コールス街道
「そう。もう帰られてしまうのですね…………せっかく仲良くなれましたのに……」
リルストレイム城の中庭、カラッとした青空の下でのお茶会。
そこにはすっかりと仲良くなったアデルと、シルヴァルド、ヒルデガルドの兄妹の姿があった。
テーブルの上には冷たい井戸水を用いて作られた果実水が入ったコップが三つ。
そのどれもが、減っているのはこの夏らしい熱気のせいであった。
直射日光は体に障ると、三人の頭上を覆い影となるように大きな日傘が広げられており、時折中庭を吹き抜ける風もあるので、汗を拭くほどの暑さというわけではない。
「これ! ヒルダよ。アデルを困らせてはいけない。アデルは国王としての責務があるのだから」
兄であるシルヴァルドに窘められたヒルデガルドは、つい我儘を言ってしまいました、とアデルに頭を下げた。
お茶会だの何だのと理由を付けては頻繁に会う内に、三人はすっかり打ち解け、今では敬称などを付けずに名前や愛称で呼び合う仲となっていた。
「まぁ、俺個人としてはこのままここに居たい気持ちなんだが、カールの言う通り、俺は一応王様だからなぁ…………もう半年も国を留守にしていることだし、カインとトーヤに負担を掛けさせ続けるのも何だし、そろそろ戻らないと」
そう言いながら、アデルはネヴィル王国の方、南の空を眩しそうに見つめる。
「そういえば、そろそろウチの国じゃ、アレが始まっているな…………今年は参加出来なかったか。残念だ……」
「あれ? あれとは何ですの?」
心底悔しそうに呟くアデルの姿を見たヒルデガルドは、アデルの言うアレ、というものに強い興味を示した。
そしてそんなヒルデガルドの兄シルヴァルドもまた、口には出さずとも、興味深い視線を送っている。
「ウチの国では毎年この時期に、とは言っても今年で二回目だけど、甲虫王決定戦が行われるんだ」
二人が顔を見合わせて、意味が分からないといった表情をするので、アデルは夏の子供たちのための催しである甲虫王決定戦について熱く語りだした。
「これは十五歳、つまり成人前の子供たちだけが参加出来るお祭りで、開催日の午前中に決められた範囲内で捕まえたカブトムシを戦わせるというお祭りなんだ。優勝するとその年の甲虫王となり、優勝トロフィーと栄誉が与えられるんだ。ああ、こんな大事なお祭りのことをすっかり忘れてたとは……もう俺も十三歳だからなぁ、来年が最後になってしまう」
一人悔しがるアデルをよそに、二人はあまりのくだらなさに顔を見合わせたあと、吹き出してしまう。
「笑いごとじゃないんだぞ。ネヴィルの子供たちの間では、これはとても重要なことなんだ。大きくて格好良くて強いカブトムシを捕まえると、それだけで尊敬されるんだよ。ただし、夏の間だけだけどね」
「アデルは昨年優勝したのか?」
「それが、カール…………ウチの近所にはカブトムシのこととなると、滅茶苦茶強い奴らがわんさかいてさ、洟垂れのころからそいつらに勝てたためしがないんだ」
年の差はあれど、本人が三人だけでいる時にまで他人行儀は堅苦しいと言うので、アデルは敢えてシルヴァルドを親しげにカールと呼んでいる。
いつぞやか、名前を呼び捨てにされるのは亡き両親の他にはアデルだけだと、シルヴァルドは嬉し気に語ってからは、二人きりの時やヒルデガルドを交えた三人の時には、カールと呼ぶようになったのだ。
「しかし、子供しか参加できないとは、中々に面白い祭りだな。確か、貴国には他にも様々な祭りがあると聞いているが?」
「ああ、うん。元々は新年を祝う祭りと収穫祭だけだったんだけど、お祭りが年二回じゃ詰まんないから、増やしてみたんだ。冬の間に織った織物の美しさを競う織物祭りとか、もう少しすると行われる大ウナギ釣り大会とか、木工や陶芸などの美術品の出来栄えを競い展示する文化祭とか。そうだ、ヒルダにもぴったりな祭りもあるよ。刺繍の出来栄えを競う、刺繍祭ってのがあるんだ。どう? いつか参加してみない?」
