小さな両手で包み込むようにして取った。
「わかりました、先生……私に力を貸してください。先生のご期待を裏切らぬよう、鋭意努力いたしますので……」
二人は早速当主であるダレンの元へ行く。そしてアデルがトラヴィスを私臣とすることを告げた。
ダレンは頷いてそれを許可し、トラヴィスの俸給はアデルの出世払い、今は家に対する借金という形をとることとなった。
そして奴隷たちが開墾した土地は、そのままアデルの蔵入りとして良いとの許可も与えた。
初めての家臣……そしてまだ開墾してはいないが、初めての領地を得たアデルの心は今、希望の光に満ち溢れていた。




