トスカナタ平原の戦い
三か国連合軍二万とガドモア王国西部辺境軍一万五千は、トスカナタ平原にて正面からぶつかった。
日の出とともに両陣営から攻撃開始の喇叭が、夜明けの静寂さを切り裂いた。
両軍ともに声を上げ、前進を始める。
振り払われた朝露は、瞬く間に将兵らが放つ熱気により靄と化して足元を覆った。
ガドモア王国西部辺境軍の先鋒は、辺境貴族の部隊ではなく傭兵であった。
これは今までに類を見ない配置である。先鋒は武人の名誉であり、それ相応の実力者が選ばれるものだが、どういうわけか複数の傭兵部隊が集まって先鋒部隊を構成していた。
これはフィオレ西部辺境侯爵の発案によるもので、損害の大きい先鋒を傭兵に任せることで、自家の兵力の温存を図るといった目的があった。
これに対しても、ベルトランは反対した。
傭兵は忠義ではなく利によって戦う者。命を捨ててまで戦わないし、割に合わぬとなれば逃げを打つ。したがって一時的には敵を退けても、やがては堪え切れなくなり敗れるだろうと。
そしてそれを目の当たりにした味方の士気が落ち、恐怖に駆られてそのまま全軍敗走の可能性もありうるという主張を、フィオレは文字通り無視した。
「高い金を払っているのだ! 奴らが危険な役割を負うのは当然ではないか! 傭兵たちと戦って疲れた敵に対して我々がぶつかれば、まず負けまいて」
甘い、とベルトランは首を振った。
だが、今は何を言っても聞かないだろうと諦めていた。
一方、三か国連合軍の先鋒はノルトの勇将クリスカ伯爵。
クリスカ伯爵は陞爵して間もなく、部隊も編成途上であったが、今回の遠征の連勝により士気は高い。
中軍はレイバック伯爵、左翼バーゲンザイル公爵、右翼ユンゲルト伯爵、そして後ろにスイル王率いるエフト王国軍といった陣立てであった。
兵力差が五千ほどもあるにもかかわらず、三か国連合軍は両翼を伸ばして包囲の態勢を取らず、どちらかというと左右両翼を縮め、中央を厚くする形をとっていた。
そしてネヴィル王国軍はというと、三千の部隊を五百ずつ、六つの部隊に分けてそれぞれ左右に三部隊ずつ、戦場の大外に配置していた。
左翼に配置されている第一部隊には猛将バルタレスを主将として副将にシュルト。
第二部隊には、グスタフを主将としてその下にハーローがおり、第三部隊には主将として赤狼公カイン、その補佐にギルバートが付いた。
右翼に配された第四部隊は主将ウズガルド、副将にクレイヴ。第五部隊の主将はザウエル、そして副将にロルト。
最後の第六部隊は白狼公トーヤとその補佐にダグラスが付いた。
ネヴィル王国の主なる将が勢ぞろいしているところから見ても、この戦に賭ける意気込みの強さが見てうかがえる。
敵味方の先鋒がぶつかり合ったのを見て、左翼第一部隊が動き出した。
戦場を迂回するような動きで敵の側面を突こうとしたのである。
これに対してガドモア王国軍は、それを阻害するためにやむを得ず、本陣から同数程度の部隊を差し向けようとした。
「いけませぬ! これは敵の策に御座います」
そう言って、部隊を差し向けるのを止めようとしたのは本陣に詰めていたベルトランであった。
「側面の部隊には防御を厚くするように命じ、あくまでも本陣の兵は動かぬよう。あくまでも本陣の兵力は正面にぶつけられますよう」
これをフィオレは鼻で笑った。
「馬鹿者め! それでは敵の良いように側面から削られてしまい、損害が増すではないか!」
「確かに損害は馬鹿にならぬものとなるでしょう。元より兵数に劣る我が軍が勝利するには、損害を無視してでも敵前衛を突破して本陣に切り込み、乱戦の内に敵の王や主将を討ち取る他に御座いませぬ。その乱戦に持ち込むのに、本陣の精鋭が一兵でも多く必要となりましょう。ですから本陣から割くのはおやめくだされ。ここは敵に乗せられずに、耐えるべきでありましょうぞ」
「黙れ! 本陣に控える精鋭たちならばあの程度の小勢、たちまちの内に蹴散らすであろう。何も心配することは無い!」
フィオレはベルトランの進言を聞かず、本陣から側面攻撃を図るネヴィル王国軍を迎撃すべく、兵を出した。
ベルトランは、迎撃部隊の長に追えば敵はすぐに逃げるはず、深追いは無用と言ったが無駄であった。
ベルトランの言う通り、迎撃部隊が近づくとネヴィル王国第一部隊はすぐに逃げに入った。
これに引きずられるように、迎撃部隊はどんどんと戦場から引き離されていく。
そうこうしているうちに、今度は右翼からネヴィル王国第四部隊が迫って来た。
これに対してもフィオレは、また本陣から新たな迎撃部隊を発した。
このやり取りが六度繰り返されると、本陣がかなり薄くなってしまった。