「まぁ、そんなにもお祭りが? 刺繍のお祭りもあるのですか? これは是非にも参加してみたいですわ!」
「止めておいたほうがよいぞ。少なくとも、もう少し技量を磨いてからにするべきだ。そうだな…………アデルに渡した薄雪草の花びらの大きさを揃えられるようになってから……」
「兄様の意地悪!」
プイとむくれてそっぽを向くヒルデガルド。それを見てアデルとシルヴァルドは、笑い声をあげた。
穏やかな午後のひと時。この時間だけは、アデルもシルヴァルドも、戦乱に荒れ狂う世のことを忘れることが出来た。
お茶会が終わると、アデルとシルヴァルドは場所を移した。
城内にあるシルヴァルドの執務室へとである。
すでに執務室には、ノルト王国宰相であるブラムと、エフト王国の将軍ザカンが待機していた。
エフト王国の国王であるスイルは、腹心の一人であるこのザカン将軍を残し、先日帰国の途についている。
エフト王国とは、この三国同盟計画の段階でかなり突き詰めたところまで合意を得ているので、問題はない。
今スイルが急ぎ帰国するのは、とある準備のためであった。
「三国を繋ぐ街道、これをコールス山脈の名を借りて正式に、コールス街道とします」
進行を務めるブラムに、
「異議なし」
と、アデルは応じ、ザカンもまたアデルに倣い、
「同じく」
と応じた。
「では、三国の共同事業としてこのコールス街道の道幅の拡張と整備についてですが…………」
これもすんなりと分担が決まった。
「では、街道の警備についてですが、これはアデル王の提案により駅伝制を敷き、駅に警備の兵を詰めるということよろしいでしょうか?」
「うむ。関所を設けないのであれば、兵を詰めさせる場所として駅は最適であると思う」
合理的な思考をするシルヴァルドは、即アデルの案に賛成の意を示した。
「まったく設けないわけではありませんよ。各国の出入り口には関所を設けます。ただし、通行税は取らず犯罪者の発見、逮捕などの治安の維持を目的としたものですが」
「通行税を取らない関所とは、世界でも珍しいでしょうな」
口ぶりとは違って、事前にアデルよりスイル王を交えてこの案を聞いているザカンに、驚きはない。
「ええ。ただし商人からは、その規模に応じて街道を使うにあたって出身国に申請し、街道使用税を取りますがね。この税を道の拡張と整備、そして街道の警備費用に充てようと思っております」
「それで問題無かろう。街道使用税は三国ともに同率。あくまでもその規模によって定められた税率で徴収すると」
「そうです。でなくては、税の安い国に商人たちが一斉に根拠地を移してしまうかもしれないので。それと、駅には烽火台も設置しましょう」
「良い案だと思うが、ザカン殿は?」
「わたくしも名案かと存じ上げます。情報の伝達方法は一つでも多いに越したことはないでしょう」
これについてももシルヴァルド、ザカンの両名は即、同意した。
「では最後に、各国に大使館を建て、大使を常駐させる件についてですが……」
議題を述べながら三者の顔を見たブラムは、返事を聞くまでもないことを悟った。
「これも同盟関係を強固なものとするためにも、またそれを世に知らしめるためにも必要だろう」
「各国の人間の行き来も激しくなる以上、生じるであろう数々の問題の解決において、これは必要不可欠なるものとなるでしょう」
「では、どれも各国の同意が得られたということでよろしいでしょうか?」
ブラムの念押しに、アデル、シルヴァルド、ザカンの三名は頷いた。




