家に帰るまでが遠征
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会社が引っ越すことになりまして、そのせいで休日ががが…………
アデルの表情は渋い。
エフト王スイルのこの申し出は、既に想定済みである。
だが、そこに至るまでの道のりは中々に険しい。
「我が国としては勿論構わない。スイルの望み通りになるよう後押しもしよう。カールも自国領土以外の土地に対する執着心は、さほど強くなさそうなのでこれも問題ないと思われる。だが、ノルトの臣民は違う。三国同盟で一番将兵を送り出すのはノルトだ。スイルの望み通りにするには、彼らが黙るほどの功績が必要だろう」
これに対してスイルも、もっともであるとばかりに頷いた。
「先祖の地…………中つ原に返り咲くは、我らが悲願。其の為ならばいかなる艱難辛苦も恐れるに足らず。ましてやネヴィルの協力があるとなれば、な」
日焼けした浅黒い顔を正面に向けたまま、白い歯を見せて笑うスイル。
「俺たちの構想では、ガドモアを倒した後は北部をノルト、中部をエフト、南部を我がネヴィルと、こう、横に三分割しようかと思っているんだが…………まぁ、現状では何を言っても捕らぬ狸の皮算用。おっと、狸はこの世界にはいなかったな……ならば取らぬ狐の皮算用と言ったところだな」
「取らぬ狐の皮算用か…………面白い例えをするな。確かに。まだ我々は小さく、そして弱い…………」
スイルの発した言葉には小国の悲哀が多分に含まれていた。
同じように小国の主であるアデルの口からは言葉ではなく、ため息が漏れるのみであった。
せめてあと三万、いや二万…………せめて一万でもよい。自由に動かせる兵力があれば、たちまちのうちにこの半島の地図を書き換えてみせるのに、とアデルはきつく唇を噛んだ。
そんなアデルの姿を見たスイルは、
「一人気負うなよアデル。俺たちは若い。時間だけはたっぷりとある」
と言ったが、この考えにはアデルは否定的であった。
問題は一点。ノルト王、カール・シルヴァルドの健康である。
もし今、いや今でなくとも近い将来に万が一でもシルヴァルド王が病に斃れたならば、後継者問題を抱えるノルトは下手をすれば内戦状態に陥るかも知れず、そうなれば三国同盟の維持すら危うい。
「なんにせよ、今出来ることは少ない。風が吹き、その風が追い風であることを祈るばかりだ」
そうだな、と頷くスイルの顔には、先ほどまでの笑顔は無かった。
それでも前を向き続けているのは若さゆえの、胸の内から無限に湧き出す勇気のなせるわざか。
そんなスイルに引きずられるように、アデルもただ前を向くしかなかった。
ーーー
エフト王国の王都であるムスペルムに着いたアデルは、建国前に部族を纏めていたガジムと、前国王であり現国王の後見を務めるダムザに温かく迎え入れられた。
二人はエフトの作法をもってして、盟友であるダレンの死を悼んだ。
三日ほど同地に滞在したアデルは、スイルはもとよりガジムやダムザも交えて話し合い、今後の大まかな方針を決めるとムスペルムを後にした。
国境までガジムが見送り、ネヴィルで行われる本葬に参列するために、ダムザがネヴィル軍に同行した。
エフトの国境を越えてネヴィルの地に入った途端、空気が変わった。
少なくともアデルは、そう感じた。だが実際は、ネヴィルの全軍の将兵らがそう感じていた。
馬車から身を乗り出し、胸いっぱい外の空気を吸う。
山深い濃い緑の香りの中に、ほんのりと秋気が漂う。
「やっと帰ってこれたな…………」
張りつめていたすべてが解されたようなそんな気持ち。
「ああ、なるほど。この瞬間を俺は突いたのか。こりゃ、ひとたまりもないわ」
国境を越えて自国領に入ったという安心感。
この気の緩みを突き、敵将バリス伯爵を打ち取ったのだ。
「全軍に命令! 今一度気を引き締めよと。打ち破った敵将に学ぶのだ」
この命令により、安堵感から少しばかり乱れていた隊列が元へと戻る。
国境を越えてすぐにトーヤが出迎える。
トーヤは父ダレンの棺に拝礼し祈りを捧げた。
それが終わるとアデルは、トーヤを馬車の中へと招き入れた。
「おかえり」
「ただいま」
一年近く、正確には九か月ほど会っていないだけなのだが、二人は互いの成長ぶりに驚いた。
「お手柄だね。勝報を受けて御爺様がそれはもう大喜びでさ、本当に大変だったんだぜ」
トーヤのおどけた口調に、アデルもは自分が本来いるべき場所に帰ってきたことを実感した。
「運がよかった。いや、運だけじゃないが、それでも幸運に恵まれた」
「運も実力のうちさ。無事、三国同盟は成ったし、現状言うことなしの万々歳だよ。で、大体のことは手紙で知っているけど、どうやって六倍の敵を打ち破ったんだ?」
「それは秘密だ。ははは、嘘、嘘。どうせカインも知りたがっているだろうから、後でな」
「ちぇ、まぁそうだね。こっちは相変わらずの平穏。これじゃ山海関自慢の鉄門も錆付いちゃうよ」
心底暇だったと言うわりには、トーヤの顔は日に焼けすぎている。
その赤黒い顔を見れば、つい先日まで領内を駆けずり回っていたことが窺い知れる。
「敵が来ないのは良いことだ。そうだ! 今年の甲虫王は誰だ?」
突如振られる他愛のない話題。
優先すべき報告の類は他にも沢山あるのだが、それは明日でもいいだろう。
「今年の王者は、ほら七区画先にある靴屋の次男坊のアール覚えてる?」
「ああ、洟垂れアールか? いつも青っ洟垂れてた…………」
「そう、そうそう! そのアールが今年の王者なんだよ」
「アールは幾つだっけ?」
「俺たちの三つ下だから数えで十一歳だね」
「もうそんなになるのか……もうすぐ大鰻釣り大会だが、準備はどうだ?」
娯楽の少ない、それも荒れた世の中である。
こうなるとどうしても、人の心は荒みがちになってしまう。
ならばということで、三兄弟は今まで収穫祭と新年を祝うだけの生活から一変させ、季節ごとに様々なお祭りを企画、実行してみたのだ。
これが国民たちには、受けに受けた。
老若男女問わず熱狂的な支持を集めて、毎年の恒例行事なっていった。
「ばっちり。抜かりなし。優勝者には金の釣り針、準優勝には銀の釣り針を用意してある」
「大鰻釣りは夜釣りだからなぁ。大人のみの参加とはいえ、くれぐれも事故の無いように」
了解、とトーヤが敬礼しながら笑った。
釣られてアデルも微笑む。
「さて、ここまで来ればトキオまであと少しだが……家に帰るまでが遠足もとい、遠征だ」
「母上も御爺様も、そして誰よりもサリーがアデルの帰りを首を長くして待っているよ」




