途惑う者たち
奴隷たちは着いた初日ということで、その日は仕事を与えられず、自分たちの夕食の用意と明日の朝食の仕込みだけをさせられた。
そして夕食を摂った後で連れて来られたのは、規則正しく並ぶように建てられた大きな灰色の建物……コンクリート製の長屋のような建物であった。
これは勿論奴隷を住まわせるために建てられたものであるが、コンクリートを用いての建築のノウハウの蓄積を目的としたもので、今建設中の領土を守るための城壁にそのノウハウが活かされている。
残念ながら全ての建物をコンクリートで建てるまでの時間的余裕と労働力の確保は出来ず、半分以上は従来通り木造建築ではある。
これらの建物を建てるための労働力の確保に、ネヴィル家は大変な苦心をした。
従者たちは当然の如く総動員、それでも労働力は全然足りない。高額の賃金を支払い人を募るが、丁度春の種まきの季節と重なったため、その集まりはすこぶる悪いものとなってしまった。
だが、そんなことで諦める三兄弟では無い。もう賽は投げられたのだと、効率的に人を配して動かすために、自ら陣頭指揮をしてまでこれらの建物を、無理に無理を重ねつつ建てたのであった。
「いつ見ても壮観だな。長屋横丁とでも呼びたくなる光景だ」
「同感、一部屋四人で百部屋……まぁ、壁じゃなくて衝立で仕切っているだけだけどね。中は狭いが我慢して貰うしかないな」
「さぁ、陽が完全に落ちる前に、彼らにハンモックの使い方を教えないと」
そうだったと、三人は大急ぎで奴隷たちを部屋に詰め込んでいく。
そして彼らに毛布を一枚渡し、ハンモックの使い方を説明していく。
ハンモックは慣れるまで決して寝心地の良いものではないが、限られた空間を有意義に使うためには、我慢をしてもらうしかないだろう。
「使い方は覚えたな? あと夜間は外出禁止だ。糞小便がしたい時は、家の裏手に糞小便用の瓶があるからそこでするように。溜まったら部屋の者が責任を以って肥に持って行くように」
ハンモックの使い方を覚えた者たちを、各部屋へと行かせる。
大した混乱も無く、どうにか陽が落ち切る前に全員に伝えることが出来た。
「では明日の朝、この長屋を抜けた先に広場があるので、そこに集まるように」
そう言うとアデルたちは自宅へと帰って行った。
鍵はおろか、外からの閂すら掛けられていない扉を見て、奴隷たちは困惑を隠せずにいる。
奴隷たちはここに連れて来られる前に、前の所有者からこのネヴィル領は陸の孤島だと教えられていた。
つまりこれは逃げても無駄だということだろうと、納得するしかなかった。
奴隷たちは劇的な環境の変化に興奮して、中々眠りに就くことが出来ない。
各部屋の中では、ひそひそと話し合う声がしている。
「なぁ、いったいどうなっているんだ? 食事は上等だし、その上服まで……ここの領主は大金持ちなのかな?」
「俺たちに命令したのは子供だったな。あいつが、あんなチビ助が俺たちのご主人様か?」
「おい、口の利き方に気を付けろ! もし聞かれたりしたら鞭打ちされるぞ!」
罪に連座したら堪ったものではないと、年長の者が過ぎた口を窘める。
「大人たちが傅いていたから、そうなんだろうよ。大方、貴族の坊ちゃんの道楽ってとこじゃないか?」
「へへ、それにしても俺……生まれて初めて靴ってもんを履いたよ……」
俺も、俺もだとの声が木霊する。
「新しい服なんて、俺……俺……」
服の袖を握り締め、嗚咽を漏らす者もいる。
「おかしいと思わないか?」
「何がだよ?」
「俺たちみたいな子供に、こんなにも良くするなんて何かあるに違いないぜ」
「まさか俺たちを食べる気じゃ?」
それを聞いた年少の子供たちが、身をぶるりと震わせる。
「馬鹿! そんなわけあるかよ! 俺たちに出された食事を思い出して見ろ、食い物には全然困ってなかっただろうが」
それもそうだなと、あちこちから安堵の溜息が洩れる。
「食事が豪華ってことは、仕事がキツイってことじゃないか?」
考えられる事だと、溜息や舌打ちが鳴る。
