殿軍
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代休、七月の下旬になった。
当初の予定では撤退するに際し、一千の兵は生かしてアデルの元へ届けたいと思っていたダグラスだが、思いのほかゴルド王国軍の攻勢が厳しく、負傷者の数も想定より多いため、とてもではないが千人生かすのは不可能と判断せざるを得なかった。
それでも何とか一兵でも多く逃がしたく思うが、敵に攻囲されている城からの撤退というのは、撤退の数あるシチュエーションの中でもとりわけ困難である。
だがこのままでは全員城を枕に討ち死に。それよりかは、五百でも三百でも、たとえ百であっても兵を逃がすべきだとダグラスは決断し、日の出の直前に門を開き城を棄てての脱出を決行した。
脱出するにあたって選んだのは攻囲が若干薄い南門。
そこは獅子王子アレク率いるアルタイユ軍が担当する門であった。
アルタイユ軍は統制が取れており、突撃してくるネヴィル王国軍に対して正面から立ち向かわずにやり過ごし、アレクの命令通り側面や後背からの攻撃に専念した。
ネヴィル王国軍の先頭に立ち道を文字通り切り開くのは、先日の戦いで武勇の程を敵味方に知らしめたマグダル。
ダグラス自身は最後尾を守りつつ、食いついてくる敵を果敢に撃退し続ける。
「アルタイユの奴儕めが、なかなかどうしてやりおるわい」
このいやらしい攻撃によりアルタイユ軍の損害は極々軽微でありながら、確実にネヴィル王国軍の兵を削り取っていく。
しかしこれならば何とか凌ぎ切れば逃げ延びられるだろうと、激しい戦闘の中でダグラスは考えていた。
だがそれもつかの間のことであった。
「何? 敵が城を棄てて逃げただと? 追撃だ! 直ちに追撃せよ! 一人も逃がすな、全員八つ裂きにせよ!」
アルタイユ軍からの報告に、ザームは直ちに全軍追撃の命を下した。
これに従わなかったのは、敵が棄てた城の占拠を優先したアルタイユ軍のみである。
アルタイユ軍の緩い追撃を振り切ったダグラスは、ホッとする間もなく後方から立ち上る砂煙を見つめた。
騎兵はともかく、徒卒は逃げきれないと判断したダグラスは、息子のマグダルに伝令を走らせた。
伝令は先頭を行くマグダルに追いつくと、涙交じりの声でダグラスの言葉を伝えた。
「…………そうか…………わかった。殿以外の者は歩を緩めず進むぞ!」
マグダルの目に涙は無かった。
すでに親子の別れは済ましている。今は託された兵を一人でも多く生還させることが己の使命である。
だが、それもでも懐に忍ばせた父の遺髪が重い。
その重さをも振り払うようにマグダルは馬上で槍を一閃。
振り払われた槍から飛ぶ血しぶきは全て敵のもの。
このマグダルの豪勇こそが、撤退するネヴィル王国軍の士気を保ち続けたといえよう。
一方、殿を受け持ったダグラスはというと、その顔には笑顔があった。
「閣下、御供致しまする!」
「御供!」
「某も!」
と、家中に名のある騎士や兵たちが集まって来たのだ。
その中には、かつての北伐で共に戦い、共に捕虜となった者もいる。
「やぁ、ダグラス殿! 死ぬにはまことよい日ですなぁ…………今度ばかりは、最後の最後まで…………」
「ほんにのぅ。これでやっと御屋形様の元へ参ることも出来ようの」
お互いの顔を見て呵々と共に大笑する。
それを見た周囲の者たちも釣られて笑う。
これから凄惨な戦いの後に死ぬとは思えぬ光景がそこにはあった。
殿の数はおよそ二百。はなから死を覚悟した二百の戦士たちの猛牙が、追撃してくるゴルド王国軍を襲った。
ゴルド王国軍としてはまさかの反撃である。
背を見せて逃げる敵を、悠々と討ち取ろうと考えていた彼らは、多数の者を討ち取られて這う這うの体で逃げ出した。
この報告に苛立ったザームは、この小癪な敵を殲滅するよう全軍に命じた。
それを聞いたアレクは、城内の占拠を名目に命令を無視。
