獅子対三頭狼
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霧の中での乱戦は史上稀なる混戦となった。
先陣を切って突撃したアデルもまた、霧に視界を閉ざされつつ手探りで敵と斬り結ぶ有様で、その最中で近衛である黒狼騎たちとも離れ離れになってしまう。
主君の姿を見失った黒狼騎たちは大いに慌てふためき、団長のブルーノ、副団長のゲンツは部下たちを散開させ、アデルを探させた。
彼らもまた単騎で霧をかき分け、敵を薙ぎ払いつつ主君の行方を追う。
後方に控える神聖ゴルド王国軍の本陣では、前線からのすさまじい喧噪が聞こえてくるも、視界は霧に閉ざされ現状を把握出来ずにいた。
国王ザームはすぐさま偵騎を出したが、待てども待てども彼らが戻ってくることはなかった。
焦れたザームはさらに偵騎を出したが、霧によって迷ったか、それとも敵と遭遇したのか、戻ってきた者は一人もいなかった。
アデルは目前に現れる敵を槍を振り回し、ただひたすらに蹴散らし続けた。
ふと気が付くと、自身の周りには誰もいない。この霧でははぐれても仕方なきことと、アデルは黒狼騎たちを責める気にはならなかった。
アルタイユ軍の帥であるアレクもまた、霧中にて奮戦していた。
護衛である十六勇士たちを散開させた今、アレクの直近には誰もいない。
だが、個人的武勇にも多少の自信を持つアレクは、心細さを微塵も感じていない。
少しずつ霧が晴れていく中、通常の戦では起こりえないこの特異な戦場であればこそ起こりえた、大将同士の遭遇。
アデル、アレク共に、一目見て目の前にいる若者が、只者ではないと知る。
先に口を開いたのはアレクであった。彼は、流暢にカルディナ半島の標準語であるゴルド語で、アデルに問うた。
「某はアルタイユ王国第二王子アレク・アルタイ。貴公の名を問わん!」
ゆるりと優雅な動作で槍先を向けたアレクに対し、アデルは胸を張り名乗る。
「余はネヴィル王国第三代国王であるアデル・ネヴィルである! 余も問おう! 何故に海の向こうのアルタイユが、このカルディナの争乱に手出しするのか! 下卑た野心を剥き出しにして醜態を晒す前に、この半島より今すぐに去ぬがよい!」
アデルの言葉を受けたアレクは、幽かに笑った。
「去りたいのは山々であるが、主命ゆえ去ることは出来ぬ。許されよ。さぁ、いざ勝負!」
槍を扱き、構えなおすアレク。アデルもまた、槍を構えて応戦の意を示した。
二人の周囲には誰もいない。ただ戦場のけたたましい喧噪の声と打ち合う剣戟の音が鳴り響くのみ。
それも霧の壁の中からであり、ふたりにはどこか遠く感じられていた。
アレクは獅子王子の異名を持つほど卓越した武勇を持つが、一方のアデルはというと父親譲りの才能はあれど、まだ十五歳の少年である。
やる前から勝負は目に見えているといってもよい。だが、それでもアデルは背を見せて逃げるという選択肢を取らなかった。
アレクを一目見た瞬間に、大型の肉食獣と対面した時のように、目をそらしたり背を見せれば一瞬で殺される気配を察したのだ。
「それに死ぬにしても死に方ってのがあるよな…………」
アデルたちが国家の統制の一つとして掲げている、ネヴィル王国は誇り高き戦士の国であるという、武士道や騎士道にも似た戦士道ともいうべき風潮。
これを広めているアデル自身が、無様に敵に背を見せて逃げた挙句、背中に卑怯傷を負って死んだとなれば、残されたカインやトーヤが国家を統制するのに難を生じる。
故に、アデルは勝てぬ相手だと判っていても逃げることは出来ない。
「それに率先して突撃した時点で、死んで元々だと思っていたんだ。ならば!」
