剣弓姫
カインはエフトの王都ムスペルムを訪れていた。
出迎えてくれたのは王妹であり、カインの婚約者でもあるサリーマ姫。
ただし皆が想像するようなお姫様とは違って、戎衣に身を包み、剣を履き、弓を背負っている。
ほんのりと日に焼けた浅黒い肌と、彫りが深く切れ長の目。
その目がカインを見つけた途端、大きく見開かれる。
「カイン! おーい、カイン!」
手を大きく振りながら、従者の制止を振り切って馬を寄せるサリーマに、カインも手を振って応えた。
「久しぶり。ねぇ、このまま狩りに行こうよ!」
これにはカインも苦笑。
「相変わらずだな。狩りに行きたいのは山々だが、まずはお勤めを果たさないとな」
ぶぅ、と膨れるサリーマの頬を指で突きつつ、カインはムスペルムに向かって馬を進める。
仕方なしに馬首を翻すサリーマ。その様は思わずカインが見とれてしまうほどに自然な美しさがあった。
「また馬術の腕を上げたな。てか、お前花嫁修業中じゃなかったのかよ…………」
「あたし、刺繍とかって苦手でさ……弓を射ったり馬を駆ったりってのは得意なんだけどさ」
えへへと、はにかみながら鼻の下をこする様は、幼いころと全く変わっていない。
「ま、世界に一人くらいお転婆な姫様がいてもいいわな。少し見ない間にムスペルム、発展してるじゃないか。いいね、いいね!」
「うん、ノルトとの交易が始まってからすごい活気だよ。ひっきりなしに人と物が動いてる。兄上が、これもカインたちのおかげだって喜んでるよ」
「なぁ、市は立っているのか?」
「うん、門を越えてすぐに大きな市場があるよ!」
「へぇ、ちょっと見てみたいな……少しだけ寄り道していこうぜ」
悪戯っぽい笑みを浮かべるのはサリーマの良く知るカイン。
そっちこそ昔とちっとも変わってないじゃないかと笑いながら、サリーマはカインを市場に案内した。
ーーー
市場でサリーマに散々おねだりをされたカインは、ぐったりとした表情で貴賓室の長椅子にもたれ掛かっていた。
「その様子を見ると、妹の我儘に付き合わされたのだな。カイン、あんまり妹を甘やかさないでくれ……ただでさえ手の付けられないほどのお転婆なのだから。もう本当にお前が貰ってくれなければ、誰も嫁に欲しがらないほどのお転婆なんだよ…………」
あの服装を見れば、スイルの苦労が思い浮かぶ。
カインは苦笑いしつつも、わかったと頷いた。
「で、今日はどうしたんだ?」
「来春にガドモアがノルトに侵攻してくるって話は聞いてるよな?」
「ああ、ノルトの使者から聞いている。我が国も少ないながらも兵を出すことを決めている」
「なら話は早い。その前にガジム殿とダムザ殿はご壮健か?」
「ああ、二人とも元気だ。呼ぶか?」
うん、とカインは頷くとスイルは部屋の外にいる兵に二人を呼びに行かせた。
しばらく二人で歓談していると、部屋にガジムとダムザがやってきた。
「おう、カイン! 少し見ない内にまた背が伸びたか?」
「元気そうでなによりだ。大きくなったら益々ダレン殿に似てきたな」
二人がカインに向ける眼差しは穏やかだ。
カインもまた実家に居るような心地よさを感じていた。
「お久しぶりです。お三方揃ったところで、これを…………」
カインは懐から作戦図を取り出した。
テーブルに広げられた作戦図。カインは順を追って説明していく。
「なるほど。敵の侵攻を逆手に取るのか」
「このユメール地方に我々は討ち入るのだな。で、見事この地方にある城を落とせば、そのままこの地を我らエフトの領地としてよいとな?」
「このこと、ノルト王は承知のことか?」
三人は作戦図を見ながらカインに質問を繰り返す。
「いや、まだノルト王には何も。ちょうど今頃、この作戦図が届いている頃だろう。だが安心してほしい。おそらくは承認されるだろうし、ウチが後押しするから。本国から離れた飛び地になってしまうのは申し訳ないが、このユメール地方は西部辺境随一の穀倉地帯なんだ。エフトが今以上に飛躍するには、どうしても食糧の増産が必要不可欠。それこそ死ぬ気で敵から切り取って欲しい」
スイル、ダムザ、ガジムの三人は思わず顔を見合わせた。