この時のフィオレとしては、一時的に本陣が手薄になっても、すぐに敵を蹴散らした迎撃部隊が戻ってくるだろうと思っていたのだ。
だがそうこうしている間に、敵の猛攻に耐えれずに傭兵部隊が崩れて敗走をし始めたのである。
完全に崩れた前衛を見て、中軍の将兵は浮足立つ。
ベルトランの言うように完全敗走とはならなかったが、それも時間の問題かと思われた。
この敗走する傭兵部隊に入り乱れる形で、三か国連合軍が中軍に突入する。
左右の両翼もこの動きに呼応するように、ガドモア王国軍の左右を攻め立て、中軍に援軍を送らせるのを防いだ。
「カインもトーヤも流石だな。そろそろいいんじゃないか?」
スイルは左右の将に聞くも、
「まだ早う御座います。いましばらくご辛抱を」
と言われて、立ちかけた腰を再び床几に下した。
二人が暴れているのを目の当たりにして、居ても立っても居られないといった状態で、この後も何度も何度も、自分の番はまだかと聞くのであった。
そんなスイルの番がとうとうやって来た。
最終局面である。ガドモア王国軍は中軍も三か国連合軍による猛攻に耐え兼ねて崩れだしていた。
「よし、我が軍も突入せよ! 目指すはフィオレ西部辺境侯爵の首ぞ!」
スイルは待ってましたと言わんばかりの勢いで馬に跨り、従卒から槍を受け取ると、その槍を掲げて前進を命じた。
これがこの戦の決定打となった。
力を温存していたエフト王国軍は、破竹の勢いで敵の中軍に猛攻を加えて突破。
カインとトーヤの策によりやせ細っていた敵本陣を蹂躙し、勝利を決定づけたのであった。
ーーー
「中軍が崩れました!」
自身が流す血なのか、それとも返り血なのかもわからぬ血まみれの兵が、本陣に駆け込んで来た。
「不甲斐無し! 本陣の兵を以って今一度押し返せ!」
このフィオレの命は実行されなかった。
正確にはされなかったのではなく、出来なかったのである。
左右の側面を狙うネヴィル王国軍に対して送り出した部隊が、未だ戻ってきてなかったのだ。
残っている本陣の兵は攻勢に転じることが出来ずに、そのまま防御に当たるが中央に戦力を集中させてくる三か国連合軍を抑えきれずに、次々と穴をあけて突破され、ついには敗走し始めてしまう。
「…………馬鹿な…………馬鹿な……み、味方は何をやっておるのか? あのような小勢に何を手間取っているのか…………」
騎士たちに守られながら落ち延びていくフィオレ西部辺境侯爵。
ベルトランはそんなフィオレに、この負けは当然であるといったような冷たい眼差しを向けていた。
だいたいが甘いのだと。此度の戦いは何が何でも勝たねばならぬ戦であった。
それこそ領地を焼け野原にしてもである。なぜなら、この敗北という失態をガドモア王国は決して許しはしないだろう。
失脚はおろか、責任を取らされ御家断絶や死を賜る可能性が高い。
侯爵は中央に顔が利くからとその処分も甘く見ているようだが、おそらくはこれまでにない厳しい沙汰が下されるであろう。
ベルトランとしては、自分の進言を全く受け入れなかったフィオレと運命を共にする気は更々無い。
彼は隙を見て敗走するフィオレたちから離れ、何処かへと姿を消したのであった。
ーーー
「た、隊長! ほ、本陣が!」
兵の声に振り向いた迎撃部隊長は、顔色を失った。
ネヴィル王国軍の逃げては戦い、逃げては戦う動きに引き摺られて本陣から離された結果、手薄になった本陣が敵の攻撃を支えきれずに堕ちてしまったのである。
「よし、反撃だ! 今度は演技ではなく本当のな!」
浮足立った兵は脆い。ネヴィル王国軍の攻撃に対して、立ち向かうことなく背を見せて敗走し始めた。
逃げる兵を討つのは容易い。ネヴィル王国軍の将兵らは、まるで庭の草を刈るかのように、逃げる敵兵を討ち取っていく。
「やるではないか、赤狼殿下も」
古参の剛将ウズガルドがカインの勇戦ぶりを褒めると、
「白狼殿下もな」
と、家臣筆頭であるダグラスがトーヤを褒めた。
追撃もほどほどに六部隊の将兵が合流すると、損害は実に軽微であり、将は守られていたカインやトーヤは勿論のこと、誰一人手傷を負った者がいなかった。
「やったな!」
「おう!」
カインとトーヤは馬上でハイタッチをした。
「後ろがバタバタすりゃ、前にいる奴らの気も散るし、不安にもなる。そんなちょっとした隙が戦場では命取りになるってことだな」
「兵力差があればこそ取れた作戦だった。我々の侵攻の対応が遅く、そのおかげでじっくりと敵戦力を見極めることが出来たせいでもある。次は、アデルの番かな?」
「多分な…………もう動き始めているだろう」
「この地を守らなければいけないため、ネヴィルの兵は動かせない。厳しい戦いになりそうだ…………」
二人は長兄アデルの居る北の空を見て深いため息をつくのであった。