寡兵であり、見たこともない象に度肝を抜かれた味方の士気を奮い起こすため自ら率先した突撃。
かの織田信長も天王寺砦の戦いで、寡兵ながらも自ら突撃して味方の窮地を救い、勝利している。
覚悟は定まったアデルであったが、むざむざと殺される気はさらさら無い。
最初から攻撃よりも防御に徹し、少しでも持ちこたえて善戦したと見せなければ、自身が死した後の復讐戦での将兵の士気も変わってくると考えたのだ。
こうしてアレクが攻め、アデルがひたすらに防御するという形で、史上稀なる大将同士の一騎打ちが開始された。
ーーー
「……………………アデル?」
カインは自身が持つ赤備えの騎士団、赤狼騎と共に槍を振って、雑兵たちを蹴散らしていた手を、ふと止めた。
そして霧に閉ざされた一点を見つめ、何を察したのか部下たちには一言も告げず、馬腹を蹴り上げて駆け出す。
その頃トーヤもまた、今まで感じたこともない妙な胸騒ぎを覚えていた。
そしてそれは、本能的に向かうべき方向へと視線を動かさせた。
この奇妙な感覚に従うべきか否か、一瞬迷ったがトーヤは周囲にいる麾下の白狼騎に続くように声を掛け、胸騒ぎの元凶へ向けて霧の中へ馬を乗り入れた。
ーーー
「くっ、強い! まるで叔父上と戦っているようだ!」
最初から防戦一方のアデルの体には、無数の薄傷を負っていた。
それでもなお、命を保っていられたのは日々の訓練の賜物というべきだろう。
特にネヴィル国内随一の武勇を誇る、叔父のギルバートとの実践的な訓練がこの場で活きた。
これがもし、生半可な訓練しか行っていなかったのならば、アデルの命はとうに果てていたに違いない。
「も、もたない………あっ! っう!」
激しい戦いに耐え切れず、守りで酷使していたアデルの槍の柄が音を立てて折れた。
その隙を突いてアレクは突きを繰り出すも、アデルは瞬時の判断で折れた槍をアレク目掛けて放ったため、その必殺の突きは狙いを大きく外した。
だが、槍はアデルの右太ももを大きく切り裂き、顔は苦痛に染まる。
それでもなお、隙を見て仕切り直しに距離を置いたアデルは、腰間の剣を抜いて構えた。
右足の感覚がすでに無いアデルは、アレクの激しい突きを鞍上で堪えることができない。
それに剣と槍ではリーチに差がありすぎて、勝負にもならない。ましてや不安定な馬上であればなおさらである。
それでも闘志を漲らせて戦おうとするアデルに対し、アレクは素直に敬意を感じた。
「これが王者というものか。アデル王、天晴れである! 某は偉大なる異国の王のことを、生涯忘れぬであろう。では、御命頂戴つかまつる!」
アレクが槍を構えなおす。いよいよ最後の時かと、アデルは剣を構えた。
そのときである。霧の壁を割るように、真っ赤な火の玉のような塊が両者の間に割って入って来た。
「アデルーーーーーー!」
カインは叫びつつ、アデルの姿を見てほっとするかと思いきや、体に負った無数の傷と、決して浅くない右足の傷を見て激高する。
「この野郎! よくもアデルを! ここからは俺が相手だ、俺の名はカイン、赤狼公カイン・ネヴィルだ! 覚悟しやがれ!」
カインは槍を扱き、アレクに相対すると馬に蹴りを入れて駆け出した。
「よせ、カイン! そいつは叔父上並みに強いぞ! やめろ! って、畜生!」
カインは止まらない。カインの援護するため、アデルは慌てて馬を駆けさせた。
「同じ顔がふたつ…………貴公ら、兄弟か!」
兄の危機に駆け付けた弟、その姿にアレクは軽い嫉妬を覚えた。
血が繋がってないとはいえ、アレクにも兄がいる。あの兄ならばこの場合どうしただろうか?
