馬車の中の戯言
「大見得を切ったな小僧! 確かにお主はガドモアから独立して一国の主となったかも知れん。じゃが、あまりにも小さく、非力。現に三度もガドモアに勝ちながら、彼の国から寸土すら奪えぬではないか。神にでもなったつもりか? 思い上がりもここまでくると最早滑稽でもあるわ」
これはまたしても挑発。先ほどの父の件といい、どうあっても自分を怒らせたいらしい。
自分はまた試されている。だが、何のために? と、バーゲンザイルを冷静に観察するアデル。
胸をそらし嘲りの笑みを浮かべるバーゲンザイルの瞳を見た瞬間、アデルはある答えを導き出した。
「爺さん、そんな安っぽい挑発じゃ、俺を怒らせることは出来ないぜ」
悪戯を見破ったかのようなアデルの笑顔を見てバーゲンザイルは、大きく目を見開き驚く。
「参った。降参じゃて。いやはや、参った、参った」
あっさりと白旗を上げたバーゲンザイルの目は優しく、口調も穏やかであった。
「どうして? それも何度も俺を試した?」
「ふふ、老人の他愛のない悪戯…………では、ないぞい。いやさ、どれだけお主が忍耐強いのかを、な…………このような安っぽい挑発に軽々しく乗るのでは、とてもとても…………国を広げるはおろか、保つことも出来ぬじゃろうて。王というのは他の誰よりも耐え忍ぶものよ。その点、お主は若いながらも冷静かつ自制心に富んでおる。賢く、度胸もある。それに気宇も大きい。うむ、合格じゃて。まぁ、何度も無礼を働いた詫びに、一つ良いことを教えてやろう。先月、ガドモア国王であるエドマインが、酒毒に当たって倒れたそうじゃ」
「なに! それで、エドマインは死んだのか?」
今のところ諜報の術を一切持っていないネヴィルは、このようにノルトからの情報のみが頼りである。
「いやさ、死んではおらぬ。だが、相当に悪いとの噂じゃ」
それを聞いたアデルは、顎に手を添えて思案する。
これは天が自分たち三兄弟に味方しているのではないのだろうか?
このままただ黙ってやり過ごしていれば、エドマインが死に、そして生来体の弱いシルヴァルドも没する。
そうなれば、勝手に天下が三兄弟の手の内に転がり込んで来るのではないか、と。
「いやいや、そうはいかんじゃろ。ヒェッ、ヒェッヒェ」
人の悪そうなバーゲンザイルの笑い声。アデルはこの目の前にいる老人に、自分の浅はかな考えが見透かされたと知り、顔を赤くして恥じた。
「お主が何を考えていたか、当ててみようか?」
意地が悪いというよりも、からかうような口調である。
「いや、いい。確かに虫がよすぎた考えだった。恥じ入るばかりだ。だが俺は、利用できるものは何でも利用するぞ。後世において、どんなに悪しざまに言われようと知ったことか。何せ爺さんが言う通り、我が国はとても小さく、弱いのだから…………」
このアデルの言葉を聞いて、バーゲンザイルの心にも久しく忘れていた熱が灯る。
「それでよい。じゃが、ただ待つだけでは、な…………。若者ならば、無茶をしてでも運命を自らの手で手繰り寄せるべきじゃて。じゃがしかしのぅ、ヒルダを娶ったとしてもノルトはそうは簡単に手に入らぬぞ。第一、カールめが病に倒れると決まったわけではないのじゃからの」
「それならばそれでいい。むしろそのことを喜ぶべきだろう? 何せ同盟国なのだから…………そうじゃないか?」
シルヴァルドの病弱は誰もが知るところである。だからといって、その命数がいつ尽きるのかなど、人の身である限り知ることは不可能である。
数年後、あるいは十年、二十年後、可能性は低いにしても、にわかに健康を取り戻し、そのまま長生きするかも知れないのだ。
そうなった場合、ネヴィルは今と同じくノルトと緊密な同盟関係を維持し続けることになるだろう。
「はっはっは、確かに。ま、誰が継ごうとノルトは割れる。たとえお主がヒルダを娶り、ノルトの王位継承権を得たとしても、じゃ」
