山海関
山間部にある盆地であるネヴィル領では、塩は黄金にも等しい貴重な物である。
今までは高値を吹っかけられても買うしかなかった塩が、自領で取れると知った大人たちは狂喜乱舞であった。
それに比べると、三兄弟は喜びの表情を浮かべているものの、どこかしら渋さを感じられる。
それに気付いたのは、叔父であるギルバートであった。
「どうした? 塩だぞ、塩! これ程素晴らしい事があるだろうか? もう高い金を出して塩を買わなくてもいいのだぞ。そうだ、この塩を売れば大儲け出来るではないか!」
「「「それは、絶対に駄目です!」」」
子供の用に燥ぐ叔父に、三兄弟は声を荒げて待ったを掛ける。
「何故だ? 農作物しか売る物が無い今よりも、ずっと稼げるではないか」
未だ興奮冷めやらぬ叔父に、塩を見つけたトーヤが今の状態はとても危険であると諭す。
「叔父上、落ち着いて下さい。今、王国は相次ぐ戦により戦費に喘いでいる状態ですよね? そんな中で、ある意味では黄金に匹敵する塩が出たと吹聴したらどうなりますか? 国王陛下の悪い話を、つい先日聞いたばかりではないですか。その性格から察するに、良くて領地召上げなり転封なり、最悪の場合には事故を装って消されるかも知れませんよ? 寧ろ、塩が出る事を隠さねばなりません」
喜びの表情を浮かべていた大人たちの顔が、あっという間に険しくなる。
確かに、国王の性格とこれまでの行動から、トーヤのいう通りになる可能性は決して低いものではない。
「では、では……折角塩を見つけても、売る事が出来ないではないか! それどころか、国に目を付けられる厄介な代物では、これでは何の意味も無いということか?」
いや、そうではないとアデルは首を振る。
「いえ、今は塩が出る事を隠す必要があると言うだけです。……ここには我が家の者しか居ないので言いますが、はっきり言って王国はもう駄目でしょう? お爺様に対する仕打ちといい、私欲に駆られて戦を始めたり、昨今の政治の乱れを見れば一目瞭然。私は話に聞くだけですが、お爺様も叔父上も肌身で感じているはずです。この激動の時代に、暗君では国は保てないと……私は忠を尽くす価値の無い王に、命を捧げるのは御免です。当家は国と袂を分かち、独立するべきだと思います。その際に、塩は大きな武器になるでしょう」
大人たち全員がゴクリと生唾を飲み込んだ。いくら七歳とはいえ、国王に対する非難は重罪である。
しかもその内容がまた、国を見限って独立せよというのだから無理も無い。
前にも一族の者たちだけの時に話したことではあるが、改めて聞くとジェラルドやギルバートの身にも戦慄が走る。
「…………勝てるか?」
ジェラルドの問いに、アデルは少し悲しげな表情で首を横に振った。
「残念ですが、勝てませんね。人口、国力とも比較になりませんから……ですが、それでも負けはしません。これだけは断言できます!」
「……壁か」
こくりとアデルが頷いた。
ふーっ、と大きく溜息をついたジェラルドは、白い顎鬚を指で扱く。
アデルたち三兄弟の才は大いに買っているジェラルドであっても、家の存続が掛かっている以上は安易には決められない。
貴族にとって一番大事なのは、家の存続と胤を残すことである。これは大きな、自分の手に余る程大きな賭けであると。
聡明な孫たちは暗君に仕える気はなく、国に背くと言う。
「……やるか……どのみちこのままでは、我が家はこれ以上の栄達の見込みも無し、それどころかすり潰されるようにして、使い捨てられるがオチであろうしの」
「父上!」
「先代様!」
ギルバートと譜代の従者たちは狼狽える。
そんな叔父たちを落ち着かせるように、カインは口を開いた。
「叔父上、何も今日明日という話ではありませんよ。王国がいよいよ国としての体を保てなくなった時の話ですよ」
アデルもトーヤもカインの言葉に頷いた。こういう時に三つ子というのは便利である。
言葉に出さずとも、不思議と互いに意思疎通が図れるのであった。