弟と共に戦うだろうか? いや、あの兄ならば我先に逃げ出すだろう、とアレクは想像の中で失望する。
二対一の決闘となった。とはいっても、アデルの手に槍は無く、剣による牽制が精いっぱいなため、見方によってはカイン対アレクと言ってもよい。
自身のパーソナルカラーである赤い炎のごとく、激しく攻めるカイン。
そのすべてを軽々と受け流すアレクの武勇は、アデルの言う通り尋常ならざるものがあった。
その勢いに押し切られるかたちで、軽く退いたアレク。
距離が開いたが、カインは全身にびっしょりと汗をかき、息も絶え絶えでこれ以上攻め続けることが出来なかった。
「はぁ、はぁ、アデル…………すまん、勝てん! 万が一にもだ。ここで二人死ぬのは馬鹿々々しい。お前だけでも逃げろ! 俺が時間を稼ぐ」
「お前を置いて逃げられるわけないだろう。それにだ。相手がみすみす俺たちを逃がすと思うか? あれはまだ本気じゃないぞ…………お前もそれは薄々感づいているだろう?」
アデルの言う通り、アレクはこの戦に……否、神聖ゴルド王国軍の援軍として参加した全ての戦において、乗り気ではなかった。しかしながら援軍の将として手を抜かず、採用されないとわかっていても献策をし続けた。
だが、こと戦場において、気持ちの置き方や、心住まいというものは大きな要素を占める。
本来ならば、アデルを討ち取ることは容易いであろうアレクの槍先は、鈍りに鈍っていたのは否めない。
荒い呼吸を整えつつ、アデルとカインの二頭の狼は、覚悟を決めた。
「カイン、お前は右から! おれは左から攻める!」
「おうよ! いくぞーー!」
二人は並んで同時に馬を走らせる。
ふと、アデルの馬足が遅れたかと思うと、アデルとカインは馬をうまく操り、左右入れ替わった。
だが、そのような小手先の、子供だましの苦肉の策が通じるような相手ではなかった。
アレクは冷静に二人を見定め、アデルに狙いを絞ったのだ。
慌ててカインはアデルをかばう。二対一でも防戦一方。
二人のどちらかが力尽きて討たれるのも、最早時間の問題である。
二人のどちらかの肩に死神が手を掛けようとしたその瞬間、霧の中から霧そのものを纏ったかのような白い騎士が、アレクに向かってきた。
よくよくその姿を見れば、所々に返り血を浴びて赤白のまだら模様。
戦場を無理に突っ切ってきたのだろう。その顔からは滝のような汗が流れ落ちている。
「アデル、カイン! くそ、嫌な予感がしたんだよ……やい、そこのお前! ここからは俺が相手だ、白狼公トーヤ、推参也!」
アデルとカインは息も絶え絶えで、声も出せない。だが、トーヤ一人で敵う相手ではないため、二人は死力を奮い起こして援護に向かう。
トーヤもまた、少し打ち合っただけでアレクとの力の差に気づき、顔を顰めた。
「トーヤ、そいつは普通じゃないぞ! 三人で掛かろう!」
「正直、三人がかりでも厳しいくらいだ。だがこうなっては退けんぞ。王族の意地ってもんがある!」
三人がアレクを取り囲む。
アレクはまた同じ顔をした者が増えたことに驚く。
「貴公ら、もしや三つ子か? 四つ子や五つ子ではあるまいな?」
「俺たちは三つ子だ。これ以上は増えぬから安心して地獄に落ちろ!」
「それを聞いて安心したぞ、技量もそれぞれ左程に変わりなし、三人がかりなら俺を倒せるとでも思ったか? その甘さ、あの世にて後悔するがよい!」
三対一の激闘である。
アデルは終始牽制に努め、カインとトーヤが交互に、あるいは同時に掛かる。
それでもアレクに手傷一つ負わせることができない。二人の攻撃を捌くアレクには、まだ余裕がある。
といっても三対一、アレクもまた攻め手に欠けており容易に勝負がつけられない。
陽が昇り、段々と周囲の霧が晴れていく中、獅子と狼たちの戦いは激しさを増して続くのであった。
お盆前でちょっと忙しくて更新遅れまてしまいました。
申し訳ありません。
皆さん台風は大丈夫でしょうか? 台風が過ぎ去ってもしばらくは、海や川に近づかないようにご注意を。