「やはり直系の後継者でないとそうだよなぁ…………それがわかっていたから父が死んでも、叔父上は家を継がなかったわけだし」
ネヴィル家の当主であるダレンが斃れたときに、年齢からいえば弟であるギルバートが家を継いでも何ら不思議はない。
だが、当然嫡男であるアデルが生きている以上、アデルこそが当主に相応しいとする者は出てくるだろう。
家中が割れるのを恐れ、ギルバートは身を引いてアデルの補佐に努めていると、アデルは考えていた。
勿論そういった側面もあるにはあるのだが、実際のところとしてはギルバート自身がアデルの才に惚れていたのだった。
「必ずや戦になるじゃろう。誰が、どんな正当性を掲げようともな。それに懸念すべきは他にもあろう。その隙を、周辺諸国が黙って指をくわえて見ているはずがないからのぅ」
このバーゲンザイルの言う周辺諸国とは、敵国であるガドモア王国、そして同盟が形骸化しつつあるイースタル、国境を接するフランジェ及びベルクトの四ヵ国である。
「可及的速やかに鎮め、かつ被害は最小に、か…………」
そうじゃ、とバーゲンザイルは頷く。
正直なところ、考えただけでも厳しい。
「味方してやりたいところじゃが、見ての通り儂も老い耄れよ。生きているとは限らぬしのぅ」
「そのお気持ちだけでもありがたい限り。しかし、今更だが肝心のヒルデガルド殿に気持ちを確かめもせずに、勝手に話を進めるわけにもいかないだろう」
これを聞いたバーゲンザイルは思わず吹き出しそうになった。
年若いというのに気味が悪いほどに頭が切れるのに、時折見せる年相応のあどけなさのギャップ。
これこそがアデルの魅力なのかも知れない。完璧な人間というのは、畏れ、敬われても愛されはしないだろう。
やはりどこか抜けている方が、親近感もわくというものである。
ノルトにいる間アデルは、自身の評判などを調べたことはなかった。
アデル自身そういったことには無頓着であったし、そういった事柄に時間や労力を割くのは無駄であると考えていた。
実際のところ今のノルトでのアデルの評判はというと、それはもうとんでもないことになっていた。
民衆たちは挙って国を救った英雄であると持て囃し、貴族たちは今後に期待大の人物として注目している。
小なりとはいえ国王であり、まだ成人していないにしても配偶者も婚約者もいないとなれば、注目するなというのが無理というものである。
そんなアデルに熱を上げ始めた貴族の子女たちを見て焦ったのか、ヒルデガルドは今まで以上に苦手であった刺繍をはじめとする、花嫁修業に精を出すようになったとの噂である。
眉間にしわを寄せ、今まで以上に真剣に考え始めるアデルを、バーゲンザイルは笑みを浮かべながら眺めていた。
「陛下! 陛下!」
不意に馬車が止まり、ドアの外からグスタフが呼ぶ声でアデルは我に返った。
「どうした?」
「エフト王国の新王都であるムスペルムに到着致しました。それがどうもスイル王自らこちらに出迎えに向かっていると…………如何致しますか?」
「なに! スイルが自ら? スイルは何に乗っている? 徒歩ではあるまい? 馬車か? それとも輿か?」
アデルとスイルは昔馴染みの仲ではあるが、今は二人とも国主である。
格式を合わせねば、本人たちは良くても周囲の者たちや、強いては国同士の不和の種にもなりかねない。
「それが、馬にてこちらに向かっているとのことで…………」
「その馬の色は?」
「葦毛とのこと」
それを聞いてアデルは、ああ、と叫ぶ。そして一筋の涙が頬を伝う。
スイルは王になってもスイルのままだったと。賢く、生真面目で義理堅く、そして誰よりも優しい。
「余の馬を曳け!」
アデルは馬車から降りると、親衛隊長であるブルーノが曳いてきた愛馬に跨り、そのまま無言で全軍の先頭に立つ。
やがて現れた葦毛を駆るスイルの姿を見たアデルは、居ても立っても居られなくなりスイルの元へと駆け寄った。




