目に見えぬ大いなる利
次にアデルたちが作戦を明かしたのは、ノルト王国の大使であるバーゲンザイルであった。
作戦室には呼び出されたバーゲンザイルの他は、アデル、カイン、トーヤの三人しかいない。
この三人の少年たちが考案した作戦を聞いたバーゲンザイルは、最初はその大胆さに驚き、果てには呆れ、且つ敵に同情してしまった。
「まったく…………とんでもないことを思いつくものじゃな。それも理論的には穴が無い。お主の手のひらの上で踊らされる敵どもに同情するわい」
「歴戦の老将である爺さんのお墨付きとあれば、これはもう成功したも同然。さて、ここからが本題だ。爺さんには大使の座を降りてもらいたい」
バーゲンザイルの眉が跳ね上がる。バーゲンザイルが大使になったのはつい先日のこと。
それも主君であるシルヴァルド王に何度も手紙で頼み込んでなったのだ。
それをアデルは大使を辞めろというのだから、バーゲンザイルでなくとも気分を害するのは間違いない。
「いやいや、勘違いしないでくれ。なにも爺さんに粗相があったとか、能力が不足しているとかそういった意味ではないんだ。爺さんに、借り受けるノルト王国軍の総指揮官になって欲しいのさ。大使の後任にはユプト子爵になってもらおうと思っている」
「儂を総指揮官に?」
「うん。数からいって基幹となるのはノルト王国軍だし、これを統括するには将兵らが畏敬の念を抱く者でないとね。敵地に深く進攻するわけだし、それに作戦自体が少しばかり特殊だから」
バーゲンザイルは、どこが少しばかりなのかと突っ込みたくなる。
「あいわかった。しかし、カールの奴めが承知するかはわからぬぞ。まぁ儂としても、これほどの大戦……人生の最後にひと暴れしたい気はあるが…………」
「納得させるさ。この作戦が成功すればノルトにも大いなる利があることだしね。最高にうまくいった場合、三国共に大いなる利を得ることが出来るだろう。最低でもガドモアと北侯との仲を引き裂くことは出来るはず」
確かに、とバーゲンザイルも頷く。
「じゃが、これならば我がノルトとネヴィルの二国で良いのではないか? あえてエフトを加えずとも…………」
「いや、それは駄目だ!」
バーゲンザイルの疑問に、待ったを掛けたのはエフト王国の王妹を婚約者とするカインであった。
「ネヴィルとエフトの関係は馬車の両輪に等しい。ネヴィルが栄し時にはエフトもまた栄えるべきなのだ」
「カインの言う通り! エフトの国王であるスイルは我らが兄弟も同然。決して見捨てたりはしないさ!」
トーヤもまたエフト王国を除け者にすべきではないと声を荒げた。
そんな二人をアデルは落ち着かせる。
「まぁそんなに熱くなるな。爺さんの疑問は至極当然のこと。確かにこの作戦はノルトとネヴィルの二国でも可能だろう。しかし、だ。エフトを除け者にすれば、せっかくの三国同盟に亀裂が生じる恐れがある。また、戦後のことも考えるとエフトにも是非にも参加してもらわねばならないのさ…………」
アデルはバーゲンザイルにエフト王国を作戦に参加させる意味を説いた。
「なるほどの。得心いったが、エフトはこれに納得するのかの?」
「するね。今回もし作戦が成功したら、エフトには一番良い土地を譲るつもりだ」
ほぅ、それは太っ腹なとバーゲンザイルは笑った。
「まぁスイルと俺たちはさっき言った通り兄弟も同然だけど、他のエフトの民はやはり利で釣らないとなぁ…………」
「スイルには俺が直接行って説明するよ」
そうカインが言うと、アデルは頼むと頷いた。
「心構えだけはしておくかの…………」
そう言って席を立ったバーゲンザイルの口元に、密かな笑みが浮かんでいるのをアデルたちは見逃さなかった。
