隻腕ゲンツ
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アデル負傷の報は瞬く間に同盟各国に伝えられた。
何処から漏れたのか、それはすぐに各国の民衆の知るところとなる。
それを最初に聞いた時、アデルの婚約者であるノルト王国の王妹ヒルデガルドは、顔色を真っ青にして倒れそうになるところを、数人の侍女に受け止められた。
「いや~それがですな~流石は黒狼王というべきでしょうなぁ、何と、傷の治療中も笑いながら部下と将棋を指していたというのですから、これはもう驚くほかありませぬな!」
ヒルダは報告者の話を最後まで聞いてはいなかった。
ただその話を聞いて、はらはらと涙を流し続ける。
慌てて侍女の一人がハンカチで涙を拭うも、次から次へと大粒の涙は白い頬を伝わり続けた。
周囲の者は婚約者であるアデルの怪我をしたことに驚き、悲しんでの涙であると思っていた。
勿論それもあるが、人々が剛毅と持て囃すこの話を、どんな時でも気丈に振舞い続けることで、他者を心配させないとするアデルの優しさと我慢であるとして受け止めたのであった。
アデルと共に過ごしたことのあるヒルダは知っていた。アデルの優しさを。
その身を未だ動かせぬという大怪我なのに、そのような時でさえ他人を思いやり、心配させまいとするその優しさに、ヒルダは涙したのである。
もっとも、これは完全なる作り話で、実際の所はアデルは縫合手術の間、目を開けたまま失神していただけなのだが、この作り話が恰も真実のように広まってしまい、今更嘘だ、作り話だとアデルも後から言い出し辛かったのか、この話が出るたびに引き攣った苦笑いを浮かべたという。
すぐに見舞いをと、ヒルダは個人的に使者を立てて、数々の見舞いの品に手紙を添えて送り出した。
この手紙には怪我の快癒を祈る言葉と、もっと自分の身を大事にと、ほんの少しだけ叱るような言葉が添えられており、受け取ったアデルは遠く離れた婚約者を悲しませたことを恥じて詫びの手紙を送ったという。
アデルの同盟者でノルト王国の国王シルヴァルドは、この度のアデルの負傷について表面上は兎も角として、内心では激怒していた。
アデルは、いや、あの三兄弟は常々として自分の命を軽視しがちである、と。
アデルは事あれば自分の身に何かあれば、弟が王位を継ぐと言って無茶をするのが、シルヴァルドにはどうにも我慢ができないのである。
「アデルは総じて賢いが、時折愚者になる。まぁ、本人の年齢や在位期間からいって無理からぬことだが、王位というのはそう軽いものではないのだ。自身の身に何かあれば弟が継げばよいと言うが、もし万が一弟が継いだとしても、アデル個人に忠誠を誓うものが、弟にも従うとは限らぬではないか。特にネヴィル王国は国を興してからそう時が経っていない。体制やしきたり作りもこれからであれば、その脆弱さに気づき、野心をあらわにする者が現れたとしても、何もおかしくはないのだ。それにだ。余は来年には義兄になるというのに、もっと頼ってくれてもよいではないか!」
気づけばシルヴァルドは筆を取っていた。
すでに見舞いの使者は発しており、親書も持たせてはいるのだが、それとは別に一言アデルに忠告せねばなるまいとして、筆を取ったのである。
シルヴァルドが書いたその手紙を受け取り読んだアデルは、思わず首を竦めたという。
手紙には、普段風のない湖のような静かさがあるシルヴァルドらしからぬ、厳しい言葉が書き綴ってあり、シルヴァルドの静かなる怒りが十分に感じられる内容であった。
「う~む、ぐうの音も出ぬわ。まったくを以て、兄上の仰られる通りである」
アデルは形式通りの返礼の親書の他に、個人的にシルヴァルドへの詫びの手紙を送った。
ーーー
薄暗い天幕の中、ぎしりと軋みの音を立てながら、ゲンツは身を起こした。
「…………すまねぇな…………」
傷がまだ痛むのか、口をへの字に曲げたままゲンツは、隣にいるリディアの方を向かずに謝った。
先ほど見舞いに来たブルーノから、リディアがほとんど寝ずに看病を続けていたことをゲンツは聞いた。
「いえ、とんでもございません。私は副団長に命を救われたのですから、当然のことです」
安心して疲れが出たのか、リディアの口から安堵のため息が漏れる。
横を向いてリディアのほつれて乱れた髪を見たゲンツは、何か言葉を掛けようと口を開きかけたが、うまく言葉に出来なかったため、そのまま再び貝のように黙りこくった。
そのまま視線を失った左手へと移し、短い舌打ちをする。
「ブルーノの野郎……俺を騎士団の会計官にだと? ふざけやがって! あの野郎! 俺は、俺は…………まだ戦えるってんだ!」
ゲンツの目は再び失った左手に注がれる。
自分ではどうにもできない苛立ち。それはすぐに怒りへと変わった。
「腕なんぞ一本無いくらいで何だってんだよぉ! 片手でも俺は戦って見せるぜ? 両腕失っても、アデルの……陛下の盾にはなれるってんだ! それなのに、それなのによぅ!」
ゲンツの行き場のない怒りは、傷口に包帯が巻かれた左腕へと向けられた。
突如ゲンツは、その左腕をベッドの柵に激しく打付け出した。
「ふ、副団長! お、おやめください、傷が、傷口が開いてしまいます! 副団長!」
慌ててリディアがゲンツの左腕に飛びつくも、ゲンツは物ともせずに左腕を振り回す。
弾き飛ばされたリディアは、すぐに立ち上がって制止の声を上げるも、ゲンツは聞かずに暴れ続けた。
「ゲンツ!」
リディアは半ば飛び掛かるようにして、ゲンツの体に覆いかぶさると、そのまま激しくゲンツの頬に平手打ちをした。
虚を突いたように無防備なゲンツの頬に叩き込まれた平手打ち。
ゲンツは驚いたように目を見開いたかと思うと、すぐにその両目から銀貨のような大粒の涙を流した。
リディアはそんなゲンツの頭を抱えて、胸に押し抱く。
「俺は、俺はアデルに救われたんだ……ちんけな盗みを働いた俺を、あいつは笑って許してくれた、けどよ、けどよ、領民である俺を餓えさせたとして、あいつは自分を恥じて責めたはずだ。なのに、なのに俺は、俺は、このまま何の役にも立てないまま、恩を返せないまま、アデルの恥をそそぐことが出来ないまま終わっちまうなんて…………糞、畜生めが!」
リディアは何もしゃべらず、黙ってゲンツの言葉を聞いた。
ゲンツが左手を失ったのは自分のせいであると、リディアの頬にも涙が伝う。
だがそれについて謝れば、ゲンツはさらに深く傷つくことを知っていた。
「会計官が嫌だってんじゃねぇんだ。ブルーノの気持ちはありがてぇ。でもよ、それじゃダメなんだ…………あいつは、あいつはいつも危ないところに真っ先に突っ込んで行きやがるんだ! だからよ、だからよぉ、俺が体張って守らねぇと! それなのに……それなのに、もう一緒に行くことができねぇなんてさぁ、あんまりじゃねぇか…………俺を、俺を置いていかないでくれよ…………」」
子供のように泣きじゃくるゲンツを、黙って抱きしめることしか出来ないリディアもまた静かに涙を流し続けるのであった。
遅れた分、出来る限り更新頻度上げたいなぁ…………