「愚かなことだ。決戦を前に、たかが二百の敵に対して目くじらを立ておって……ましてや死兵に手を出すなど戦果よりも損害が増えることもわからぬとはな」
アレクの判断はまったくを以って正しいが、ザームにも面子というものがある。
欺かれ奇襲された恨みもあり、このまま放っておくことも出来なかった。
こうして二百対一万余の戦いが行われることとなる。
このように殿にゴルド王国軍が完全に食いついたことにより、逃げるネヴィル王国軍への追撃が疎かになった感は否めない。
ダグラスはだだっ広い平地の中で円陣を組ませ、襲い来る敵を迎え撃った。
殿の頑強な抵抗により、アレクの予想通りゴルド王国軍は、想像以上の出血を強いらされることになった。
五殺の誓いよろしく、ネヴィルの戦士たちは死の恐怖を忘れて笑顔を浮かべながら、時には逆に突撃を仕掛けたりと勇猛果敢に戦い続ける。
しかしながら多勢に無勢。一人、また一人と倒れていく。
ネヴィルの将兵のあまりの勇猛ぶりに肝を冷やしたゴルド王国軍は、遠巻きにして弓矢を以って討ち取ろうとした。
最後の時が迫っていると悟ったダグラスは、兜を脱ぎ捨てると怒鳴るように叫んだ。
「もはやこれまで! 走れるものは儂に続けぇ!」
すでに槍も馬も無い。全身も血まみれであるが、これも返り血なのか自身の血なのかもわからぬ有様である。後に続く者たちも皆同様で、この時点で生き残りは既に四十人あまり。
足を怪我した者も槍を杖にして後に続く。
先頭を走るダグラスは、白髪交じりの長髪を振り乱しながら、既に刃こぼれ激しく鋸のような剣を振るいながら走る。
その身に次々と矢が刺ささるも構わず、雄たけびを上げて前へ、前へと進む様にゴルドの兵は恐怖した。
だがその前進が不意に止まった。ダグラスは額に矢を受けてからもしばらく立ち続けたが、さらに胸に矢を受けると、どうと仰向けに倒れた。
続く者たちも皆、矢の一斉射によりその身に無数の矢を受けて倒れた。
先ほどまで荒れ狂っていた戦場の空気が、一瞬氷点下にまで下がる。
だがすぐにゴルド王国軍の雑兵たちが、歓声を上げて倒れたダグラスの遺体目掛けて走り出す。
首を取って恩賞を授かろうとする雑兵たちは、ダグラスの遺体を醜く取り合った。
その結果、ダグラスの四肢はもがれ、首も誰だかすらわからぬほどに激しく損傷してしまう。
それを伝え聞いたアレクは、味方のあまりの見苦しさに不快感をあらわにしたという。
こうしてバラバラにされたダグラスの遺体は、ザームの元へと届けられたが、結局本人かどうか判別不可能であるとして、恩賞を授けることはなかったという。
一方その頃、逃げるネヴィル王国軍はというと、未だに敵の追撃を受けていた。
ベルクス城の南門を脱したネヴィル王国軍は、南下した後西へと進路を変えたが、それを予測した敵の一部の待ち伏せや追撃により、疲弊し死傷者や脱落者を出し続けていく。
「若殿! またしても正面から!」
「くっ、もはやこれまでと言いたいところだが、ここで死んでは父上に対して面目が立たぬ! 斬り開くぞ!」
マグダルの全身は敵の返り血で赤く染まっていた。
既に槍は折れ、馬も疲労困憊で乗ることは出来ない。
兵から差し出された槍を受け取ると、マグダルは先頭に立った。
敵とおぼしき者たちが徐々に近づいてくる。
だが、どうも様子がおかしい。雄たけびを上げるわけでもなく、こちらを見つけて慌てて近づいてくるような違和感がある。
そのうちにその集団の中から旗が掲げられた。それはネヴィル王国の三匹の狼の顔が描かれた国旗であった。
先頭に進み出た騎士が、馬を走らせて近づいてくる。
「み、味方だ! 味方だぞ! 俺たち、た、助かったんだ…………」
味方の救援に、兵たちは涙を流して抱き合い、喜ぶ。
マグダルの頬にも、涙が伝った。
陛下の手元にいた兵は限りなく少なかったはずだが、それでも陛下は救援を出してくれていたのだと。
自分たちは捨て駒ではなかったという事実に、マグダルは涙したのであった。