「そういや、教育を受けて貰うとか言ってたけど、教育って何だ?」
この言葉をもし三兄弟が聞いていたら、そこからかよと、ずっこけたかも知れない。
「教育っていうのはな、あれだ、あれ……字を読んだり書いたりするんだよ」
この世界で教育らしい教育を受けるのは、王国貴族かそれに準ずる者たちだけ。
平民はおろか、間違っても奴隷などに施されることは無い。
「そんなことしてどうするんだ? 俺たちの仕事に関係あるのか?」
「さぁな? もう寝ようぜ。もしかしたら、明日からは物凄く厳しい仕事が与えられるかも知れないんだ。今の内に体を休めとかないとな……」
「そうしたいんだけどよぅ……この……はん……はんもっく? だっけ? グラグラと揺れて、寝れないんだよな。寝てるうちに、下に落ちちまいそうだしさ」
「それでも寝ろ。死にたくなけりゃあな」
そう言われるとぐうの音も出ない。誰だって死にたくは無いのだ。奴隷たちは目を瞑り必死に眠ろうとするが、揺れるハンモックは奴隷たちを簡単には眠らせてはくれなかった。
ーーー
一方、家に帰ったアデルたちは、従者たちからの突き上げを喰らっていた。
「次代様、奴隷に教育を施すなど正気の沙汰では御座いませぬぞ!」
次代様とは、嫡男であり長男であるアデルのことである。カインは今まで通り二の若様、トーヤは三の若様と呼ばれている。
「然り、奴隷に要らぬ知恵を与えては、反乱の元にもなりましょう」
アデルは口角に泡を溜めながら身を乗り出してくる従者たちを前にして、一歩も怯まない。
ふてぶてしい餓鬼だと思っているのだろうなと、苦笑しながら従者たちにもわかるように説明する。
「彼らに施すのは、将来職業的に役立つ知識と兵として使い物になるだけの知識しか与えない。それに比べてお前たちの子供には、彼らを率いる将となって貰わねばならない。そのために、お前たちの子共には貴族に匹敵する教育を施すつもりである」
これはあくまでも建前である。奴隷でも使える者はどんどん取り立てるし、従者の子でも駄目な奴には実権は与えない。
「先ずはお前たちの子共も、奴隷と同じ教育を受けて貰う。それを経てから、将としての教育を受けて貰う」
我が子を奴隷と同じ扱いをするなど、と従者たちはいきりたつ。アデルの後ろには、先程から先々代であるジェラルドが立っているが、ジェラルドは口をへの字に結んだまま、一言も言葉を発してはいない。
「お前たちの子が優秀ならば、奴隷たちと同じ教育内容などあっという間に習得するのではないか? そうだろう?」
この時のアデルはカイン曰く、物凄く意地の悪い目つきであったという。
「無論に御座る! 我らの子らならば、どのような厳しい教育を受けても、あっという間に習得するに間違い御座らん!」
親馬鹿かな? とアデルたちは思ったが、それはどうも違うようである。
従者たちの多くは、祖父や父と共に戦場を駆け巡った武辺者たちである。彼らは、辛うじて怪しいながらも読み書きが出来る程度でしかない。
数も数えられるが、簡単な加算減算が精々である。それゆえに、アデルが言う教育と言うのもその程度のものだろうと高を括っていたのである。
だが、アデルの目指すそれはその程度のものではない。この世界に生まれ前世の記憶を持ち、その前世の記憶から教育というものの大切さを、誰よりも身に沁みてわかっているのだ。
「ならば、良い。この件は父上から自分が全権を与えられている。お前たちは、数年後の我が子の成長を楽しみにしているがいい」
「……悠長な事で……」
彼等三兄弟が神童であることは、従者たちも十分に承知している。だが、それでもたかが七つの子供なのだ。
腹の底からは承服しかねるが、当主であるダレンの名を出されてはこれ以上反抗する事も出来ない。
「全く、お館様の親馬鹿ぶりにも困ったものじゃて……」
従者たちは捨て台詞を吐きながら、渋々引き下がった。
退出していく従者たちの後ろ姿を見てアデルたちは思う。やはり彼等には十年、二十年後という先が見えていない。そういった長期的な視野を持つ者たちを育てたいのだと……