何だかんだ言っても武人なのだ。成功すれば間違いなく戦史に残るであろう大作戦を前に、心が高ぶるのも無理はない。
それは三人も同じである。この心の高ぶりこそが、武人であった父の血を色濃く受け継いでいる証のようでもあり、心地よかったのだ。
ーーー
「あっはっはっは」
早馬を乗り継いで王都リルストレイムに着いたユプトは、アデルに託された親書を主君であるシルヴァルドに渡した。
それを紐解き読んだシルヴァルドは、人目もはばからずに爆笑する。
ユプトも周囲の者たちも見たことのないシルヴァルドの大笑い。
シルヴァルドは涙をぬぐいながら、自室に宰相のブラムと腹心のユンゲルト伯爵を呼ぶように伝えた。
自室に引き取ったシルヴァルドは、今一度アデルの寄越した親書もとい作戦図に目を通す。
そして再び確信する。自分の後継者はやはりアデルしかいないだろうと。
「ネヴィルから親書が来たとか…………」
呼び出されて慌てて駆け付けたブラムとユンゲルトが見たのは、これまでにないほど真剣な表情で卓上に広げた作戦図を見つめるシルヴァルドの姿であった。
「二人ともこれを見よ」
呼び出された二人は卓上の作戦図をのぞき込む。
「こ、これはいったい?」
「先ほど届いたネヴィルからの親書とは、まさかこれでしょうか?」
作戦図に一通り目を通した二人の顔は青ざめている。
「そうだ。二人の目から見てこの作戦はどうか?」
問われた二人は戸惑いを隠せない。それもそのはず、この作戦が上手く図に当たるとなると、半島の勢力図が大きく変わるのだ。
「アデルめ…………いや、おそらくは弟たちと長い月日を掛けて練り上げていたに違いない。緻密且つ大胆な作戦だ。敵の心理を読み切っている。余の見立てでは成算は大きいと思われる」
「で、では、ネヴィルに兵を御貸しなさるので? いやしかし、敵と正面から対峙しているのに、さらに二万の兵を貸すというのは、万が一のことを考えますと、ちと危険ではありますまいか?」
「ユンの言う通り危険ではある。が、戦とは本来そういったものではないか? この作戦が成功した時の利は計り知れないほど大きい。ここに記されているとおり、北侯の戦意は無きに等しい。余が彼らを十分に引き付けることが出来れば、間違いなく成功するだろう」
シルヴァルドとしてはこの作戦に乗り気であった。
本来慎重なはずのシルヴァルドを、これほどまでに大きく動かす利はこの作戦図に直接記されてはいない。
だが、シルヴァルドには見えるのだ。アデルが描いた大いなる利が。
「この…………総指揮官をバーゲンザイル公爵に執らせるというのは? 公は先日大使に任命したばかりですが……陛下はこれも御承知なさるので?」
ブラムの問いにシルヴァルドは一瞬眉をひそめた。
「ううむ。どうやらあの変わり者は、おかしなことにアデルと気が合うようなのだ。まぁもっとも戦歴も実績も文句のつけようがないことは事実。副将にユン、お主を希望しておるがどうだ? あの老狂人を御せるか?」
これにはユンゲルトは心底困ったような表情で頬を掻いた。
「どうでしょうか? 公を名目上の総指揮官として某が実権を抑えるという形でなんとか…………」
「いやいや、あの御仁がそのようなことを受け入れるはずが御座いますまい」
ユンゲルトの言を、ブラムは鼻で笑った。
「ブラムの言はもっとも。何せ我儘だからな。しかし半数はユンが掌握することは認めさせよう。しかし面白い。成功すれば、だが……」
そう言いつつもシルヴァルドは成功を疑ってはいなかった。
早速今夜から詳細を詰めていくよう命じたシルヴァルドは、南の窓を見てひとり微笑んだ。
「面白いよ。面白いよアデル。お前の書く戯曲ならば、俺はいくらでも踊って見せよう。だからもっと見せてくれ……お前のその才の煌めきを!」