「今、西部辺境随一の穀倉地帯と言ったか?」
「え? ああ、今は多少荒れているかもしれないが、それでも西部辺境随一なのはまず間違いないよ」
カインはそれがどうした、と首をかしげる。
「良いのか? そんな良い土地を我らに譲っても?」
「そうだ、普通は作戦立案したネヴィルか、兵を多く出したノルトが手に入れるのが筋だろう?」
「我が国は先ほども言ったが、少数の兵……精々が二、三千の兵しか出せんぞ」
それなのにどうしてそんなにも良い土地を、と三人は信じられない面持ちである。
「兵が少ないのはウチも同じさ。ここを見てくれ、ウチは川を貰う。この川はネヴィル領内から流れている川なんだ。これによって、水運と漁業でウチは栄えることが出来るのでご心配なく。ノルトにも別の利を与えるからそれも心配ないよ。ただし、まぁこれは全てが上手くいったらなんだけど、統治の仕方をネヴィルと同じにして欲しいんだ」
ネヴィル、エフト両国にも旨味があると聞いて三人は納得したが、最後の言葉には又しても首を捻った。
「簡単な理由だよ。同じにしないと民衆がどっちかに流れてしまうからね。両国とも統治方法や税率、政策が概ね同じなら民衆も逃げたりしないからね」
三人とも言われてみれば納得である。
「ちなみに聞くが、ネヴィルではどう統治するのか? 我らもそれに合わせるとなると聞いておかねばなるまいて」
ガジムの問いにカインは、
「まだ大まかにしか決めてないけど、本国と同じ……税率なんかは四公六民でいくよ。エフトの場合だと民族の違いが生じるけど、極力差別は無しでお願いしたい。というか、差別すると全部ウチに流れてくるんじゃないかな。今、ガドモアの民たちは苛政に喘いでいる。だから、緩めに統治すれば大人しく従ってくれると思うよ」
「わかった。カインの言う通りにしよう。それにしてもカイン、お前には何と感謝するべきか…………」
「よせよスイル。俺たちは義理とはいえ兄弟じゃないか。それにアデルやトーヤもスイルの事は兄貴だと思っているぜ。俺たちが兄弟ならば、ネヴィルとエフトの両国もまた同じく兄弟さ。助け合うのは当たり前じゃないか」
四人の顔に笑顔が浮かぶ。
「よし、やろう! 我らエフトは進むも退くもネヴィルと共に!」
スイルがそう声高に叫ぶと、ダムザとガジムも頷いた。
ここからは更に作戦の細部を詰めていく。
結果、エフト王国は三千の兵力を送り出すことに決まった。
そしてその三千をスイル自らが指揮をする。
「アデルやシルヴァルド殿にばかりいい恰好はさせられないだろう?」
そう言って聞かないスイル。カインは苦笑する。
「作戦の肝は速力だ。素早く進攻し、要衝を抑える。これが出来れば成功間違いなし」
カインの指がテーブルの上の地図をなぞる。その指を三人は目で追った。
「わかった。こちらも冬の間に準備をしておく。心配するな。作戦はまだ誰にも明かさない」
「そうしてくれ。万が一でも敵に漏れたら意味がないからね」
話が一段落したところで、ダムザが話題を変えた。
「聞いた話によると、サリーマと市場に行ったそうじゃないか。で、どうだ?」
「ど、どうだと言われても…………」
突然婚約者の父親から振られた話題に、カインはどう答えてよいのかわからない。
「あれは父親から見ても不出来な娘だ。正直甘やかしすぎたきらいがある。カインにはこれからも娘が様々な迷惑を掛けるだろうが、どうか、どうか嫌わないでやって欲しい」
ダムザはカインの手を取り拝むようにして頼み込んだ。
「ええ、いやぁ、そんな嫌うだなんて…………」
「花嫁修行もこれまで以上に厳しくするので、どうか、どうか娘を貰ってくれないか? あれは剣だ弓などにばかり興味を示しおって、今ではお転婆どころか剣弓姫などという渾名まで付けられる始末でな……」
どんだけお転婆が過ぎればそんな渾名が付けられるのか……カインは背筋がゾッとする。
いつしか父親のダムザだけではなく、兄のスイル、そしてガジムまでもがサリーマを是非に貰って欲しいと頼み込むようになっていた。
それに押し切られる形でカインは、サリーマを絶対に嫁に貰うと再度約束させられるのであった。