「ふーっ、わかった。俺も今の国王に忠誠を抱いてはいない。王国は当家に厳しく当たり過ぎたからな。話を戻してもいいか? 直近の問題として、この塩をどうする?」
アデルたちもこれには即答は出来かねた。大体、どれぐらいの埋蔵量があるのかすらわからないのだ。
「そうですねぇ……う~ん、このまま隠していてもなぁ……もういっその事、領民にだけはバラしてしまいましょうか?」
「な、なに?」
「こういうのはどうです? 塩が出たことを領民には教える。そして、領民たちの危機感を煽るのです。塩が出たことが外に知れたら、その塩を狙って敵が来るぞと。それに対するために、堅固な壁を築く必要があると。後は壁が見事完成したら、今塩税として納めて貰っている分を免除すると言えば、より積極的に協力してくれるかも知れませんね」
今の段階でアデルたちは、父であり当主であるダレンが、顔役たちに壁の建設の必要性を説いて、それが受け入れられたことを知らない。
この時は少しでも父の後押しが出来ればと、思っていたのである。
「塩税を取らぬとして、塩はどうする? 領民たちに売るのか?」
「いえ、しばらくは今まで通り配給制でよろしいのでは? 売ると折角税を免除してもらっても、その金を塩に充てるわけですから、あまり意味がないと領民たちは思うのでは? でしたら、配給制を維持しつつ賦役という形で、採掘の人数などを出して貰えば……塩は生きて行くのに必要不可欠ですし、おそらくそのための賦役という形ならば、領民たちも渋ることはないと思いますが、どうでしょう?」
多分それでいけるじゃろうと、ジェラルドが太鼓判を押す。
領民たちの多くは、まともに文字の読み書きすら出来ない。これはこの世界、この時代では至って当たり前のことであった。
ゆえに、政策を施すにしても彼らにわかるように、単純かつ目に見えて効果的なものを行わなくてはならない。
だからアデルの言うようにわかり易く、塩が出たから塩税はもう取らない。その代り、塩を掘り出すのを手伝ってくれと言えば、領民たちは反感を抱くどころか、この厳しいご時世に他領と違って減税してくれたと、逆に恩を感じてくれる可能性すらあるとジェラルドは睨んでいた。
「ということは、ますます壁の建設の必要性が増したということだな。俺も村に帰ったら、村長らを集めて更なる協力を求めるとしよう」
叔父のギルバートはネヴィル領一街三村の内の一つである、カルス村を丸々任されているのである。
「どのみち今の世を生き抜くためには、何処かしらで博打を打たねばならぬ。今がその時ということであろう。良いか、お前たち……この事は決して他言無用ぞ。アデル、カイン、トーヤ、お前たちもだぞ!」
三兄弟も従者たちも力強く頷く。従者たちは何代にもわたる譜代の者であり、もはや一族同然と言っても良い間柄である。
大体が、浮くも沈むも共にとジェラルドの僻地への左遷にも着いてきた者たちと、その子らである。
元より鉄のような結束であり、寧ろ当家が一気に浮かび上がる可能性……三兄弟の智を垣間見たことで、その目はやる気に満ち溢れている。
「では、急ぎ戻ってダレンにこの事を知らせ、城壁作りを急がせるとするかの」
探索は打ち切られ、一行は急ぎ下山して帰還する。
「そういえば、城壁の名前……まだ決めてなかったな」
ギルバートが帰還の途に就く間に、ポツリと呟く。
聞けば、城や要塞、砦や関所などの重要拠点となる場所には、名前を付けるのが普通だろうとのことであった。
「それなら良い名前があります。山海関というのはどうでしょう? 山間のこのコールス地方、そこに眠っていた海の恵みである塩を掛けて……城壁でもあり、関所でもありますから」
「洒落ておるな。良かろう、建造する城壁の名は山海関とする」
山海関という名は、アデルのオリジナルではない。中国の万里の長城の東の重要拠点の名である。
かつては北より攻めて来た満州族を防ぎ、難攻不落を謳われた要衝でもあり、アデルはその名を借りて御利益にあやかろうとしたのであった。
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